新撰組の主要メンバーってどんな人たち?役職に就いていた方々をご紹介します!

 

新撰組という組織は知っているものの、メンバーの名前や、どんな人かを知らない人は多いと思います。そんな方々のために、今回は現在わかっている範囲で、役職に就いていた者の名前や生涯、活躍などをご紹介していこうと思います。

 

新選組の主要メンバー

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新撰組は、局長から副局長、参謀、総長、各隊組長で構成され、それぞれが主要メンバーです。ここでは、各役職についていた主要メンバーの詳細を一人ずつご紹介していきます。彼らの人柄や、生涯、エピソードなどを見ていきましょう。

 

役職 名前
筆頭局長 芹沢鴨
二代目局長 近藤勇
局長 新見錦
副局長 土方歳三
参謀 伊藤甲子太郎
総長 山南敬助
一番組組長 沖田総司
二番組組長 永倉印パ地
三番組組長 斎藤一
四番組組長 松原忠治
五番組組長 武田観柳斎
六番組組長 井上源三郎
七番組組長 谷三十郎
八番組組長 藤堂平助
九番組組長 鈴木三樹三郎
十番組組長 原田左之助

上記の表を参考に、一人ずつご紹介していきます。

 

筆頭局長「芹沢鴨(せりざわかも)」

かなりの酒好きで、乱暴者のイメージをもたれているのが芹沢鴨です。一方、子供たちの面倒見がよく、子供たちに慕われていたという説もあります。新選組は「芹沢派」と「近藤派」の2つに派閥が分かれていました。芹沢=悪ということが前提に、現代で語られることが多いのですが、残されている資料がデフォルメされ、近藤派を正当化するような表現があるようです。しかし、彼の悪評は新撰組の中でもそれなりにあったことから、暗殺されるに至っています。

 

二代目局長「近藤勇(こんどういさみ)」

近藤勇の人物像で上がることが「いつもニコニコしている」などといった当時の証言があり、百姓とすれ違う時に、いつも笑顔だったようです。また、「努力家だった」という記述も残されており、剣術の腕を磨くため、誰よりも稽古に勤しんでいる姿があったようです。近藤勇は局長という重役の立場でしたが、実戦にも参加しており、池田屋事件では、先陣を切り敵に囲まれながらも活躍して生き延びています。新政府が立ち上がった頃に、新選組の局長だった近藤勇は、新政府によって斬首刑に処せられました。一説には、坂本龍馬・暗殺に新撰組が関わった疑いがあったため、処刑されたのではないかという説もあるようです。また、当時は切腹という処刑方法は武士に行うものであり、元々旗本だった近藤勇は斬首という処刑方法がとられたのではないかという見方もあります。

旗本:中世から近世における武士の身分の一つ

 

局長「新見錦(にいみにしき)」

新見錦という人物は、新撰組局長を務めた人物でありながらも、その影は薄いです。芹沢や近藤のことはよく覚えていた八木為三郎も、新見に関しては「まるっきり覚えがない」「気が付いたらいなくなっていた」と述べています。新見錦についての、功績や、エピソード、人生などの記述はほぼありません。ただ局長という座にいたにも関わらず、悪行の末に切腹を命じられたというものがほとんどです。また、名前の読み方については諸説あり『新見』の読み方は「にいみ」「にいのみ」「しんみ」などが言われており、どれが正しい読み方なのかは定かではありません。

 

副局長「土方歳三(ひじかたとしぞう)」

土方歳三は「鬼の副長」と呼ばれていたことは、有名な話です。彼は、副長という立場でありながらも、強きリーダーとして新撰組を引っ張っていた一人です。新選組のルールである局中法度(きょくちゅうはっと)を作り、自身にも、組員にも厳守させていました。破ったものには、情けをかけることなく切腹や粛清を行ってきたと言います。土方が殺めた人の数は、敵よりも身内のほうが多かったともいわれています。また、鬼といわれる由来は他にもあり、悲惨な拷問を行っていたことからも、そう呼ばれていたと思われます。剣豪ぞろいの組員らに、恐れられる存在だったようです。しかし、「信念を曲げないで、嫌われ役にもなる」という彼のリーダーシップには、私たちも学ぶべき点があるのは確かでしょう。

 

参謀「伊藤甲子太郎(いとうかしたろう)」

まず、参謀という役割は、補佐役という立場で、指揮官・指導者のサポートをし、意思決定に際し進言・献策などの重要な役割をする役職です。そんな重要な立場にいた伊東でしたが、後々新選組を脱退することになります。新撰組は「禁門の変」において、功績を残したことで、正式に幕臣への採用が具体化されることになります。しかし、伊東は、新選組・参謀でありながらも、勤皇派だったため「これはまずい」と思い、新選組を脱退しました。後に、御陵衛士という名の新組織を結成するに至りますが、新組織・結成うんぬんの前に、新選組・脱退は死罪であるため、油小路事件で暗殺されてしまいます。

幕  臣:江戸幕府の将軍直属の武士
勤 皇 派:天皇のために働くという派閥
御陵衛士:孝明天皇の陵を守るための組織

総長「山南敬助(さんなんけいすけ)」

まず、山南敬助の『山南』という漢字の読み方は「やまなみ」と「さんなん」の2通りの説があります。これは、晩年、山南が名乗っていた「三南三郎(さんなんさぶろう)」という名から、「山南」は、本来「さんなん」と読む可能性が高いとみられているからです。山南は浪士組から参加し、芹沢と新見が粛清されたころに、近藤派が統一され、そこで総長に就きます。山南敬助の死については2つの説があるようです。一つ目は、脱走の果てに、最終的には切腹を命じられたという、仮説です。脱走の理由としては、新選組の規模が拡大するにつれ、屯所が手狭になったことから、任生から西本願寺へ移転することになり、それに反対したからだといいます。
脱走は、局中法度(新撰組の掟)を破ったことになるので、追っ手を出した後に切腹を命じたといいます。ただし、この説は、近藤勇が切腹を命じたという記述のみで言えることなので明確なことはわかっていません。二つ目は、切腹による自殺(命令から来る切腹ではない)という説があります。健康的な問題を抱え、新選組で活躍することができず、居場所を失い自殺したという説です。
両説とも、決定づける要因はいまだ見つかっておらず、山南敬助の死は謎のままなのです。

 

一番組組長「沖田総司(おきたそうじ)」

「猛者の剣」と呼ばれたのがこの沖田総司で、局長・近藤勇の一番弟子にあたる人物です。
弟子とはいえ、その強さは師匠以上だともいわれており、それは幼少期から既に身についていたようで、いわゆる天才とも言えます。また、彼の強さこそ師匠以上だったが、沖田にとって近藤勇は絶対的な存在でした。沖田は、「政治的ポリシーのために人を斬る」というより、「近藤勇のために人を斬る」というようなものでした。その忠誠心と、垣間見える残忍さから「沖田は人を斬る道具だ」とも言われたそうです。彼は、その強さと忠誠心を評価され、幕府から信頼を得ていましたし、何より近藤からの信頼は絶大でした。そのため、暗殺という業務も任され、芹沢の暗殺メンバーにも加わっていたようです。新撰組で、一番隊組長を務めあげた沖田ですがその人生は短いもので、27歳の時に肺結核で死没しています。しかし、沖田は最後まで近藤勇と一緒に戦いたかったと願っていたとか…。

 

二番組組長「永倉新八(ながくらしんぱち)」

新撰組最強の剣士の中でも遅咲きだったのが永倉新八です。
永倉が得意とする剣術は「力の剣法」といわれるもので、得意な技は「龍飛剣」という名のものです。どういった技かというと、下段の構えから剣を擦り返し、切り落とすという豪快な技です。
永倉新八は、新選組の初期グループである浪士組から参加しており、ほとんどの戦闘に参加しています。中でも派手な戦闘を繰り広げた池田屋事件の伝説が有名で、防具はボロボロで、左手親指を負傷し、刀も折れたが、拾った刀で戦い続けたというものです。
永倉は自身の信念を曲げず、時には局長である近藤勇さえ批判するほどの、強い意志をもった人間だったともいわれています。

 

三番組組長「斎藤一(さいとうはじめ)」

斎藤一は、局長や、他の隊長よりも年下であったが、最強剣士の3本の指に入っており「無敵の剣」とも呼ばれていました。因みに、三番組組長に就任したころ、彼はまだ20歳で、近藤勇より10歳、沖田総司の2歳年下でした。
斎藤は、新選組の中でも万能な役割を果たし、スパイや暗殺も任されていました。剣の腕が立ち、真面目な性格だった斎藤一は、近藤勇にも信用されていたようです。
しかし、斎藤に限っては豪快なエピソードが残り、酒癖が悪かった面、女癖が悪かった面など、少し残念な一面があったようです。
斎藤は、新選組という組織が消滅しても、生き残りとして、名前を変えて警視庁に再就職しています。また、斎藤一が改名を繰り返していたことは有名で、何か大きな分岐点がある度に名前を変えており「本名:山口一→斉藤一→山口二郎(次郎)→一戸伝八→藤田五郎」と改名されています。
しかしながら、山口二郎(次郎)、一戸伝八あたりは、スパイ活動のための、別名ではないかという説もあるようです。

 

四番組組長「松原忠治(まつばらちゅうじ)」

松原は、28歳で壬生浪士組(後の新撰組)に入隊し、池田屋事件の際には土方隊に所属し戦闘に参加します。30歳の時に四番組組長を務めました。
しかし、新選組にいる時期は短く、四番隊隊長就任後たった4ヶ月で死没。彼が命を落とした原因は諸説あります。酒の勢いで口論になった相手を斬り殺してしまったが、斬り殺した相手の妻に「浪人との斬り合いで、助けに入ったが間に合わなかった」と偽りを告げました。その後、斬り殺してしまった相手の妻と恋に落ち、それが土方にばれたことで、切腹を命じられました切腹に至りました。しかし、未遂に終わり、その後傷が癒えずに死亡したというのが一説です。
他にも、殺した相手の妻と心中したという説、夫を殺された事実を知った妻に殺されてしまうという説があります。しかし、現段階でその死は謎のままになっているます。

 

五番組組長「武田観柳斎(たけだかんりゅうさい)」

武田は、新選組の中では珍しく医学を志した青年でした。彼は、浪士組から参加し、軍師として勤めています。新選組と形を変えた時に、五番組組長に就任しますが、同時に「副長助勤」「文学師範」「軍事方」と様々な役職を与えられます。輝かしい肩書きをもつ武田でしたが、伊藤甲子太郎のような勤皇思想をもっていたため、新選組を脱退しています。武田は最終的に暗殺されていますが、その理由が脱退だったのか、穏便に脱退後の勤皇活動が理由で暗殺されたのかは不明のままです。

勤皇思想:天皇のために働くという考え

 

六番組組長「井上源三郎(いのうえげんざぶろう)」

井上は、浪士組に参加する前から既に、土方歳三や、近藤勇と面識がありました。土方とはともに稽古に励んだ仲であり、井上は近藤勇の兄弟子であったからです。
彼は、他の華麗な経歴をもつ沖田などと違い、免許皆伝まで10年ほどかかっていいます。沖田が天才ならば井上は努力家の秀才です。浪士組から参加した井上ですが、浪士組が新選組に名前を変える頃に、「六番組組長」及び「副長助勤」を任されます。彼について具体的なエピソードは少ないものの、池田屋事件で幕府からの褒賞金リストに名前を連ねています。他にも、新選組が幕臣になった際も彼の活動は高く評価されています。

褒賞金:功績を認められ支払われるお金
幕 臣:江戸幕府の将軍直属の武士

七番組組長「谷三十郎(たにさんじゅうろう)」

谷は、種田流槍術の師範で、十番組組長・原田左之助の師匠でもあります。
剣術と槍術の腕は諸説あり、一説は神明流剣術の指南役であり剣術一本だったこと、もう一説は槍術の達人だったということ。しかし、後者は弟・万太郎が槍の名手であったため、混同された可能性が高いです。新撰組では、禁門の変や、大阪焼き討ちの計画を阻止するなど活躍しています。ところが、1866年(慶応二年)4月1日に祇園石段下で死体となって転がっているのが見つかります。死因ははっきりわかっておらず、斎藤一に暗殺された説と、飲酒による脳卒中の説があるりますが、詳しいことはわかっていません。

 

八番組組長「藤堂平助(とうどうへいすけ)」

斎藤一と並び、最年少幹部(当時20歳)であるのが藤堂平助です。
彼は、津藩主の御落胤ではないかという説があります。若いころからヤンチャな性格で、近藤勇からよく「品行が悪い」と注意されていたそうです。池田屋事件で新選組の名が上がったころ、新撰組の本来の志である「尊王攘夷(そんのうじょうい)」と大きくかけ離れてしまい、その時期から藤堂は失望を感じていました。後に、藤堂は新撰組を脱退し、伊藤甲子太郎に連れられ御陵衛士(ごりょうえいじ)に身を移します。しかし、新撰組による暗殺された伊藤の遺体を奪還するべく、罠と知りながらも現場へ向かい、死闘の果てに戦死しました。

落胤:地位のある男が正妻ではない女性に密かに産ませた子供
尊王攘夷:君主を尊び、外敵を斥けようという思想
御陵衛士:孝明天皇の陵を守るための組織

 

九番組組長「鈴木三樹三郎(すずきみきさぶろう)」

鈴木三樹三郎は、斉藤一と同様に数回改名しています。本名は「鈴木多聞」といい、父親が亡くなり志筑藩中小姓格寺内増右衛門の養子に迎えら「寺内多聞」に改名しましたが、酒豪が原因で離縁させられたあたりで「三木荒次郎」と改名しています。新撰組に加入希望を出したころになると「三木三郎」と名乗り、新撰組を脱退して御陵衛士時代には「三樹三郎」や「三木和泉」と名乗っていたようです。明治以降に弾正台(だんじょうだい)の巡査になる頃には「忠良」と名を変えています。
また、あまり派手なエピソードがないため、新選組を題材とした現代の作品では、取り扱われることが少ないです。

弾正台:律令制下の太政官制に基づき設置された監察・治安維持などを業務とする官庁の一つで、明治時代初期に一時的に設けられたものです。

 

十番組組長「原田左之助(はらださのすけ)」

谷三十郎を師匠にもつ原田左之助です。家族思いで、よく子供の自慢をしていたといいます。
新撰組の中では、永倉新八と仲が良く、共に靖兵隊(せいへいたい)を結成。新撰組時代には、斎藤一と同様、坂本龍馬暗殺の下手人と疑われましたが、現代では新撰組は龍馬暗殺には無関係ではないかといわれています。

靖兵隊:新撰組から派生した幕末にできた組織
下手人:殺人犯

 

新撰組その他メンバー

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新撰組は200人程の大規模な組織でしたが、前述でご紹介させていただいたメンバー以外にも、副長助勤や諸士取調役兼監査(しょしとりしらべやくけんかんさ)などの役職もあるので、配属していたメンバーの名前だけ表にまとめてご紹介します(現時点で配属が確認されている者のみとなります)

 

副長助勤 説明 副長に次ぐ序列です。この役職は重要な会議にも参加することができます。
メンバー 尾形俊太郎・山崎蒸・平間重助・野口健司・安藤宗太郎・

平山五郎・佐伯又三郎

既に紹介済みの

メンバー

沖田総司・永倉新八・斉藤一・松原忠治・武田観柳斎・

井上源三郎・谷三十郎・藤堂平助・鈴木三樹三郎・

原田左之助・伊藤甲子太郎

伍長 説明 各組長の補佐役です。各伍長は、だいたい隊員5名をまとめる役割があります。
メンバー 島田魁・川島勝司・林信太郎・奥沢栄助・前野五郎・

阿部十郎・葛山武八郎・伊藤鉄五郎・近藤芳祐・

久米部正親・加納鷹雄・中西登・小原幸造・富山弥兵衛・

中村小三郎・池田小太郎・橋本皆助・茨木司・尾関政一郎・志村武蔵・安富才助・岸島芳太郎・大谷勇雄・中村玄道・

宮川信吉・真田四目之進

諸士取調役兼監査

(監査・

  調役並監査)

説明 敵状の偵察や情報収集の他、味方の素行を調べる役割があります。
メンバー 島田魁・川島勝司・林信太郎・山崎蒸・浅野薫・

篠原泰之進・新井忠雄・芦屋登・吉村貫一郎・尾形俊太郎・大石鍬次郎・安富才助・岸島芳太郎・安藤勇五郎・茨木司・川村隼人・村上清・谷修平

勘定方 説明 経理を担当する役職です。読み書きや、算盤に習熟した者が割り振られました。
メンバー 河合耆三郎・尾関弥兵衛・岸島由太郎・酒井兵庫・

中村玄道・安富才助・神崎一二三・青柳牧太雄夫・

矢田賢之助・大谷勇雄

 

 

 

まとめ:今までと違う視点でドラマやアニメを楽しもう

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新撰組メンバーは200人程といわれていますが、やはり巨大組織は今でいう大企業のように、多くの役職や階級が存在していました。中には重役に就いていましたが、新選組と根本的に思想が違い、脱退の末暗殺されてしまった方もいたようです。メンバーに詳しくなれたところで、新選組の歴史や、現代で再現されているドラマやアニメを今まで見てきた視点とは違った位置から見ることができるようになり、より深く楽しむことができますね。これを機に、既に見てしまったドラマなどを、見直すと新しい発見があるかもしれません。

 

 

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