関ケ原という場所は古代からの戦場だった!?

関ケ原の主戦場、不破郡関ケ原町

関ケ原の中心部
関ケ原の中心部/wikipediaより引用

西暦1600年に起こった東軍・西軍による関ケ原の戦いは天下統一をかけた大合戦として有名です。「関ケ原の戦い」という呼称の由来は、美濃国(岐阜県)不破郡関ケ原を中心として合戦が行われたためです。現在も多くの武将の本陣跡や合戦場跡が残り、当時の時代的背景を知ることが出来る場所です。表記の方法として「関ヶ原」が有名ですが、「関ケ原」と、ケの字は大きく書くのが正式な表記であると言われています。

関ケ原の特徴と背景

関ケ原は東西のほぼ真ん中にあたる美濃国にあり、古くから交通の重要拠点として重要な意味を持ってきました。政事が京の都で行われていた時代に特に重要な意味を持っていた土地であり、関東、九州などからの反乱を防ぐ関所として長く重要視されてきました。後述するように多くの戦乱の舞台となっていて、日本全体の変革の中心地となってきた場所です。もっとも有名な関ケ原の戦いは現代に渡るまでさまざまな書籍や映像作品のテーマとされており、現在も「天下分け目」をテーマに観光地化が推進されています。その関ケ原がある美濃国不破郡は、現在の関ケ原町と垂井町にあたります。垂井町は秀吉に仕えた名軍師、竹中半兵衛ゆかりの地であり、現地では拠点であった陣屋跡、彼の早世を弔う禅幢寺などが現在も見ることができます。

天下分け目の土地

美濃市の画像

一番町通り/wikipediaより引用

関ヶ原では歴史上多くの重要な戦いが起こっていて、その最初が西暦672年に起こった「壬申の乱」であり、歴史に変革をもたらした反乱として有名です。当時の朝廷が敗れるという衝撃的な結果となりましたが、勝利した大海人皇子が天武天皇に即位し、日本の近代的な仕組みを数多く整備しました。この戦乱をきっかけに京への三大関所のひとつ「不破関」が整備され、政権への反乱勢力を厳しく取り締まったといわれています。次いで関ケ原にほど近い場所で「青野原の合戦」が起こっています。二大巨頭の南北朝時代における両勢力の激突として有名な戦いです。上洛、京への到達をかけた南朝の有力者、北畠顕家を足利勢、美濃守護の土岐頼遠が迎え撃ちます。このとき土岐頼遠達は進撃の順番を、くじ引きによって。決めたと言われています。結果は北畠頼家が勝利しながらも気力を使いはたし、上洛を諦めるという痛み分けに終わりました。そして東軍は徳川家康と西軍は石田三成を筆頭とした関ケ原の戦いが起こっています。この戦いに勝利した東軍の徳川家康によって江戸幕府が開かれ、260年余りにわたる江戸時代が始まります。このように関ケ原は東西のせめぎ合う場所として、天下分け目の決戦が数多く行われてきました。

関ケ原町に残る夢の跡

関ケ原には多くの武将の本陣跡、古戦場が今も残っています。特に有名なところに笹尾山頂にある石田三成本陣跡、そこから500メートルも離れない場所で東西両軍が最大級の激戦を広げた「関ケ原古戦場跡」があります。ここは国によって歴史上の価値を認められ、史跡に指定されています。現在はむろん平穏ですが、同じ場所で大将の首へ殺到する東軍と死守する西軍の攻防が繰り広げられていたと考えるとその様子を想像するのも一興かもしれません。ついで有名と思われる西軍、小早川秀秋の布陣した松尾山があります。松尾山は関ケ原の戦いにおいて戦況を把握できる位置にあり、合戦の結末が小早川秀秋にかかっていたという可能性を考えると、教科書で見た時とは考えが変わるかもしれません。そして武力という点で有名であった武田信玄の様式を継ぐ井伊直政、その娘の婿である松平忠吉の陣跡も有名です。「武田の赤備え」は有名ですが、それを名実ともに継承した「井伊の赤備え」と呼ばれる部隊を編成しています。井伊直政は島津義弘の軍を相手に大きな戦果を挙げていますが、突出したことにより鉄砲に討たれています。その島津義弘の陣跡は井伊直政の陣跡から1キロ近く北西にあります。隊列を組むことによって疑似的な連発銃のように撃ち続ける鉄砲隊が有名であり、真っ向から騎兵隊を撃ち落として活躍したといわれています。総勢15万名がひしめく関ケ原においてわずか800名による撤退戦はもっとも有名なエピソードです。終戦時の為、実際は数万名にまで減っていたと思われますが、最大の激戦地を突っ切って突破したという事実から島津義弘の器量が推測できます。

まとめ

ライオンの画像
上有知湊跡川湊灯台/wikipediaより引用
関ケ原はその位置関係上から「日本のへそ」と呼ばれていますが、東西、南北がちょうど激突する地として少なくとも3度の全国的な合戦の舞台となりました。その史跡や陣跡は今も多く残っていて、現在の関ケ原町によってより詳細に体系化されています。実際に赴き、武将たちの詳細な人物像や合戦にいたるまでの背景を知ってから史跡をめぐると、より鮮明に合戦の様子を想像したり、今までとは違う視点から歴史上の人物を見られるかもしれません。

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