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シェイクスピアの作品解説 ~四大悲劇と「ソネット集」~

四大悲劇も戯曲です。~戯曲作品~


シェイクスピア/Wikipediaより引用

イングランドの劇作家シェイクスピアは、厳かな過去の名君の史劇から喜劇に至るまで、膨大な量の戯曲を書き残しました。なかでも「ハムレット」、「オセロー」、「リア王」、「マクベス」の四作品は、「シェイクスピアの四大悲劇」として名高いです。
今回は、その四大悲劇とその他の戯曲作品を二つご紹介したいと思います。

四大悲劇:ハムレット

ハムレットは、シェイクスピアの戯曲の中で最も長大な作品です。5幕から成るこの大作を、シェイクスピアは約2年で書き上げました(1600~1602年)。
正式な題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」というものです。大まかにいうと、デンマークの王子ハムレットが、父を殺害し母を奪って王の座を奪い取った叔父クローディアスを討ち、復讐を果たすまでの話です。
“To be, or not to be”というハムレットのせりふは、シェイクスピアのあらゆる作品の中でもっとも有名であると言ってよいでしょう。
映画化も盛んにおこなわれ、ローレンス・オリヴィエが監督し、ハムレットを演じた1948年度版の作品は不朽の名作とされています。他にもイギリス版をしのぐとまで言われたソ連の1964年版、近年ではケネス・ブラナーが監督・主演した長編映画の1996年版が有名です。また、クラシック音楽の題材としても名高い作品であり。ドメニコ・スカルラッティが作曲したオペラ作品が有名です。

四大悲劇:オセロー

オセローは1604年に発表された戯曲で、四大悲劇の中の一つです。四大悲劇の中では最も分かりやすいと言われている作品です。
ヴェニスの軍人であったオセローが、旗手のイアーゴーに騙されて、妻デズデモーナの過ちを疑って殺害してしまいます。のちに事実をイアーゴーの妻エミリアが告白し、悲しみに暮れるオセローは自らの命を絶つ、というお話です。
この非常に悲劇的な戯曲もまた、幾度となく映画化がなされ、古くは1922年のエミール・ヤニングス主演の作品、近年では1995年のケネス・ブラナーらが主演した作品があります。
音楽ではヴェルディが、「オテロ」(オセローのイタリア語読み)というオペラ作品を作曲しています。
余談ですが、「オセロー」はボードゲームの「オセロ」の名前の由来となっています。

四大悲劇:リア王


1608年のリア王(四折版)/Wikipediaより

リア王は1604年から1606年頃の間に作られた悲劇です。リヴァーサイド版の全集によれば1605年の作品であるとされています。四大悲劇の中で最も壮大な作品といわれるこの作品は、異なる二つの版があり、これまでは二つを合わせて出版することが通例とされてきましたが、近年では独立した作品として別々に出版されることが多いようです。
高齢のために退位したリア王が、長女ゴネイルと次女リーガンに国を追い出され、末の娘コーディリアの力を借りて戦うも敗れてしまい、リアとコーディリアは捕虜になってしまいます。リアの忠臣ケントらの力で二人は助け出されるものの、コーディリアは獄中で殺されていて、リアは娘の遺体を抱いて現れ、そのまま亡くなる、という話です。
日本においては昭和初期の尋常小学校の教科書にリア王の話が採用されました。しかし、内容は小学生向けにハッピーエンドになされていました。

四大悲劇:マクベス

四大悲劇最後の一つは、1606年頃に成立したとされる作品「マクベス」です。実在のスコットランドの王をモデルにした作品で、四大悲劇の中では最も短い作品です。
雄々しい人物でありながら小心者の将軍であるマクベスが、妻と共謀して主君を暗殺し、王位に就くものの内外の重圧に耐えきれずに暴政を働き、最後は貴族や王子たちの復讐によって命を落とすという内容です。
「マクベス」はヴェルディがオペラを、リヒャルト・シュトラウスが交響詩を作曲しました。

その他の戯曲作品:ロミオとジュリエット

四大悲劇以外の悲劇作品においても、シェイクスピアは傑作を残しています。それの主たるものはやはり、恋愛悲劇の「ロミオとジュリエット」でしょう。
ロミオとジュリエットは1595年前後に制作された戯曲で、5幕から成ります。イタリアのヴェローナを舞台にした作品で、あらすじは次のようになります。
皇帝派のモンタギュー家の一人息子ロミオは、敵であるキャピュレット家のパーティーに、友人たちと忍び込みます。そこでキャピュレット家の一人娘であるジュリエットと出会い、たちまち恋に落ちます。
すぐに結婚をしたいと思ったロミオは、ジュリエットにプロポーズをして、二人はお互いの家に許しを得ぬまま結婚してしまいます。
ロミオはいざこざでジュリエットの従兄を殺してしまったため、皇帝に国外追放を命ぜられます。ジュリエットは何としてでもロミオを連れ戻したいと考え、修道僧ロレンスと相談して「仮死の毒」というものを飲んで死んだことを装います。しかしその策略はロミオにうまく伝わっていませんでした。帰ってきたロミオは、ジュリエットが死んでいると早とちりをして、彼女の墓の前で命を絶ってしまいます。一方、仮死の毒が解けて目を覚ましたジュリエットは、悲しみのあまりその後を追う、という内容です。

その他の戯曲作品:じゃじゃ馬ならし

悲劇ばかりではなく、喜劇も数多く残しています。その一つが「じゃじゃ馬ならし」です。
1594年頃に執筆されたシェイクスピアの初期の戯曲です。「インダクション」と呼ばれる導入部分が存在する枠物語として始まる芝居です。
あらすじはペトルーチオが頑固で強情なキャタリーナに求愛する様子を描くものです。関係に気乗りしないキャタリーナに、食べ物を食べさせなかったり、眠らせなかったりなど、強引なやり方で心理的に苦しめることで、キャタリーナをおとなしくて従順な花嫁にします。それと並行しながら「理想的」な女性でキャタリーナの妹であるビアンカをめぐる求婚者たちの恋愛の争いを描いています。
映像化は幾度となく行われていますが、中でも1967年にエリザベス・テイラー、リチャード・バートンが主演したものは名作のほまれ高い作品です。

戯曲以外には詩も書き残しています。~ソネット集~


ソネット集(1609年版)/Wikipediaより引用

シェイクスピアは劇作家として有名ですが、ほかに詩も書いていました。特にソネットの名手であったようです。続いては、シェイクスピアの代表的な詩集である「ソネット集」と、「ソネット集」の中に収められている詩の基本形であり、「シェイクスピア風ソネット」(あるいは「シェイクスピア風十四行詩」)とよばれるソネットについて解説します。

詩集「ソネット集」について

「ソネット集」はシェイクスピアの最初の詩集であり、詩作品の中でも代表作というべきものです。
1609年に発表されたこの詩集には、恋愛や美について、あるいは死などについて詠われたソネット形式の詩が154篇収録されたものでした。
ソネットとは、ルネサンス期にイタリアで作られ始めた詩の形であり、「小さな歌」を意味します。16世紀の初めに、トマス・ワイアットという詩人がイングランドにソネットを紹介しました。
シェイクスピアが存命中の時代は、ペトラルカというイタリアのルネサンス期の詩人のソネットの詩形に影響を受けたものが多かったのですが、シェイクスピアだけは異なりました。

「シェイクスピア風ソネット」とは

シェイクスピアのソネットは、シェイクスピア以前の、あるいはシェイクスピアと同時代の詩人たちが用いていた「ペトラルカ風ソネット」とは一線を画すものでした。注意していただきたいのは、「シェイクスピア風」と呼ばれるのはシェイクスピアが新しい詩形を編み出したというわけではなく、その形式で書かれることが多かったから(有名な使い手だったから)ということです。
押韻構成は「abab cdcd efef gg」であり、加えて「弱強五歩格」(1行に9~11の音節があり、1つおきにアクセントが弱くなる、強くなるを5回繰り返す書き方)で書かれます。詩は必ず14行になっています。これがシェイクスピア風ソネットです。

まとめ


シェイクスピア/Wikipediaより引用

いかがでしたか。シェイクスピアの作品は、明治時代に坪内逍遥がシェイクスピアの全集を翻訳して出版してから、現在に至るまで様々な翻訳者がシェイクスピアの作品を訳出しています。この記事を読むことで、シェイクスピアの作品に少しでも興味を持っていただけたなら幸いです。

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