ミハイル・ゴルバチョフとは?冷戦を終わらせたソビエト連邦最後の指導者について

ソ連最後の指導者・ゴルバチョフの来歴

ゴルバチョフの画像
ゴルバチョフ/Wikipediaより引用

冷戦末期のソビエト連邦において、強力なリーダーシップを発揮し、アメリカとの冷戦を終結させた指導者、ミハイル・ゴルバチョフ。まずはゴルバチョフの来歴について学んでゆきましょう。

誕生~ソ連共産党入党まで

ミハイル・ゴルバチョフは1931年3月2日に、ソ連のスタヴロポリ地方、プリヴォリノエという村に農民の子として生まれました。
幼年時はスターリンによる大粛清によって祖父が投獄され、1941年に始まった独ソ戦では父が従軍しました。
1950年にモスクワ大学法学部に合格したゴルバチョフは、のちに妻となるライーサと出会いました。さらに学生宿舎でチェコスロヴァキアからの留学生であるズデネク・ムリナーシと出会います。のちに「プラハの春」とよばれる変革運動を推進する人物になるムリナーシとの出会いは、ゴルバチョフに大きな影響を与えました。
1952年の10月に、ゴルバチョフはソ連共産党に入党し、政治家としてのキャリアをスタートさせます。

書記長就任に至るまで

さまざまな地方の青年団(コムソモール)の第一書記を歴任した後、スタヴロポリの地方党の第一書記に就任したゴルバチョフは40歳のとき(1971年)、党中央委員に選出されました。
1978年に急死したクラコフの後任として党中央委農業担当書記に任命され、翌年には政治局員候補として政治局入りを果たします。ブレジネフ書記長の死後、アンドロポフが書記長に就任すると、ゴルバチョフはNo.2のポストであるイデオロギー担当書記に任命されました。
1985年、チェルネンコ書記長の死後、ゴルバチョフは共産党書記長に就任しました。54歳の時のことでした。

ソ連崩壊から現在に至るまで

ゴルバチョフは1986年4月にペレストロイカを提唱しました。ペレストロイカとは、ロシア語で「再建」を意味する言葉です。チェルノブイリ原発事故を受けて、同時期に積極的に推進したグラスノスチ(情報公開、の意味)とともに、ソ連の硬直した政治体制を民主的な方向に改革してゆきました。
また、アメリカとの関係改善にも努力し、1985年11月には米ソ首脳会談を行い、核軍縮交渉に積極的に参加すること、米ソ間の相互訪問などを骨子とする共同声明を発表します。
1989年12月には、地中海のマルタで行われたアメリカとの会談(マルタ会談)によってついに東西冷戦を終結させることにも成功しました。しかし1991年にクーデターにより失脚したゴルバチョフは、共産党中央委員会の活動の停止を要求、64年間続いたソ連の政治体制は崩壊しました。
現在は、2009年に新党・ロシア独立民主党の結成を行いました。ゴルバチョフにとっては3度目の新党結成の試みです。

ゴルバチョフの功績と評価

ゴルバチョフの画像
ゴルバチョフ(左の人物)/Wikipediaより引用

ゴルバチョフの来歴について学んだところで、次はゴルバチョフの功績について、詳しく学んでゆきましょう。ゴルバチョフの評価についてもご紹介したいと思います。

功績1:冷戦終結への一歩・米ソ首脳会談

1985年、ゴルバチョフは書記長に就任してからわずか8か月後に、アメリカと首脳会談を行いました(米ソ首脳会談)。この会談で、核軍縮交渉に積極的に参加すること、米ソ間の相互訪問などを骨子とする共同声明を発表し、冷え込んでいた米ソ間の関係改善に向けて動き始めます。
翌年に再び行われた米ソ首脳会談で、ソ連は中距離核戦力全廃についての基本的な合意を整理させ、それは1987年に中距離核能力(INF)全廃条約締結という形で実を結ぶのでした。

功績2:ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)

1986年4月、ゴルバチョフは「ペレストロイカ」を提唱します。ペレストロイカとは、ロシア語で「再建」を意味する語です。一党独裁制が60年以上続いたことで、ソ連の政治は硬直していました。それを解決するためにゴルバチョフは、政治体制を民主的な方向に改革する政治改革を提唱するのです。それがペレストロイカです。共産圏の民主化をも推し進め、東西冷戦終結のきっかけとなった政策であると、現在では評価されることが多いようです。
1986年4月26日に、チェルノブイリ原発事故が発生しました。これを一つの契機として、ゴルバチョフは情報公開(グラスノスチ)を積極的に推進してゆきます。体制の硬直化によって、書記長であるゴルバチョフに情報が届くのが遅れたことに対する反省として行われた政策で、具体的には言論や思想、報道などの自由化、民主化が行われました。

二分しているゴルバチョフの評価について

一見すると、世界平和に貢献した素晴らしい政治家のように見えますね。現に冷戦を終結させ、中距離核能力全廃条約を調印し、ペレストロイカの提唱によって共産圏を民主化させたという3つの功績が認められて、1990年にはノーベル平和賞を受賞しています。こうしたことからも、確かにゴルバチョフが素晴らしい政治家であったことは確かなのですが、「古き良き、強いソ連を崩壊させた」、「アメリカにこびていて弱腰である」というイメージを拭い去ることができないため、ロシア国民にとっては必ずしもそのような評価にならないようです。

まとめ

ゴルバチョフの画像
ゴルバチョフ/Wikipediaより引用

いかがでしょうか。来年は東西冷戦が終結して30年になりますが、ゴルバチョフという強い勇気と決断力を持った一人の政治家の働きによって、それは成し遂げられたのでした。これからもゴルバチョフは世界中のたくさんの人に影響を与える存在であり続けることは間違いありません。

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