アインシュタインの人生を総まとめ。天才の脳の秘密から後世に残した名言まで!

 

今回は天才アインシュタインの人生から名言、さらには脳の秘密まで総まとめにて皆さんにご紹介いたします。アインシュタインははなぜ天才と呼ばれているのか、その歴史に迫ります。また生涯の略歴からだけからは伝わりきらない、彼の人柄も彼が多く残した名言の一片をみれば伝わってくるものもあるかと思います。最後には科学的に彼の脳を分析した結果までまとめてあるので、その驚愕の結果もお届けします。この記事を読めばアインシュタインについて一気に詳しくなれること間違いなしです。

 

 

アインシュタインの生涯について

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まずは気になるアインシュタインのその生涯についてご紹介いたします。76年という彼の生涯には果たしてどのような出来事があったのか、順を追って解説していきたいと思います。

 

0歳(1879年):ドイツ・ウルム市に誕生

1973年3月、アルベルト・アインシュタインは、ヘルマン・アインシュタインとパウリーネ・コッホ夫妻の長男として誕生しました。出生地はドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市になります。父親は電気機械の工場を営んでいる真面目なユダヤ人で、母親は音楽が好きな心優しい女性だったそうです。

このアルベルトの出生地であるウルムにいたのは1年間だけだったそうで、その後は、当時ドイツの中心都市であったミュウヘンの郊外へと引っ越しました。理由としては父と叔父が電気化学工場を設立するためです。この叔父が電気化学に精通していたそうで、その後のアルベルトの功績にも叔父の影響を受けていると言われています。

5歳になるとアルベルトは羅針盤に夢中になります。父からもらった羅針盤なのですが、羅針盤の針をどれだけ動かしても同じ方向に戻ることがとにかく不思議で強い興味をもったそうです。そして、どうしてそうなるのかとことん考えた事が「一般相対性理論」の原点だとも言われています。9歳の頃にはピタゴラスの定義にはまり、12歳の頃には独学にて物理や微分に積分も学んでいたようです。自分が得意とする分野への開眼は大変早いことが分かります。

1894年、父と叔父の会社が行き詰まってしまい、一家は新たな成功を求めて引っ越します。新天地はイタリアのミラノでした。しかしアルベルトだけはギムナジウムにてしっかり学ぶために引っ越さずに残ることとなりました。アルベルトは大変優秀でしたが、規律や団体行動重視の教育方法が大嫌いで、当時のドイツ式軍国主義教育が合うはずもありませんでした。結局、アルベルトは学校を飛び出してしまい、父親の住むイタリアに渡ることとなりました。

 

16歳(1895年):一度はスイス連邦工科大学に落ちるものの・・・

大学はスイス連邦工科大学を目指しますが、受験した結果は不合格でした。しかし、アルベルトは数学と物理の点数が受験者の中では最高得点を出していました。その突出した能力に注目したスイス連邦工科大学の校長は、アーラウのギムナジウムに通うことを条件に、翌年度の入学資格をアルベルトに与えてくれたのでした。アーラウのギムナジウムの学校の校風は、ある程度の自由は保障されていたようでアルベルトにも合っていたようです。またここでアルベルトは不可思議な体験をします。それは、アルベルトが光の速さになって光を追いかけるという夢をみるというのものでした。これが後の相対性理論を生み出す切っ掛けになったといわれているそうです。

翌年、無事にスイス連邦工科大学に入校することを許可され、アルベルトはここで物理学を本格的に学ぶこととなります。同学も自由な校風だったそうで、数名の友人も得ました。しかし、アルベルトは真面目な学生だったかというとそうではありませんでした。大学の講義にはあまり出席せず、自分の興味ある分野だけに熱中したそうです。また化学の実験中に爆発事故を起こしたこともあったそうで、その際に学校は一時パニックになりました。大学の教師とも馬が合わず、よく衝突していたそうです。

卒業の年である1900年、アルベルトは数学と物理の教員資格試験に無事合格し、7月にスイス連邦工科大学も無事に卒業しましたが、大学の物理学部長と仲が悪かったために、大学の助手にはなれませんでした。様々なアルバイトで収入を得つつ、論文の執筆に取り組む日々でした。

 

23歳(1902年):スイス特許庁に就職する

不安定な収入で暮らしていたアルベルトでしたが、知り合いから特許庁への就職を斡旋されることとなります。結果、スイス特許庁に3級技術専門職として就職が決まりました。ここでアルベルトは大好きな学問である物理学の問題にとことん取り組む自由がたっぷりできました。それと同時に、特許申請書類の中の様々な数式や発明理論を知る機会を得ることにもなります。

1903年には兼ねてからお付き合いしていたミレーバと結婚します。アーレ川の近くにあるアパートで暮らし始め、翌1904年には長男のハンスを授かることとなります。

 

26歳(1905年):「奇跡の年」、有名かつ重要な論文を続けて発表!

アルベルトは26歳の時に3つの重要な論文を発表することとなります。この1905年はその事からも「奇跡の年」とも呼ばれています。アルベルトは1905年とそれに続く数年間で、「特殊相対性理論」・「光量子仮説」・「ブラウン運動の理論」に関連する5つの重要な論文を続て発表しました。アルベルトは特許庁の仕事をする傍ら、研究はずっと続けていて、論文もしっかりと書いていたのです。

そして1907年には、有名な式E=mc²が登場します。「質量とエネルギーの等価性」とその定量的関係を表しているこの式は、特殊相対性理論の帰結として発表されました。

 

30歳(1909年):大学教授に転職

1909年に特許局に辞表を提出し、チューリッヒ大学の助教授となりました。またこの年には彼の生涯で初となる名誉博士号も、ジュネーヴ大学より授与されています。

翌年、アルベルトはプラハ大学の教授となります。また待望の次男であるエドゥアルトも誕生しました。

 

35歳(1914年):第一次世界大戦が勃発

1914年、第一次世界大戦が勃発してしまいます。この頃に有識者に向けて「ヨーロッパ人への宣言」にて平和行動についてアルベルトは書いています。

 

37歳(1916年):一般相対性理論を発表する

1916年には一般相対性理論を発表します。この一般相対性理論には、星の重力によって光が曲げられるという予言も含まれていました。

翌1917年はアルベルトにとって苦しい年となります。それは黄疸や肝臓病といった病がアルベルトを襲ったらかです。さらに、第一次世界大戦が開戦した影響で、ドイツのスパイと誤認され捕虜にされてしまいました。

1919年には、皆既日食において、太陽の重力場で光が曲げられることがケンブリッジ天文台の観測により確認されました。それは一般相対性理論が物理学理論としての一定の地位を得ることに成功したともいえます。さらにこの事は世界のマスコミにも頻繁に取り上げられ、これによってアルベルト・アインシュタインの名前は一躍世界的にも有名となったのです。

1919年はアルベルトのプライベートでもひと騒動ありました。それは妻のミレーバと離婚して、従姉のエルザと結婚したのです。アルベルトがエルザに好意を抱いたきっかけは、アルベルトが過労で倒れた際にエルザが親身に看病してくれた事らしいです。

 

42歳(1921年):世界各地を訪問。さらにはノーベル物理学賞を受賞

オランダやアメリカ、フランスやイギリスなど世界の国々を訪問しました。1922年には日本にも訪問を果たし、43日間滞在したそうです。その際には大正天皇にも謁見しています。さらに日本では慶應義塾大学の大講堂での講演を皮切りに、全国各地で講演も実施しました。聴講には当時としては比較的高額な金額がかかったらしいですが、どの公演も大人気で多くの人が押し寄せたらしいです。

この日本へ向かう最中の11月9日に、アルベルトは1921年度のノーベル物理学賞受賞の知らせも受けています。受賞理由は、「理論物理への貢献、特に光電効果の法則の発見」とされています。

 

54歳(1933年):アメリカへ亡命

1933年、ドイツにてヒトラーが政権につきました。アルベルトはナチによる迫害から逃れるため、ベルギーからイギリスを経てアメリカに亡命します。プリンストン高等研究所の教授になりました。そんな新天地での生活が始まった最中の1936年には妻のエルザが亡くなってしまいます。

1940年になるとアメリカの市民権を無事に取得します。1952年にはイスラエル初代大統領のオファーがありましたが、これを辞退するという出来事も起こっています。

 

76歳(1955年):死去

1955年4月18日、アルベルト・アインシュタインは米国のプリンストンにてこの世を去りました。死因は動脈瘤でした。アルベルトは死の直前まで研究を続けており、入院していた病院でも研究をなんとしても続けるべく、秘書に電話をして必要な用具を持って来るよう伝えていたそうです。死期が迫っているにも関わらず、そんなことよりも自分は研究がしたいんだというアルベルトの強い意志が伝わってきます。彼の突出した知性もこのような並外れた好奇心のなせる技なのかもしれません。

アルベルトの死後、同年7月9日には彼が生前に署名していたラッセル=アインシュタイン宣言が発表されました。ラッセル=アインシュタイン宣言というのは、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶や科学技術の平和利用を訴えた宣言文になります。また、12月17日にはプリンストンでアルベルトを偲ぶコンサートも開催されました。

 

アインシュタインの名言8選

 

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「現代物理学の父」や「20世紀最高の物理学者」と評されるアインシュタインですが、実は多くの名言を残しているのをご存知でしょうか。相対性理論や相対性宇宙論、揺動散逸定理など数々の偉大な発見でその名を残しているアインシュタインですが、学問的な側面だけではない人生の哲学にも通じる心に響く言葉がたくさん残っています。そんな数ある彼の名言の中から、特に心に響いた8つに名言をご紹介いたします。

 

1. 「教育というのは、学校で学んだ事を全て忘れてしまった後にも、しっかりと残っているものだと思う。そして、その学んだ成果を社会が直面している様々な問題の解決に役立たせるべく、能動的に考えて行動できる人間を育てること、それが教育の目的なのではないか。」

この言葉を聞くと耳が痛くなる方も多いのではないでしょうか。4年制の大学まで通われた方であれば20歳を過ぎるまで教育を受けている人も多いと思いますが、どれだけそれが後に残っているかと問われると、自信がなくなる方もいることでしょう。ただ卒業さえすればいいという考えで勉強をしてしまっている方だと、本来の教育にて得られるべき成果に届いていない可能性が高くなってしまいます。現在の教育の制度そのものに問題点があることも否めませんが、まずは教育を受ける本人自身の考えたかを変えることから始めてみると良いかもしれません。その教育を受けることの目的や将来どの様にありたいかというビジョンを持つようにして行動すると、今までと同じ教育を受けていても取り組む姿勢や得られるものが変わってくるはずです。

 

2.「私は何ヶ月も何年でも考え続ける事ができる。99回はその結論は正しくないかもしれないが、100回目には正しい答えを導き出すことができる。」

この名言を聞くと、多くの方はまだまだ努力が足りないなと思ってしまうのではないでしょうか。何事も継続することが大切と言いますが、一般的に天才と評されるような方々は継続や努力という側面でも周りより一歩も二歩も飛び抜けてるのだと思います。これはスポーツであれ学問の分野であれ共通して言えることだと思います。壁にぶつかってしまったり、思い悩むこともあるとは思いますが、アインシュタインの言葉にもあるようにいつかは正解にたどり着けるはずです。時には休憩を挟みつつも、一歩一歩前進していきましょう。

 

3.「6歳の子供に分かりやすく説明する事が出来なければ、理解したとは言えないだろう。」

社会人になった方であれば上司の方などから似たような事を言われた経験がある方も多いのではないでしょうか。その事柄が全く分からない人でも理解できるような説明を心がけるように言われた経験がありますが、アインシュタインに言わせると、6歳の子供に説明できるようでなければ理解したとは言えないと、これまた考えさせられます。物事の表面だけ理解しているような人では、6歳には上手く説明できないはずです。本質を理解していて、言葉を置き換えたり例えも出せたり出来なければならないでしょう。大事なプレゼンをする前などは今一度、この名言を頭に入れて当日のイメージをすると良いかもしれません。

 

4.「学べば学ぶほど、自分は何も知らないという事がよく分かる。同時に自分が無知であると知れば知るほど、私はより一層学びたいという気持ちになる。」

学問を探求する方の根源にあるような言葉だと思います。例えば音楽が大好きな人でも、全てのジャンルの全ての音楽を知っているという人は存在しないのではないでしょうか。日々新しい音楽は生み出されていますし、未知のジャンルとの遭遇もあります。常に謙虚にかつ貪欲に知識は追い求めるものなのかなと思います。

 

5.「人生とはまるで自転車のようなものだと思う。倒れたくないのであれば、走らなければならない。」

 

挫けそうになっている人の背中を押す、これ以上にない名言ではないでしょうか。人それぞれに様々なコースが用意された人生ですが、思わず立ち止まってしまいたくなることもあると思います。しかし、苦しくてもペダルを漕ぎ続けていけば、人生はなんとか道がひらけたりするものです。時には周りの力を借りることもあるとは思いますが、ゆっくりでも良いので進んでみようとする姿勢が大切なのではないでしょうか。

 

6.「過去からよく学び、今日のために精一杯生き、明日には希望を持ちましょう。ここで大切な事は、常に疑問を持つ事をやめないことである。」

今を生き抜く真理が全て詰まったような名言です。中でも疑問を持つことをやめないことだという言葉はアインシュタインらしいと思います。常に疑問や興味を持ち続けられれば、その人の人生は輝き続けられるのではないでしょうか。疑問があればその思いを解消するために行動が生まれますし、そこでまた新たな疑問が生まれます。考え続けることできっと毎日は楽しくなるはずです。

 

7.「私には特別の才能なんてものは無いと思っている。ただ単に私は、人よりも情熱的に好奇心が旺盛なだけである。」

どんな分野でも前線で活躍されている人は、同じようなことを言うのではないでしょうか。一流と呼ばれるような人はただ流れに身を任せて生活しているだけでなく、常に疑問や興味を途切れることなく持ち続け、自分の分野を探求し続けているのだと思います。行き詰まって自分の才能を疑うよりも前に、今一度、自分の好奇心の強さに目を向けてみると良いと思います。

 

8.「他の誰かの為に生きてみてこそ、人生には価値があるというものだ。人は誰しも一人で生きてるわけではありません。家族だったり友達だったり恋人だったり、きっと大切な人がいるはずです。自分なんて孤独だと思う人でも、完全に切り離されては生活できていないと思います。電車を運転する人やコンビニの店員など、人は助け合って生きています。是非、そんな周りの人の笑顔を考えて生きてみると、自分の人生もまた違って見えるのではないでしょうか。」

 

 

一般人とアインシュタインの脳の違い

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最後にアインシュタインの脳と一般の人の脳の違いについて詳しくみていきたいと思います。あれだけ突出した知性を持つアインシュタインです。きっと脳も常人とは違った特徴があるのではないでしょうか。はたしてどの様な違いがあるのか、分かり易くご紹介いたします。

 

そもそも脳ってどんなものなの?

まずアインシュタインの脳の話をする前に、我々の脳って一体どんなものなのか、概要や特徴を簡単にご説明したいと思います。

まず脳というのは、動物の頭部にある神経系の中枢器官になります。我々が知性を持ってこうした文章を読めるのも脳がしっかりと機能しているお陰と言えます。平均的な大きさは1400gほどで、体全体に占める割合で言えばそこまで大きな器官ではありません。しかし体全体のエネルギー代謝量でいうと全体の約20%を占めており、その活動量の大きさが分かります。

脳の外観について

脳は硬膜、そしてくも膜、さらには軟膜という3つの膜にて保護されています。その先に見えてくるのは、前頭葉、後頭葉、頭頂葉、側頭葉からなる大脳新皮質がまずみえてきます。さらには小脳、脳幹も見る事が出来ます。他の組織については大脳新皮質によって覆われているために直接は見ることが出来ません。

大脳について

大脳は、一般的に脳と聞いてみなさんがイメージされる部分であり、実際に脳の大部分を占めています。外から見えている部分は大脳皮質と呼ばれる部分で、その中に大脳基底核と大脳辺縁系という組織があります。

大脳皮質について
ここが司る役割は、一言で言ってしまうと”考える”ことになります。また聞いたり、話したり、物を見たり、想像したりする事も全て大脳皮質が深く関わっています。エジソンの脳の違いを考えていく上でも最も大切な器官といえます。

 

脳の重さが軽かった

いよいよ本題のアインシュタインの脳と一般的な人の脳との違いについてです。まず違いがあったのは脳の重さについてです。一般的に頭が良いと言われている人は頭も重いイメージがありますが、アインシュタインの場合はどうだったのでしょうか。一般的な人の脳の重さは大体1,400gと言われています。これに対してアインシュタインはと言うと、1,250gしかありませんでした。150gも軽かったのです。このことからも頭の良し悪しというのは必ずしも脳の重さから決まるということはなさそうです。

 

右脳と左脳の溝が浅かった

脳の機能についてはまだまだ研究段階で未知な部分も多く含まれる分野ですが、脳の大きな構造としては右脳と左脳に左右に分かれており、担当している情報処理の分野も異なっています。この左右の脳の間にはシワのような溝があるのですが、この溝が最新の研究によるとアインシュタインの脳は一般の人よりも浅かったというのです。

この溝というのは右脳と左脳との間を行き来する情報を通すパイプの役割をしています。この溝が浅いということは、この情報のやり取りがよりスムーズに行うことが可能となります。つまり、これはアインシュタインは一般の人よりも頭の回転が速いということが言えるのではないでしょうか。

グリア細胞の数が遥かに多かった

アインシュタインの脳を解剖して詳しく研究してみると、神経細胞の数に関しては一般人とそこまで大きな差異はみられませんでした。しかし、別の細胞でとても多く存在しておりいるものがありました。その細胞は「グリア細胞」と呼ばれるものです。

このグリア細胞を簡単に説明すると、神経細胞に栄養素や酸素などを運ぶために動いている細胞になります。ですのでこのグリア細胞があるからこそ神経細胞は活発に活動が出来るといえます。さらにはこのグリア細胞は、ダメージを受けてしまった神経細胞を見つけ出し、その箇所を保護し修復する働きをも併せ持っています。

あれだけのすごい発見をアインシュタインが出来てしまったのも、このグリア細胞が多いという事実が影響していたのではないでしょうか。

 

 

まとめ:やはり天才はすごかった

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さて今回はアインシュタインのその生涯から名言、脳の秘密まで内容盛りだくさんでお届けいたしましたが、いかがでしたでしょか。天才の知られざる一面を発見することもできたのではないかと思います。アインシュタインは確かに常人よりはるかに優れた天才だということは間違いない事実だと思いますが、どのような人にも通じる名言も数多く残しています。特に「私には特別の才能なんてものは無いと思っている。ただ単に私は、人よりも情熱的に好奇心が旺盛なだけである。」という言葉は分野は違えど必死に頑張っている全ての人の背中を押す、熱いメッセージだと思います。趣味でも仕事でもなんでもいいので夢中になれる何かを見つけ、日々情熱を傾け続ける事が成功への近道かもしれません。

 

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