ソクラテスの哲学を追う 〜より良く生きるためのヒントを探る〜

 

ソクラテス?最近、書店で哲学を扱った書籍を目にすることが増えてきました。ここでは、「哲学の祖」とされるソクラテスの思想をご紹介します。

 

そもそも哲学とは?

 

4yi9eeJ9mWZ8MSRjE1U66zOb2rCr7TaYW2q_0TLYbMGc6Q0DD2-Upgj94D_qsMlZtgwuFgMXDZ8XZWKSbPUcpP4Tv2PVKs-exyobXAbqa7IMEZ2264Lh73vfyHvzbqsq7fHnKBMo.jpg

 

「哲学を採り入れてって言うけど、どんなものなの?」「なんか難しそう。」皆さんが哲学に対するイメージはこのようなものかもしれません。まずは、哲学について簡単にお伝えしましょう。

 

哲学ってどんなもの?

「哲学って何?」と考えること自体が哲学といえます。物事のとらえ方をわかりやすく説明できるようにすること。そして、説明の方法を追求していくことです。人により、また属する組織や環境によって感じ方や考え方はそれぞれに異なりますね。そのうえでの共通理解として「そもそも、これはどういうものなのだろうか」や、「これは何故そうなるのか」と常に「常識」を疑問の対象にして物事の本質を問いかけることが哲学と考えてみてください。物事に絶対的な定義付けはできなくとも、本質を考え抜き、答えを出し抜くことで、単なる「価値観のぶつかり合い」から抜け出せると思いませんか?

 

哲学の歴史

「哲学」の語源は「知を愛する=フィロソフィー」です。ソクラテスが生まれたギリシャの常識は神話を下に成り立っています。しかし都市の発展に伴って人とモノの流れが活発になると、諸外国からそれぞれの「神話=常識」が流入し、ギリシャのローカルルールが通用しなくなっていきます。グローバル社会で多種多様な人々に通用する常識を造り上げることが求められ、その過程で生まれたのが哲学と言われています。知識と常識の本質を探求する動きですね。

現在、哲学が見直されているのはなぜ?

様々な常識があふれ、揺れ動く現代社会。どのように自分の人生・キャリアを切り拓いていくか。常に頭のどこかにあるのではないでしょうか。グローバル化は現代も同じこと。単に知識の暗記・詰め込みや、誰かに教えてもらうものではなく、自分で考える力が求められています。私たちの中に、哲学者という先人の知恵を紐解かせる何かがあるのかもしれませんね。

 

 

ソクラテスと時代背景

ソクラテス/Wikipediaより引用

哲学、殊、古代哲学の祖といわれるソクラテス。いかにしてソクラテスならではの思想が形作られていくのか、彼が生きたギリシャ・アテネの時代を追っていきましょう。

 

影響を与えたアテネの政治情勢

アテネ民主制が花開き、平和と繁栄の時代が長く続くも、急激な時勢の変化を迎えました。戦争が起こります。断続的に約30年続いた戦いは人々と社会を暗闇で包み込んでいました。最後には武力による独裁政権が立ち、平和な終結には至りませんでした。革命を経て、ソクラテスの思想に対して反目的な注目が集まり戦争責任ともとれる裁判にかけられます。混乱の中でソクラテスは自説を曲げることなく唱え続け、処刑されるのです。

ソクラテスの生涯

ソクラテスは紀元前470年前後にアテネに生まれました。彫刻家の父と助産師の母のもと、青年期には自然科学も学びます。有能な将軍ペリクレスが活躍した時代です。その後、40歳を迎えるころに「ペロポネソス戦争」が勃発します。ギリシャ人同士の主導権争いです。ソクラテスは約10年の間に重装歩兵として3度アテネ側に従軍し、アテネ市民としての義務を果たします。この間、ペリクレスの死去、ペストの流行と続きアテネは衰退していきます。「デルフォイの神託」により賢き者についての問答が起こると、権力者から反感を買い裁判にかけられます。堂々と自説を述べたことで、死刑宣告を受けますが、潔く毒杯をあおり70歳の生涯を閉じました。彼が祖となった古代哲学は知の体系化がなされていない混沌とした時代でした。

 

 

フィロソフォス・知恵を愛する人ソクラテスの思想

 

e1-5wvBTO-pOeQ3STbYzyPKfl1oyfX3kjZJAbMrc3MIjA7ES8L4UXUAerLy7DBroT42AlEvzUMpdBf2rQjt8KyxrGejoMZhtt1GnNg34Xs8vAtQyAp_tkhKJN9YPasuxevKcyCMI.jpg

 

自らの命乞いをするよりも、自身が得た真実に忠実に動いたソクラテス。「哲学」は、「知を愛する」・「フィロソフォス」に由来しています。ここでは、彼の思想を「知恵」の扱い方から追っていきます。

 

知徳合一

ところで皆さんは、自分が正しい知恵を持っていると意識することがありますか?ソクラテスは、人間が悪いことをするのは「徳」が少ないから、としています。正しい知恵を持つことは徳を持つことであり、正しい知恵を持っていれば罪を犯すことはない。すなわち、人間社会においては「知恵=徳」の図式が成り立ちます。ここでいう「知」は善悪を正しく判断できること・「徳」とは魂の善さを表します。例えば、人が悪いことをするのは、その人が「悪いことを悪いことだと知らない」から「悪いことをする」のですね。善悪を判断できる「知」を持っていれば魂の善さを表す「徳」を持つことになります。正しい知恵を持っていれば正しい行動がとれる「知行合一」にもつながります。なぜなら、「正しいことを知っている」人は「正しいことをする」ことができるのですから。

 

問答法

自分の意見を相手に一方的に押し付けるのではなく、相手の意見をよく聞いたうえて、その中の矛盾点を問うていく方法です。ソクラテスは自分の得た考えを人々に伝えるために、この方法を用いました。対話、すなわち継続する質問の中で、相手が自分自身の中で知らなかった部分に気づき、考えを整理し、知恵をもって矛盾点に気が付いていくので、より深い真理に辿り着くようになります。あくまでも「対話」なので、即座に完結する「クローズドクエスチョン」ではなく、「オープンドクエスチョン」を用いて、どんどん考えを表出していきます。これにより、ソクラテスの対話相手はソクラテスの考えを理解できるようになります。ソクラテスに問答をうけた

また、自分自身に質問を繰り返して「問答法」を行うのも、自分を深く知るには有効な方法でしょう。

 

社会契約論

ソクラテスは後に続く「社会契約論」の原型を残しました。拘留され死刑を待つソクラテスに逃亡を促しに来た、弟子のクリトンとのやり取りに残されています。ソクラテスは架空の相手「国家」「国法」との、「合意と契約」に関する対話を用いて、クリトンに逃亡を諦めさせました。すなわち、「国家の庇護のもとでソクラテスの両親が結婚し、ソクラテスが生まれ、育てられ、教育を受けた」「この祖国は父母や祖先よりも尊く神聖なものだ」「祖国が気に入らなければ外国へ移住することが認められているのに、ソクラテスはその選択をせず、家族を設け70歳の老人になるまでほとんど祖国に留まった」「したがって、国家とソクラテスの間には、合意と契約が成立する」という式が成り立ちます。この合意と契約をもって「それなのに、今になって合意と契約を一方的に破棄して、ソクラテスは国家から逃亡するのか?そのような不正が許されるのか?」とソクラテス自身を非難したのです。

 

 

ソクラテスの名言6選

 

PYnsXGCjpZJzXEifxE2i9t4Du6-1c4qpSaBj5SVzeO-yDVQwXWTAhG2BU50_orWmH4yWXfXGVtesF9cULQ3l5wdsOn6eh1M3-Ur1SRCrXC4BGKtxd9VrA-xHTdEmYMH-2TWM3SYb.jpg

ソクラテスは自らの考えを書物に残しませんでした。書物の言語が野放しに広まることを非難していたためです。ソクラテスの考え方では、話し言葉は音やリズムがある「生きている言葉」であり、書かれた言葉は「死んだ会話」であって反論を許さない柔軟性に欠けたもの、と捉えられます。彼が重きをおく「対話」にそぐわなかったのですね。暗記のような過剰な知識では、表面的な理解しかできないことも危惧しています。現代まで語り継がれているソクラテスの思想は弟子たちが書物に書き残したものです。それでは、ソクラテスによる「知識」ではなく「知恵」を6つの名言からご紹介します。

「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」

「無知の知」。もちろんアテネにも専門分野に長けた賢者がいました。これに対してソクラテスは異なる視点で切り口を入れます。賢者といわれる者も人間が生きるうえで大切な「真・善・美」、そして魂の善さを表す「徳」については何も知らないのではないか?と。すなわち「生きるとは何か?」という視点において「大切なことを知らないことを知っている」。ゆえに「ほかの賢者よりも賢い」と位置づけをしたのです。

「汝自らを知れ」

「無知の知」に関わる名言。ソクラテスが賢者といわれる人に会ってみると自身の考えを理解していなかったり、特定のことだけしか知らなかったり、あるいは自分は識者であると思い込んでいる人が多かったのです。ソクラテスは、いざ自分が最も賢い者といわれても、周りと大差ないと気付くのですね。知りもしないことに翻弄されたりする。そこで「汝自らを知れ」との考えを広めていくのです。

 

「私は誰の師にも成ったことはなかったが、一方で誰の問にも答えなかったことはなかった」

問答を通して「善き生」のために「知恵」について対話をしていたソクラテスにしてみれば、広い視点で捉えると皆「どんぐりの背比べ」ではなかったでしょうか。質問をし、また、質問に応じて受け答えをしていただけであって、先生として生徒・弟子に答えや知恵を授けたわけではありませんでした。あくまで平等な立場だったのです。

 

「あなたのあらゆる言動をほめる人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。」

そもそもほめてくる人は、その人自身の言動行動を説明できるのだろうか?案外自分のことをわかっていないのに、相手をほめることが出来るのだろうか?実際に話すことで(柔軟性に富んだ「生きている言葉」で)問答をするソクラテスですから、相手の言動の中に矛盾点を突くことができたのでしょう。自分自身が望む姿になるよう努力し、権力者に対しても臆せず(ソクラテスにとっては臆さないのが通常かと思われますが)意見をしてきたソクラテスならではとも考えられます。

 

「悪法も法なり」

ソクラテスは生きることに彼なりの意味を見出していました。ただ生きるのではなく、自分にとって善く生きようと意思を貫きます。時には立派な身分の者にも問答法で意見をします。権力者の中には自分の言動を説明できず困惑する者が出てきますが、その様を見た若者がソクラテスの真似をするなどしたため、権力者、果てはアテネ市民からも「社会を乱す者」として疎まれ始めます。そしてソクラテスは死刑判決を仕方のないことと素直に受け入れました。生きる価値を貫くため「悪法も法なり」とし、弟子による逃亡の提案も退けます。自説を曲げず意思を貫き通し、不正を行うことなく命を絶ったのです。

 

「死は、人間のもっているすべての恵みの中でも最高のものである」

「死は肉体よりの解放に他ならず」。古代ギリシャでは絶対的な存在の神に比べれば、人間は死んでしまう弱いものでした。しかし、ソクラテスは死を悲劇とは考えません。肉体を持つ以上は必ず限界がある。限界が訪れるのは欲などを持つ人間にとって、むしろ救いであり最高の恵みであると考えました。「弱さ」「悲劇」という否定ではなく、むしろ死への肯定と受け入れる姿勢が見られる名言です。

 

 

<まとめ>現代社会につながる、ソクラテスの教え

HOmcSDelsWGseh0qRf-gaBWajKjeIv6s2lJEU6gFhz2KWzGS9pJwprwPxmbgSIfBywz5RDYAnoB9dh_7JGAwNQGa5Gd6Ph9HErUpCa8ipHhi5sRZjNKFRXyFBSKFdiCCLHJN_kTG.jpg

 

人間はいかに生きるべきか。どのように生きていくべきか。知らないことに翻弄されることなく「善き生」であるために、ソクラテスの名言「無知の知」はなくてはならないものといえます。ソクラテスがとる方法は、相手が知識・真理を産み出す一助となるので、「助産術」ともいわれています。偶然にも彼の母親は助産師でしたね。自分の主義主張を押し付けずにとおすための姿勢は、学ぶものが多いことでしょう。ソクラテスが獄中でも貫いた「単に生きるのではなく、善く生きる」はまさに「知徳合一」「知行合一」でした。

 

<関連記事>アインシュタインの名言14選!現代物理学の父から生きるヒントを!