濃姫の魅力に迫る ~あの謎多き織田信長の正室の生涯とは?~

あの大人気の戦国武将、織田信長の正室で謎多き女、濃姫の魅力に迫ります。天下統一の野望を抱く織田信長を支えた濃姫は一体どんな人であったか?史料が無く、憶測の部分が多い濃姫は様々な説があります。濃姫についてご興味がある方は是非ご一読ください!

 

織田信長の正室は気が強かった?「濃姫」とは

濃姫之像(清洲城模擬天守横)
濃姫之像(清洲城模擬天守横)/Wikipediaより引用

 

天下統一をあと一歩のところまで進めた戦国武将、織田信長。大人気の戦国武将の一人だと思いますが、織田信長の正室であった「濃姫(のうひめ)」という人物をご存知でしょうか?
濃姫に関しては史料が少なく、詳細なところまでは不明、とされています。特に晩年どう生きたかについては、様々な説が飛び交うほどです。今回は、そんな濃姫についてご紹介したいと思います。

 

濃姫は通称!?名前について

濃姫というのは、美濃国の高貴な女性というだけの意味で通称です。名は様々説があるので、表にまとめます。呼び名は様々ありますが、鷺山殿というのが当時の習慣に則ったもので有力だそうです。

呼び方・史料名
濃姫(のうひめ)・絵本太閤記、武将感状記
帰蝶/歸蝶(きちょう)・美濃国諸旧記
鷺山殿(さぎやまどの)・美濃国諸旧記
北の方(きたのかた)・美濃国諸旧記
胡蝶(こちょう)・武功夜話
於濃の方(おのうのかた)・史料名不明

 

どんな人生だった?濃姫の一生

濃姫については、史料がほとんど残っていないのが現状です(戦国時代の女性で史料に残るほうが珍しい)。織田信長の事について詳しく書かれている「信長公記」でも、濃姫については全く触れられていないのです。
そこで、数ある説をご紹介していきます。
濃姫は、斎藤道三(さいとう どうざん)の娘です。母は、斎藤道三の正室の小見の方で、「美濃国諸旧記」では明智家の出身となっています。濃姫は、斎藤道三と小見の方の唯一の子です。
小見の方は明智光秀の叔母にあたる、ということが史料から分かっていますが、詳しいことは良く分かっていません。明智家の同族であることは間違いなさそうです。「美濃国諸旧記」によると、濃姫は1535年(天文4年)の生まれだという事になっています。織田信長よりも一つ年下ということになるのです。
濃姫が15歳の時に織田信長に嫁ぎます。結婚した経緯は分かっていません。しかし、政略結婚という線が濃厚と言われています。
一説によると、斎藤道三は、濃姫をスパイとして織田信長と結婚させただけで、織田信長も斎藤道三の影響力を利用して勢力拡大を狙っていただけだ、とする学者もいます。また、濃姫と織田信長との間に子供はいなかった、というのが通説です。
この頃のエピソードとして、濃姫が織田信長に嫁ぐ際、父の斎藤道三は濃姫に短刀を託し、「織田信長が何か企んでいたら、この刀で刺せ」と言います。濃姫は「分かりました。でももしかしたら、この短剣であなたを刺すかもね」と言ったという事が残されています。濃姫がいかに強気な女か分かるエピソードです。

 

謎多き晩年!様々な説をご紹介

『本能寺焼討之図』(楊斎延一作) 中央右奥、安田作兵衛の向こう側で長刀を振るう女性は濃姫を描いたもの。
『本能寺焼討之図』(楊斎延一作)
中央右奥、安田作兵衛の向こう側で長刀を振るう女性は濃姫を描いたもの。/Wikipediaより引用

 

濃姫に関する史料は非常に少ないので、晩年どう過ごしていたのか、様々な説が飛び交っているのが現状です。そこで、挙がっている説をご紹介していきたいと思います。

 

政略結婚の意味を失い離縁した

「信長公記」など史料に結婚して嫁いだことは記載されているが、最後は載ってないのは、織田家と縁が切れたためと推測する学者もいます。
濃姫は織田家を追い出され、母方の叔父である明智家に身を寄せた、と考えました。しかし、他の女性についても結婚後どうなったか、最後が書かれている例は稀少であるため、疑問符が残る説ではあります。

 

病気などで死亡した

「濃陽諸士伝記」という史料では、濃姫はすでに亡くなっていて、織田信長の正室には別の誰かが収まっていた可能性がある、という学者もいます。しかし、整合性はあまりとれていない説です。
また、戦死説もあります。本能寺の変で、薙刀を振るって織田信長とともに敵と戦って戦死した、というものです。これは、小説の中の世界の話であり、確かなものではなかった、とされています。

 

生存説

生存説は、濃姫がその後も生きていた証拠を探して、存在の可能性を示そう、という説です。江戸時代の中期に書かれた「明智軍記」には、織田信長の内室(ないしつ=身分の高い人の妻を敬って言う言葉)が美濃討伐の命令を望む家臣達に感謝して、たくさんのアワビなどを振舞ったとされています。
このことから、少なくとも江戸時代には、一般的に濃姫は織田信長の正室として存在したと認識されており、斎藤道三が亡くなった後も濃姫が離縁されたり、亡くなったりはしていないと推測できる、というものです。

 

天下統一を間近で支えていた女、濃姫に想いを寄せて

総見院・織田信長公供養塔。
総見院・織田信長公供養塔。/Wikipediaより引用
織田信長の正室であった「濃姫」、いかがだったでしょうか。濃姫に関しては史料が少なく、推測の部分が多いのですが、そこが魅力ですね。様々な可能性に思いをはせながら、考えることができます。
これまで、濃姫を知らなかった人も、すでに知っていた人も、これを機にもっと濃姫について知り、魅力を高めてもらえたら、と思っています。

 

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