奈良県は古墳の聖地!古代中央政権の拠点から古代への想いを馳せる

平城京や東大寺、春日大社。奈良の都と聞いて思い浮かぶのはどのようなものでしょうか?古代からその形を留める「古墳」も有名です!

奈良県は屈指の古墳の宝庫!

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高松塚古墳の飛鳥美人にキトラ古墳の四神・・・。ニュースで話題となった古代の壁画が目を覚ましたのは、奈良県にある古墳でした。全国に点在する古墳の中でも、奈良県は古墳の宝庫の1つです!ここでは、奈良県の古墳に見る謎の2つを紐解いていきます。

奈良に古墳が集中する謎

現在の奈良県。古墳時代・飛鳥時代・奈良時代という長い歴史の中で、中央政権が置かれていました。そのため、大王豪族の古墳や、天皇・皇后・皇太后・太皇太后を埋葬した陵墓が造営されていくのです。「1,000年の田舎」の言葉のように、奈良の地が開発から守られてきたことも影響しています。そして、その中でも全長100mを超す大型古墳が多く存在するのが奈良の地でした。

大型古墳が集中する謎

それでは、なぜ大型古墳が奈良に集まっているのでしょうか?朝廷が置かれていて、なおかつ権力者・有力者がいる場所だから、というのが真っ先に考えられます。次に、古墳の数を比較して考えてみましょう。古墳は、関東地方・中部地方に多く存在していますが、全長100mを超す大型の古墳はその全303基のうち、73基が奈良盆地に配されているのです。割合にしておよそ4分の1!各地の有力氏族は、自らの本拠地では古墳に巨額の予算を投入せず、国力温存の為に小規模な古墳を造営していたとみるのが妥当でしょう。逆説的に、大型古墳が奈良に集まっているのは自力で費用を出せる中央政権があったから、と言えそうです。

奈良県を代表する古墳5選

それでは、奈良県を代表する古墳のうち個性豊かな5基をご紹介します!

1. 石舞台古墳

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蘇我馬子の墓と伝えられている石舞台古墳。古墳時代後期の7世紀初頭に造られたといわれ、70tクラスの花崗岩、約30個を組み上げて作られています。総重量2,300tともいう石舞台古墳は先人の建築技術に想いを馳せるのに十分な迫力ですね。盛り土は失われ日本最大級の横穴式石室部分が姿を見せてくれるこの古墳は、橿原神宮前駅からバスで約30分程の、奈良県高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園内にあります。

2. 高松塚古墳

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天武天皇の皇子や臣下など、被葬者に諸説ある高松塚古墳。古墳時代終末期の7世紀末から8世紀初頭に造られたといわれ、石室は大人2人がかがんで入れるコンパクトな大きさです。2段式の円墳は1972年に色彩壁画が日本で初めて発見され、一躍有名になりました。「飛鳥美人」の愛称でお馴染みの「西壁女子群像」、方位を守る「青龍」・「白虎」・「玄武」、天井に描かれた「星宿図」などです。四方を守る霊獣のうち、南方の「朱雀」が無いのは、鎌倉時代に盗掘にあったためではないか、と考えられています。残されていたものの中に「海獣葡萄鏡」や刀剣の金具などがあります。壁画は劣化が著しいため修復に出されていますが、国営飛鳥歴史公園にある壁画館に、レプリカが展示されています。近鉄飛鳥駅から歩いて15分ほどで、鮮やかな歴史を目にすることができますよ。

3. キトラ古墳

キトラ古墳の画像

キトラ古墳 / Wikipediaより引用

高松塚古墳の南側に位置するキトラ古墳。「亀虎古墳」とも記され、読みは「北浦」の転訛とされます。こちらも天武天皇の皇子や臣下が被葬者と伝えられていますが、高松塚古墳の埋葬品から比較すると、その被葬者より身分の低い者ではないか?と考えられています。二段築成の円墳からは、壁画が発見されました。高松塚古墳に次ぐ大陸風壁画で有名ですね。四方を守る「青龍」・「白虎」・「玄武」・「朱雀」や十二支の壁画があり、天井の天文図は277個の星で構成され、現存するものでは東アジア最古の天文図の位置づけです。壁画はキトラ古墳体験館四神の館に保存され、年に数回、期間限定で実物にお目にかかれます!古墳は近鉄飛鳥駅から歩いて20分ほどの距離です。

4. 箸墓古墳(はしはか-こふん)

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宮内庁より第7代孝霊天皇皇女の墓と治定されている箸墓古墳。大神神社の御神体そのものである三輪山の西側に広がる纏向古墳群(まきむく-こふんぐん)の中にあり、「大市墓(おおいちのはか)」と呼ばれます。弥生時代末期から古墳時代前期の3世紀中頃から4世紀に造られたとされる最古級の前方後円墳。全体の5%しか調査が進んでおらず、出土した土器と年代から倭国女王・卑弥呼の墓とする説や、周囲の濠から馬具が出土していることから4世紀半ば以降の造営とする説もあります。巻向駅から歩いて10分の距離にある箸墓古墳は、その周囲の濠が国の史跡に指定されています。そして、周濠の一部は「箸中大池」として、ため池百選の1つに選定されています。この「ため池百選」とは、農林水産省が全国に約21万か所ある「ため池」の中から、その役割を広めるために基準に沿って選出した「ため池」です。駅からのアクセスが良い箸墓古墳は現在の生活に密接に存在しているのですね。

5. ナガレ山古墳

馬見古墳群(うまみ-こふんぐん)の中にあるナガレ山古墳。5世紀前半に造営されたとされる前方後円墳です。古墳群の北・中央・南のうち、中央群に属します。筒形の埴輪が整然と配置されたナガレ山古墳は、半分に葺石(ふきいし/古墳の斜面を覆う石垣)を敷いて、現在と比較しながら約1,600年前の造営当時の様子が分かるように復元されています。

番外編・~陵墓~天武・持統天皇陵

宮内庁より第40代天武天皇と、その后・第41代持統天皇の墓と治定された「天武・持統天皇陵」。「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」と呼ばれます。墳丘の形は、古墳時代末期に多く見られるようになった八角墳を成しています。仏教が日本にもたらされた頃でもあり、埋葬方法が土葬から火葬に移り変わる時代でした。先に亡くなった天武天皇は棺で。持統天皇は初めて火葬をされた天皇で、天武天皇の棺の隣に安置された骨壺で眠りにつきます。こちらの陵墓は1235年に盗掘に遭い、副葬品が持ち出されたほか、棺や骨壺までもが被害に遭った記録が藤原定家の日記「明月記」に残されています。

まとめて見るなら古墳群!

古墳は単独で造営されていることは実は少ないのです。大抵は、数基から数十基、中には数百基の群で構成されています。ここでは、奈良県にある古墳群のうち、4つをご紹介します。

1. 佐紀古墳群(さき-こふんぐん)

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佐紀盾列古墳群/Wikipediaより引用

佐紀盾列古墳群(さきたてなみ-こふんぐん)ともいい、古墳時代前期から古墳時代後期である4世紀から5世紀前半にかけて造営されました。現在、4つの町域に広がるこの古墳群には、全長200mクラスの巨大前方後円墳も並んでいます。ヤマト政権の王墓が多く含まれ、神功皇后治定陵・成務天皇治定陵・平城天皇治定陵ほか、多くの治定された陵墓が並びます。5世紀後半には規模が縮小されました。「盾列」とつくのは、周濠が盾の形を成しているからといわれていますが、奈良県立橿原考古学研究所では古代由来の地名にちなんで「佐紀古墳群」と読んでいます。

2. 大和古墳群(おおやまと-こふんぐん)

古墳時代前半の3世紀後半から4世紀にかけて造営されました。一部は国の史跡であり、国営飛鳥歴史公園になります。「オオヤマト古墳集団」ともいわれ、後述する纏向古墳群(南側)・大和古墳群(北側)・柳本古墳群(中央部分)をまとめて「オオヤマト古墳集団」するか、前方後円墳から考えて最古級の箸墓古墳を有する纏向古墳群を時代的に除いて「大和・柳本古墳群」と呼んだりします。古墳群の名称は、古墳群の西側に大和神社(おおやまと-じんじゃ)が鎮座することに由来します。前方後円墳12基・前方後方墳5基・円墳7基があり、それぞれの古墳には規模の差があまり見られません。古墳群の中の西殿塚古墳は手白香皇女(たしらかのひめみこ)陵に治定されている一方、生きた時代からすると、6世紀前半造営の西山塚古墳が実際の手白香皇女の陵墓ではないかとも考えられています。

3. 纏向古墳群(まきむく-こふんぐん)

纏向古墳群の画像
纏向古墳群/Wikipediaより引用

前方後円墳発祥の地とされる纏向古墳群。オオヤマト古墳集団に含まれることもあります。弥生時代末期から古墳時代前期にかけて造営され、全長100m級の前方後円墳が点在しています。箸墓古墳以外の前方後円墳はホタテ貝の形をとっており、弥生墳丘墓と考えられていました。これらの墳墓を古墳として評価するため「纏向型前方後円墳」と称する動きもあります。中でも箸墓古墳は最古の前方後円墳とされ、纏向古墳群は前方後円墳の成立過程を知る重要な古墳の集まりです。2006年に国の史跡に指定されました。

4. 新沢千塚古墳群(にいざわせんづか-こふんぐん)

新沢千塚古墳群の画像
新沢千塚古墳群/Wikipediaより引用

4世紀末から7世紀にかけて造られた古墳群。特に5世紀後半から6世紀前半の約100年間に、最も多くの古墳が造営されます。かつては「川西千塚」「鳥屋千塚」と呼ばれましたが、現在は「新沢千塚古墳群」と呼ばれています。橿原市の南部・奈良盆地の南側周辺に位置する古墳群ですが、氏族や被葬者は特定されていません。10m超の円墳が600基以上ある、日本を代表する群集墳です。発掘調査の結果、珍しい銅鏡や、朝鮮半島や中国、果てはペルシャからもたらされた副葬品が出土した古墳もあります。126号墳の出土品は一括して国の重要文化財に指定され、1960年代に行われた調査をもとに、1976年に国の史跡に指定されました。

実体験が一番!見て感じるおススメスポット

高松古墳の画像
高松塚古墳/Wikipediaより引用

当記事をご覧になって、奈良の古墳に興味が湧いてきたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。実際に目にすると、また違って見えるものがあるかもしれませんね。ここでは、中に入ることができたり、ご当地で学べたりできるスポットをご紹介します。

入れる古墳

場所によっては、石室に入れる古墳もあります。まずは、重量級の見た目を体感していただけそうな「石舞台古墳」。羨道という通路から中の玄室に入ります。高さが4mを超える玄室は、どのように巨石を積み上げたのでしょう。ちなみに、大化の改新で討たれた孫・蘇我入鹿の首塚も同じ明日香村に鎮座しています。次に、時代を下り7世紀半ば頃に造営された、平群町(へぐりちょう)にある「西宮古墳」。奥壁・側壁・天井、どれも一枚岩で積み木を組んだように構成されています。周辺には弥生時代の遺跡があり、銅鐸も出土しています。聖徳太子の皇子・山背大兄王子(やましろのおおえのおうじ)が被葬者ではないかと考えられています。

詳しい観光情報はこちらから↓

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/04stone/03east_area/ishibutaikofun/

キトラ古墳壁画体験館

キトラ古墳壁画体験館は、キトラ古墳壁画の実物を見ることが出来る施設です。実物の観覧は期間限定の事前申し込み制なので、公開情報を公式ウェブサイトでチェックされることをお勧めします。通常時は、原寸大の石室のレプリカや壁画のレプリカ、出土品が展示されています。勾玉作りなど有料の体験プログラムも、飛鳥時代の歴史に触れることが出来て楽しめそうですね。キトラ古墳散策と併せて訪れるとより理解が深まるかもしれません。

キトラ古墳壁画体験館公式HPはこちら↓

https://www.nabunken.go.jp/shijin/

奈良県立橿原考古学研究所博物館

橿原遺跡のある橿原(かしはら)公園周辺、及び大和各地の遺構から出土した縄文・弥生・古墳など、各時代の遺物が展示されています。宮山古墳の大型象形埴輪の展示は目を惹きます。宮山古墳は奈良盆地南西部に位置する、全長238mの大型前方後円墳です。盾・甲冑・家・矢を入れる靭(うつぼ)をかたどった埴輪と円筒形の埴輪が並べられた古墳です。博物館の館内は時代ごとに分けて展示がなされ、古墳時代の場所では、出土品の大きさ・形・出土した場所から時代背景を読み解き、大和地方の古代の歴史を学ぶことができます。ミュージアムショップも併設されており、古墳や出土品にちなんだお土産を買うことが出来ます。密度の濃い、展示が充実した博物館です。ぜひとも、じっくりと周りたいですね。

博物館公式案内はこちら↓

http://www.kashikoken.jp/museum/info/info.html

天理市立黒塚古墳展示館

天理市にある黒塚古墳の隣にある展示館です。原寸大の石室のレプリカや三角縁神獣鏡などの出土品が展示されています。建物の2階に上がると復元された竪穴式石室の全体を見ることができます。建物の名前にもある「黒塚古墳」は3世紀末頃に造営された前方後円墳で、盗掘を免れたこともあり、貴重な埋葬品が眠っていました。鏡・鉄製の刀剣や鏃(やじり)・甲冑・工具・U字型鉄製品などが発掘され、中でも33面もの大量の三角縁神獣鏡が発掘されたことで有名です。発掘調査で見つかった枚数は日本一です。この鏡は、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の魏で作られたものを賜ったとする説が有力です。このため、邪馬台国・卑弥呼・大和政権とのかかわりを紐解くにあたり重要な古墳と言えるでしょう。

展示館公式案内はこちら↓

http://www.city.tenri.nara.jp/kakuka/kyouikuiinkai/bunkazaika/1391486590155.html

奈良文化財研究所飛鳥資料館

主に飛鳥から発掘された出土品が展示されています。高松塚古墳・キトラ古墳についても学ぶことができます。飛鳥時代の実物の石人像に出迎えられながら館内に入ります。展示は仏教伝来に始まり、古墳や寺院にも触れられています。展示室では高松塚古墳をはじめとする古墳の出土品や、写真パネル・模型・資料などが配置され、飛鳥の歴史・文化を実感できますし、映像コーナーでは高松塚古墳の発掘調査の様子を映像で見ることが出来ます。庭には、明日香村の遺跡のレプリカが点在しており、のんびり歴史を楽しめます。

資料館公式案内はこちら↓

https://www.nabunken.go.jp/asuka/about/

お土産で古墳を身近に!

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奈良県で多くの古墳を見学したら、お土産話だけではもったいないかもしれません。古墳をモチーフにした数多くのお土産・グッズを手に入れることができます。ここでは、3つご紹介します。お店を「発掘」すると、心惹かれるものがたくさん見つかるかもしれません!

古墳型ケーキ

最初は「古墳型ケーキ」。個人で営んでいる洋菓子店「プティ・マルシェ&ぷちまるカフェ~」さんが作っていらっしゃいます。店頭販売でのみ味わえるこちらのケーキは「前方後円墳」の形。2層構造のケーキの中には・・・?こんもりした墳丘の周囲は円筒形埴輪を模したココアメレンゲで囲われています!併設のカフェでのイートインかお持ち帰りになりますが、確実に味わうためにはウェブサイトにある、専用の予約フォームでの申し込みをおすすめします。大きさや価格、オプションも掲載されています。

※店舗URL※
http://www.petitmarche-nara.jp/kofun.html
(ページ下部にある「古墳型ケーキ専用ご予約フォーム」から入力できます。)

大和の古墳風呂敷

次にご紹介するのは、44基もの古墳がこれでもか!とプリントされている「大和の古墳風呂敷」です!奈良県内の古墳の形が集められています。畳半畳ほどの大きさに、前期から終末期の古墳が描かれ、併せて各古墳の名称が記された解説の用紙が添えられています。通常の風呂敷としての用途の他にも見ごたえあり、飾りごたえありの便利な風呂敷ではないでしょうか。

※六一書房 「風呂敷 大和の古墳」販売のページURL※
http://www.book61.co.jp/book.php/H00097
(購入、及び商品詳細ページになっています。)

キトラ四神マスキングテープ

最後にご紹介するのは、「キトラ四神マスキングテープ」です。近頃、文房具店や雑貨のお店で手軽に購入できる「マステ」。奈良県ではキトラ四神が描かれたものがあります。販売されているのは、先にご紹介した「奈良県立橿原考古学研究所付属博物館」のミュージアムショップです。キトラ四神の他にも縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・奈良絵・埴輪休憩中、と各時代を模したマスキングテープも揃っているので、古墳巡りの感動を思い起こしながら選ぶのも、楽しい思い出になるのではないでしょうか。

※奈良県立橿原考古学研究所博物館 ミュージアムショップURL※
http://www.kashikoken-yushikai.org/shop07/goods12.html
(ページ中ほど&左側に、マスキングテープの説明があります。)

後世に残せるか?奈良県が誇る貴重な宝

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古墳も然り、古代の様相を現代に語り継いでくれる多くの遺跡・遺構が存在する奈良。高松塚古墳やキトラ古墳などの「世紀の大発見」とならずとも数百基の古墳が残るこの地をどのようにして後世に継いでいけばよいでしょうか。守る取り組みと盗掘の2つの課題を考えてみましょう。

文化を守る取り組み

794年の平安京遷都から1,000年以上もの間、いわゆる「都市」の開発から守られてきた奈良の都。その後、京都を経て現在の首都圏へと首都機能が移動し、発展を遂げた高度経済成長期にも開発の波を免れました。その背景の1つに、陵墓が数多く造営されていることが挙げられます。宮内庁により陵墓に治定されると、その古墳の管理を宮内庁が行います。そうすると開発行為は禁止されますし、中への立ち入りや発掘もできません。この制限によって現在までその姿が残されてきたのです。また、壁画の劣化を食い止めるために修復作業が行われていることは周知のことと思われます。出土品などを展示する博物館も、私たちが見るだけではなく、保存・修復・研究を行う重要な役目を果たしてくれています。

過去の副葬品盗掘

古墳内部には故人が眠る棺や骨壺はもちろんのこと、勾玉や銅鏡を始めとする祭祀に用いられるものから、武具、被葬者がまとう装飾品などの様々な副葬品がありました。前述の天武・持統天皇陵も盗掘の被害にあった古墳の1つです。副葬品はもとより、棺・骨壺の内部まで持ち出されてしまった記録が残されています。大正時代には、佐紀陵山古墳で持ち出された副葬品が古物商に流れるなど、近年まで盗掘が起きていました。未盗掘の状態で古墳が発見されれば、「どこに、何が、どのように」副葬されていたかが当時と変わらない状態でわかります。それだけで今後の研究に大きな価値を発揮するのです。

まとめ:古代の都と開発のはざまで...

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奈良盆地/Wikipediaより引用

奈良には、古代から続く長い歴史の流れと、観光という地域振興の流れが存在しています。歴史への無関心や一過性のブームで終わらせることなく、古墳や出土品の造形から、奈良の過去とこれからに想いを馳せてはいかがでしょうか。

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