新撰組の中で最も強かった剣士はいったい誰?永倉新八、沖田総司、斎藤一?

 

プロの剣士集団、新撰組。名だたるメンバーの中で誰が一番強かったのか、気になる方もいるのではないでしょうか?局長級から隊長級まで主要なメンバーは17人居ます。今回は新選組の剣の腕前を中心に、特に強いとされていた剣士の腕前を見ていきましょう。

 

新撰組の中で最強剣士は一体誰だったのか

 

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有名な剣士は何人か挙げられますが、一体誰が一番強かったのでしょうか。まずは、候補となる剣豪を見ていきましょう。

 

最強なんて簡単に決められない!主要メンバー全員その道の師範だった

そもそも、新選組で最強を決めることは非常に難しいことなのです。剣の強さでは、それぞれがその道の師範レベルであったといわれています。いわゆる『プロ集団』です。また、道場での強さと、実戦での強さも異なりますし、メンバー同士で直接戦ったことがあるわけではありません。

 

最強候補は3人「永倉新八、沖田総司、斎藤一」

候補としてよく名前が挙がるのは、永倉新八、沖田総司、斎藤一です。よく「一に永倉、二に沖田、三に斎藤」と言われていました。それぞれの特徴や、武勇伝をみてきましょう!

 

 

実力では最強の剣豪、新選組二番組組長「永倉新八」

 

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実戦での実力が最強だと言われたのが永倉新八です。彼の剣の道や、得意技、伝説に残る戦闘シーンについて、それぞれ簡単にご紹介させていただきます。

 

永倉新八の出生

永倉新八は江戸に生まれ、19歳の時に剣術を学んだといいます。新撰組の中では遅咲きのようです。25歳の時に自分を試すために江戸を出て、道場やぶりをしていたそうです。江戸に戻った時期に師範代を務めています。永倉新八は、新選組の初期グループである「浪士組」の時期から参加しています。新選組が結成される頃には『二番組組長』兼『撃剣師範』を務め活躍するに至ります。

 

剣技が超一流!永倉新八の必殺技とは

永倉新八は遅咲きではあったものの、神道無念流で免許皆伝でした。神道無念流は力強い打突や、上段からの一本を尊ぶ「力の剣法」といわれるような流派なのですが、その得意技は「龍飛剣」というものです。どういった技かというと、下段の構えから敵の剣を擦り上げ、返して切り落とすという豪快な技です。

 

伝説に残る戦闘

永倉新八の鳥肌伝説が、有名な「池田屋事件」です。「池田屋事件」自体、大乱闘を巻き起こした有名な事件ですが、その中で永倉新八は大活躍しています。激しい戦いの中で、永倉は左手親指に深い傷を負いますが、無我夢中で戦っていたようで、痛みすら感じていなかったとか。あまりに激しい戦いだったため、防具はボロボロになり、土間のたたきに刀がぶつかり折れてしまうのですが、落ちていた刀を拾い、それで戦っていたのです。そんな中でも、永倉新八は4人を討ちとる功績を上げていました。剣の腕も最強を感じられますが、執念深さという点では永倉新八が最強としても名高いのではないでしょうか。

 

晩年にも永倉新八の伝説が

晩年は、永倉は映画を好み、よく孫を連れて映画館へ行っていたといいます。ある時、映画館の前で、地元のヤクザに絡まれたそうですが、鋭い眼光と一喝で退散させたといいます。さすが死闘を潜り抜けてきた永倉。ヤクザなど微塵も怖くないのですね。

 

 

師匠である近藤勇ですら敵わない、新選組一番組組長「沖田総司」

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近藤勇は沖田総司の師匠にあたります。その師匠である近藤勇とは、やはり身内ゆえに実戦で剣を交える機会はなかったものの、沖田総司の強さから「実戦で戦ったらきっと近藤勇ですら敵わない」と言われていました。そんな沖田総司の詳細をご紹介したいと思います。

 

沖田総司の出生

沖田総司は幼いころから剣の腕前は天才的でした。12歳の時点で藩の指南役と試合をして勝利したという記録があります。どのぐらいの腕かといいますと「小学生が先生に勝ってしまった」というほどのものです。そして19歳で早くも免許皆伝で塾頭となり、近藤勇の一番弟子になります。その一年後、後の新選組である『浪士組』に参加し、その時は近藤勇と同じ部隊で活躍しました。その後、『浪士組』から『任生浪士組』になり、最終的に『新撰組』へと変わっていったころに、沖田総司は一番組組長として就任します。この頃、沖田は、永倉に「猛者の剣」と呼ばれていたのです。

 

沖田総司の必殺技

最強と呼ばれる人間には、大抵必殺技があるようで、沖田総司も必殺技をもっていました。それが「三段突き」です。これは、一度の踏み込みで強烈な突きを3度入れるという驚異的なものです。というのも、凡人クラスは一度の踏み込みで突きは1度、頑張って2度入れられたら上出来ではないでしょうか。ですが、さすが沖田総司、身体能力も驚異的なものがあり、人間業と思えない必殺技で敵を蹴散らしていたようです。「一発食らった」と一瞬思ったが、実は「三発も食らっていた」というエピソードも残るくらいです。必殺技だけで言ったら沖田総司が最強でもいいのではないかと思ってしまいますね。

 

政治のためではない、全ては近藤勇のために…

沖田総司はかなりの数を斬ってきた剣豪ですが、政治的ポリシーのために仕事をこなしていたわけではなく、全ては師匠であり上司である近藤勇のためだったといわれています。一見師匠思いで、好青年に見えてしまいますが、はたからみると「ただ人を斬る道具だ」と言われてしまっていたそうです。人の見方は千差万別ですが、強すぎるゆえに、誠実すぎるゆえに、そういわれてしまったのかもしれませんね。

 

 

万能な役割をこなす、新選組三番組組長「斎藤一」

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これまで永倉新八と沖田総司を紹介してきましたが、続いて斎藤一についてみていきましょう。永倉や沖田にはできなかった斎藤一の役割や、破天荒なエピソードも併せてご紹介いたします。

 

斎藤一の出生

斎藤一の父は明石藩の足軽だったのだが、江戸にて旗本の鈴木家に使えることになり江戸に移り住みます。この時期は斎藤一ではなく、本名である山口一として生活しています。そんな中、斎藤一が19歳の時、若い旗本と口論になったことから真剣勝負をすることになり、殺す気はなかったのだが、誤って斬り殺してしまったのです。それが斎藤一、人生初の人斬りでした。その後、身を隠すため山口一改め斎藤一として京都で身を隠すことになりました。京都では身を隠す中、道場で師範代を務めていました。その後、『浪士組』が京都で再結成されたときに名前を変えた『任生浪士組』に参加することになります。さらに『任生浪士組』の格が上がったことで『新選組』という名前になったころには、斎藤一はまだ20歳でした。その若さで「副長助勤」兼「三番組組長」として活躍するに至ります。この頃、永倉新八に「無敵の剣」と呼ばれるようになりました。

足軽:武士集団の最下級の兵士
旗本:武士の身分の一つ

 

斎藤一の役割

斎藤一は池田屋で、最前線に立って死闘を繰り広げたことでも有名ですが、彼の役目は派手な戦闘だけではなく、スパイも引き受けていました。スパイに抜擢された理由では、寡黙で真面目な性格だったことから局長である近藤勇の命令を忠実にこなすだろうといわれていたことが挙げられています。斎藤一が腕利きのスパイだった話もよく聞かれる話で、現在も坂本龍馬の暗殺をした、犯人候補に挙がっているくらいです。また、それだけでなく粛清役も行っていたので、新選組の中では万能に役目を果たしていたようです。

 

池田谷事件における斎藤一

斎藤一の強さというのは、池田屋事件が分かりやすいと思います。斎藤一は常に新鮮組の最前線に立って戦ってきた人間ですが、大乱闘になったあの池田屋事件でも最前線に立ち、まるで生死など眼中にないという戦いをしたといいます。聞いただけでも鳥肌が立ってしまいますね。また、彼の強さは剣術だけではなく、運、メンタル、生命力に至るまで強靭だったと言われているのです。

 

得意技はやはりあれだった!

沖田総司や永倉新八に必殺技があったように、斎藤一にも必殺技がありました。斎藤一といえば、るろうに剣心で若い人たちに名が知れたと思うのですが、アニメの中の斎藤一は「牙突」という必殺技がありますね。本物の斎藤一はどうだったかというと「牙突」という名前の技ではありませんが「片手一本突き」あるいは「片手平付」といった牙突と似通った必殺技をもっていました。もちろん牙突は片手一本突きをかなり誇張したものになっていますが、るろうに剣心は実際に基づいて斎藤一というキャラクターを作り上げたと言えます。

 

斎藤一の驚きのエピソード3

①酔ったふりなのに本当に酔っぱらっちゃった!
新撰組は度々、作戦の中で酔ったふりをして攻撃を仕掛けるというものがありましたが、なんと酒豪だった斎藤一は、作戦にも関わらず本当に酔っぱらってしまったという話があります。
②笑いながら斬りつける?!
斎藤一は酒癖が悪いことで有名だったのですが、何よりたちが悪いのが酒を飲むと人を斬りたくなる衝動に駆られていたというのです。上機嫌でニコニコ笑っていたと思ったらすさまじい剣術を揮ってきたという話があります。
③土方副隊長に大目玉を食らった
新撰組の隊員同士で遊び、門限を破ってしまったことで斎藤一は土方歳三に大目玉を食らったといいます。あの有名な「鬼の隊長」を怒らせて無事で済んだことが幸運ですね…

 

 

強い存在感を示す、土方歳三

 

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これまで3人の剣豪について強さのエピソードを語ってきましたが、最強という点において、もう一人、よく名前が挙げられる人物がいます。土方歳三です。

 

土方歳三の出生

土方歳三はもともと農民の家系に生まれています。実家が裕福で何不自由のない生活をおくっていたものの、土方歳三には夢がありました「武士になりたい」。しかし、当時は身分を変えることは難しく、農民の子は農民と決まっているようなものでした。しかし、後に『新撰組』と名前を変えることになる組織『浪士組』の募集があり、募集条件は「農民でも、罪人でも構わず、強いものは入れる」という斬新的なものでした。土方歳三は、武士になるために浪士組に入隊し、後に新撰組の副長として組員を引っ張っていきます。

 

リーダー、そして指揮官としては最強だった

土方歳三は新撰組の副長として、ルールである鉄の掟を作り、組員に順守させました。掟は計5つとさほど多くはないのですが、1つでも破れば切腹を命じるという強烈なものでした。土方歳三はその鉄のルールに反するものは、親しくしていた者にも切腹を命じたり、逃げたものには刺客をを出し、粛清させました。一説では殺めた人間は敵よりも身内のほうが多かったと言います。そんな土方歳三は「鬼の副長」とも呼ばれていたのは有名な話です。また、戦闘では指揮官として立っていました。土方が居ない間は戦況が悪かったものが、土方が到着して指揮をとりだしたら戦況が逆転したなんて話もあるほどです。

 

土方歳三の伝説

①縦横無尽な戦闘
土方の戦い方は、様々な方法がとられており、刀を使ったものだけではありませんでした砂を投げて怯んだ隙に斬りつけたり、時には絞殺したり、首を絞めて失神させ生け捕りにしたりしていたそうです。
②拷問も行っていた
土方の拷問は凄惨なもので一例を挙げると、逆さづりにし、足の裏から五寸釘を刺しそこに百目ろうそくを立てて燃やしたといわれています。

 

 

まとめ:それぞれが新選組で重要な役割を担っていた

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一概には誰が強いなどと、いえないことがわかりますね。ですが、それぞれの中の役割や立場、剣術など、どれかの分野で絞って見ていくのも面白いかもしれません。あなたの中であこがれた剣士は誰でしたか?
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