聖徳太子の予言!?東京へ降りかかる大災厄とは!?

聖徳太子が予言者となったワケ

聖徳太子は逸話と謎に満ちた人物であり、そもそも実在しなかったという説や、キリストの生まれ変わりであるとか、10人の言葉を同時に理解したとか、真実性を確かめようもない話がたくさん伝わっています。また同時に、聖徳太子は予言の書を残していて、その中で都が京都に遷都され、そののちさらに東京に移されることや、鎌倉幕府が崩壊すること、さらに現代については21世紀の東京で大災害が起こることなどまで予言していたとされます。聖徳太子が神格化、神秘化された結果、このような話が生まれてきたのでしょう。ここではそうした話題のうち主なものを見ていきます。

キリストの生まれ変わり

聖徳太子の生い立ちにはイエス・キリストとの類似点が多く指摘されています。まず、聖徳太子は厩戸のまえで生まれたとの伝説がありますが、聖書によればキリストも馬小屋で生まれています。聖徳太子は少年期から仏教の経典を理解したとありますが、キリストもまた少年のころから当時のユダヤ教を理解し、大人たちに講義していたとあります。こうしたことから、仏教とキリスト教の違いはあるものの、聖徳太子がキリストの生まれ変わりであるとの考えも出てきました。ちなみに「聖徳太子」は後世の呼び名なので、教科書などでは「厩戸王(聖徳太子)」と表記することが増えてきました。

10人の言葉を同時に理解

人々の請願を聞いていた聖徳太子が、一度に10人から聞いて、すべて漏らさず理解し、的確に返答したというエピソードは非常に有名です。このことから聖徳太子にもう一つの呼び名「豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)」ができました。このエピソードはいくつかの文献で確認できるのですが、文献ごとに人数が違っています。一説には8人、『日本書紀』その他では10人、また別の文献では11歳の時に36人を聞き分けたとされています。学校の先生などが二、三人を聞き分けるといったことはあるかもしれませんが、10人を超えるとなると正直ありそうにないように思います。聖徳太子は非常に頭がよかったので、このくらいできるのではないかと、あとから話が作られたという説もあります。聖徳太子は奇跡的に頭がよかったのでしょう。

遣隋使–日出づる処の天子が日の沈む処の天子にご挨拶

聖徳太子が活躍した時代の天皇は、天皇家初の女帝、推古天皇でした。聖徳太子は推古天皇の皇太子となり、天皇とともに対外的に積極的な政策を打ち出しました。朝鮮半島の新羅を攻略したこともありますが。遣隋使を送った時に日本と当時の中国王朝の隋にたいてい対等性を主張したことは当時の常識を超えたものでした。このような大胆なエピソードもまた、聖徳太子の神格化、神秘化に一役買っていたに違いありません。

悲劇のヒーロー、聖徳太子の死

聖徳太子はその晩年宮廷から遠く離れた斑鳩宮に移り、政治の中心から遠ざかりました。政治的に失脚していたのかもしれません。太子の死後、息子の山背大兄王(やましろのおおえのみこ)の一族は、蘇我入鹿(いるか)の襲撃を受け、一族ともども滅亡しました。
若い時代に日本を支えたものの、次第に中央から遠ざけられていくパターンは、菅原道真などと同じですね。このような日本人が好む悲劇性もまた、太子に謎のベールをかぶせたことでしょう。

聖徳太子の予言

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幼いころから天才的な能力を発揮した聖徳太子は、数々のエピソードの主人公となりました。また同時に聖徳太子が行ったとされる、さまざまな予言の話が今日に伝わっています。聖徳太子自身が常識を超える人物だったために、このようなエピソードや予言の話が伝わったのだと思います。次に聖徳太子が行ったとされる予言のうちいくつかを見ていきたいと思います。

奇書!『未来記』と『未然本記』

聖徳太子が行ったさまざまな予言の根拠は、おもに二つの書物、『未来記』と『未然本記』
に求められます。まず聖徳太子が書いたとされる『未来記』ですが、この書物の本文は現代に残っていません。『未来記』の記述は平安時代から中世にかけて書かれた他の様々な書物のなかに、引用のかたちで残っているのみです。中世はさまざまな『未来記』が出現した時代でした。『未来記』は現実には書かれなかったという説が有力です。
『未然本記』は『皇太子未来記 : 未然本紀』として国会図書館デジタルコレクションで確認できますが、これもまた聖徳太子が書いたものではなく、江戸時代に作られた書物の一部であり、江戸幕府はこれを偽書として禁書にしました。

日本の首都は京都に移りそれから東京に移るよ

「自分が死んで二百年以内に京都に都ができ、千年続いてから黒い龍がきて東に移る」と記されているのが、平安京が成立し以後明治まで京都が都となったこと、その後黒船が来航し明治維新がおこり東京が首都となったことと符合します。

楠木正成は見た!鎌倉幕府の滅亡

建武の新政で鎌倉幕府に対して後醍醐天皇が挙兵したとき、天皇に味方した楠木正成は四天王寺で「未然記」をみたところ、幕府が滅亡すると書かれていたので、これが自分の天命だと悟り、幕府滅亡の立役者になりました。

来年東京に大災厄が来る!?

じつは上の都が遷る話には続きがあります。「それから200年が過ぎるとクハンダが来て東の都は引き裂かれるだろう」クハンダは漢字で鳩槃荼と書き、増長天の一族で、馬頭人身の悪鬼を意味します。要するに仏教上の怪物です。この文言を現代に詳しく当てはめて、明治維新から200年後の2068年、あるいはその前の2030年とか2019年、2096年に東京を大災厄が襲うと予想しているのです。

まとめ、聖徳太子の予言とわれわれ日本人

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以上、聖徳太子について、その超人エピソードと書物をのこして未来を予言した予言者だったというエピソードを見てきました。輝かしい神童時代や晩年の悲劇が人々の気持ちをゆり動かし、中世に数多く書かれた未来記の主人公となっていったのでしょう。聖徳太子の予言にはわれわれ日本人の思いが反映しているのです。

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