新撰組一番のモテ男、土方歳三ってどんな人??

 

新撰組の中で鬼の副長と名高い土方歳三について、幼少期からはどんな人間だったのか。「鬼の副長」と言われるに至るまでの経緯など、詳しく掘り下げていきたいと思います。また、彼の生き様から何を学べるのかも考えてみたいと思います。

 

お金持ちのおぼっちゃまだった?「土方歳三」の生い立ちなどをご紹介します

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新撰組の中でも有名な土方歳三、後の新選組副長にのし上がった人物ですが、簡単なプロフィールや、浪士組(後の新選組)に入る前はどういった人生だったのか、掘り下げていきたいと思います。
鬼の副長と呼ばれた土方歳三の原点とはどういったものなのでしょうか。

 

土方歳三のプロフィール

氏名 土方歳三(ひじかたとしぞう)
出身地 武州多摩郡石田村(現在の日野市石田)
身長 168㎝
誕生 1835年5月31日
死没 1869年6月20日
享年 35歳
死因 戦死
時代 江戸時代末~明治初期
新撰組 別名 鬼の副長

 

土方家は武士の家系じゃなかった

そもそも土方家は、今でいう大富豪ではあるものの、農民の家系でした。農民といえば農民らしい格好をすることが想像できますが、土方歳三が生まれた多摩地方は、ちょっとばかり違っていました。天領と呼ばれる幕府の管轄で、自分たちは将軍様直属の百姓だというプライドがあり、日頃から剣術を学んだり、武士のような身なりをしていたのです。

 

幼少時代の土方歳三

幼少時代の土方歳三のあだ名は「バラガキ」でした。その由来というのは「顔に似合わず、触るとケガをするイバラのような悪ガキ」という意味です。一昔前のガキ大将のようなものです。また、家が裕福ともあり、何不自由ない生活を送っていましたが、その生活には満足できずいつの間にか「武士」というものに憧れをもっていきました。

 

どうしても武士になりたかった!

後に新撰組副長として幹部になった土方歳三でありますが、前述のとおり、お金持ちの農家の末っ子で、当時は生まれながら変えることのできない身分の差というものがありました。農民の子は農民、武士の子は武士と決まっていたものでした。しかし、土方歳三は「いつか本物の武士になる」という信念を持ち続け、農民でも、罪人でも強ければ入れるという浪士組(後の新選組)に入隊することで、夢を叶えることができました。

 

 

鬼の副長と呼ばれることになった偉業とは

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浪士組が新選組に昇格した際、土方歳三は副長に任命され、幹部として責任を果たす中、実戦でも活躍したとされています。また、新選組の中で何故彼が「鬼の副長」と呼ばれるに至ったか深ぼりしていこうと思います。

 

有言実行で組織を引っ張る

まず、副長という立場では新撰組の掟を作りました。その掟である「局中法度」というものがかなり厳しいもので、例を挙げると「戦いの最中逃げ出さない」「脱退禁止」といったものがあります。万が一その掟を破った場合、切腹するといったものです。切腹せず逃げた者にも刺客を出し粛清します。こういった厳しい掟を自分にも組員にも徹底させ、それを維持することで新選組を引っ張っていきました。また、新選組を天下一の組織にし、近藤勇の名を世に轟かせるといった明確なビジョンを掲げ有言実行に至りました。

 

指揮官としては最強だった

剣術の腕前でいうと、土方歳三は沖田総司や斉藤一には及びませんでした。ですが、戦略を練ったり実戦で指揮を務めていた彼は指揮官としては有能だったといいます。あの有名な池田屋事件でも、土方が到着するまで新撰組は不利になっていたのですが、彼が到着し指揮を執るとあっというまに戦局が有利になったのです。

 

殺めた数は敵より身内のほうが多かった

土方歳三の鬼っぷりは指揮や戦闘だけではありません。自身がたてた掟を破ったものは容赦なく切腹を命じ、逃げたものは粛清させました。時には拷問まで行っていたとか。その人数は膨大で、殺めた人数は敵よりも身内の方が多かったとも言われています。こういった敵も身内も容赦ないのが鬼の副長と言われた要因でもあります。ただ、どんな組織についても憎まれ役の存在は必要で、彼なくして新撰組はなかったと言っても過言ではないのです。

 

 

かなりの美男子だった土方歳三

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これまで、土方歳三の生い立ちや、鬼っぷりを語ってきたわけですが、彼の容姿も気になりますよね。現代で再現されるような顔立ちなのか、はたまたガタイのいい大男なのか。多くの方が気になっていることを解決していこうと思います。

 

土方歳三ってどんな顔?

土方のイメージとしてはまず、現段階で分かっているのは身長ですね。ここでは168㎝と記載をしましたが、今の標準くらいでしょうか?当時の平均身長が160㎝程度なので、今で言えば170㎝以上ある人を見ているようなイメージでしょうか。気になる顔立ちは「色白で引き締まっている」「役者のようないい男」というものです。役者のようなと言われると、確実にイケメンの部類に入りますよね!では、実際の写真を見てみましょう。

どうでしょう?白黒で分かりづらい部分はありますが、土方歳三が生きていた時代にしては西洋寄りの顔立ちですね。結構なイケメンですし、鬼の副長のイメージも何となく雰囲気が伝わってきますね。

土方蔵三の画像

土方蔵三/Wikipediaより引用

 

どこへ行ってもモテる男

前述では結構なイケメンでしたよというお話をしましたが、実際のところモテてたのかも気になりますよね?実際モテてたかというと…モテてたんですね。新撰組で一番のモテ男と言っても過言ではないです。新撰組自体が人気のない町でも、彼だけは例外だったり、京や江戸で沢山の女性と関係をもったり、ラブレターを沢山もらっていたりというモテ伝説が絶えないです。また、土方歳三は俳句が好きだったということもあり、こんな句をよく読んでたと言います「報国の こころわするる 婦人かな」これは「モテまくって仕方ない!女で仕事まで手が回りませんわ」というような意味の句です。羨ましい限りですね。

 

 

土方歳三の愛刀について語る

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土方歳三は名刀使いとしても有名です。彼は複数の名刀と兼定シリーズを所有していたと考えられています。ここでは、土方が愛用していた刀について詳しく迫っていこうと思います。

 

和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)

刀身が2尺8寸で土方歳三の愛刀としてはもっとも有名な刀です。現保管場所に届けられたその刀は届けられた際に物打ち部分にところどころ刃こぼれがみられ、激しい戦闘を思い起こさせるようだったといいます。また、この兼定においては、寸違い(長さ違い)で複数所有していたとみられています。現在東京都の土方歳三資料館にて、補修された状態で保管されています。

 

葵紋越前康継(あおいもんえちぜんやすつぐ)

刀身は2尺3寸5分で、江戸初期の刀工のものとされています。土方の鍛刀技術が高く評価され、徳川家の「葵の御門」を茎に切ることが許可されたことで使用することになります。

 

大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)

刀身が2尺2寸8分とほかの愛刀よりやや短い作りで、先端が軽くなっています。このことから、土方はこの刀を片手用として使用していたのではないかと考えられています。

 

 

土方歳三最後の戦い

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土方歳三は、新選組副長として、多くの戦いを生き抜いてきた強靭な人間ではありますが、35歳の時に、戦いにおいて銃弾を浴び倒れることになります。その最後の戦いとはどんなものだったのでしょうか?

 

銃弾に倒れた最後

1868年明治より、新政府軍と旧幕府軍との対立が激化していた。正に古い時代と、新しい時代が交差している最中です。対立戦闘が激化する中、近藤勇が新政府軍に処刑されることになり、土方歳三が先陣を切って戦うようになったのです。1869年5月11日、新選組が死守していた島田魁らが新政府軍に包囲され孤立してしまうが、土方がわずかな兵を率いて向かいました。敗走してくる者に対し「退くものを斬る!」と一括し、馬にまたがり鬼のように戦うが、新政府軍の銃弾が腹部を貫き、落馬し絶命しました。最後まで味方にも厳しく、最後まで己を貫いた生き様に感動を覚える者も多いのではないでしょうか。

 

 

まとめ:土方歳三の生きざまに学ぶ

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いかがでしたか?意外と西洋風のイケメンな雰囲気とモテ具合に驚いた人も多いのではないでしょうか?また、最後まで己を貫き、嫌われ役もかって出る土方歳三のリーダー像については、私たちも学ばなければいけない部分は沢山あると思います。夢や、信念を持ち続け、あきらめない気持ちを捨てないことが人生において大切だということは、この土方歳三の生き様をみてわかりますね。

 

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