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歴史

沖田総司ってどんな人?新撰組で活躍した最強剣士の素顔に迫る

 

新撰組最強剣士で3本の指に入る沖田総司。彼は若くして新撰組・隊長に抜擢されましたが、その生涯は短いものでした。彼の天才的な生い立ちと、短すぎる人生、かっこよすぎる必殺技なんかも併せてご紹介させていただきます。

 

猛者の剣士、沖田総司とは

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新撰組の中で、若くして一番組組長を務め、「猛者の剣」と呼ばれた沖田総司。新撰組というのは主力メンバー全員がその道のプロということもあり、なかなか最強というものを決めることが難しいのですが、その中の3本の指に入るのが沖田総司です。その強さがいつからのものなのか、彼の生い立ちや、剣の腕前が如何程だったか、また必殺技なんかも紹介していきたいと思います。

 

沖田総司のプロフィール

 

名前 沖田総司(おきたそうじ)
本姓 藤原
幼名 宗次郎
出身地 江戸 白河藩屋敷
身長 167㎝~172㎝
生誕 1842年または1844年(生誕日はわかっていない)
死没 1868年7月19日
享年 27歳
死因 肺結核
時代 江戸時代~明治時代

 

剣術の腕前は若くして備わっていた

沖田総司の剣術の腕前は、12歳にして芽が出ており、その歳で白河藩の指南役と試合をして勝利したという記録があります。どのくらい強いかというと、小学生が剣道の先生に勝ってしまった様なものです。19歳の時には、免許皆伝で早くも塾頭となります。同じ天然理心流である近藤勇の一番弟子にあたります。正に刀を持つために生まれてきた天才とも言える経歴です。

 

新撰組の元祖、浪士組に参加

20歳になると、後に『新撰組』と名前を変える『浪士組』という部隊が結成され、それに参加します。浪士組は、過去に罪を犯した者であろうと、農民であろうと、腕に自信のあるものは年齢・身分問わず参加できるという画期的なものでした。もちろん、20歳の時点で誰もがその実力を認める強さを持っていた沖田総司は、すぐに志願し、師匠近藤勇と同じ三番隊1で活躍しました。

 

いよいよ新選組として活躍

浪士組は、八月八日の政変の警備で、その働きを評価され新選組として新たに動き出すのだが、沖田総司も新選組の一員として活躍しただけではなく、その強さも買われ一番組組長の撃剣師範を任命されました。

 

沖田総司の必殺技

天才剣士とも呼ばれた沖田総司には、必殺技がありました。それが「三段突き」です。刀で突きをする場合、一度の踏み込みで突きは一度です。ですが、沖田総司の三段突きは、一度の踏み込みにも関わらず、その間に三度の突きを入れるという正に神技です。それを可能にするのは、ずば抜けた身体能力と、猛烈に早い剣のスピードです。それを兼ね備えた沖田総司は正に天才という言葉が相応しいでしょう。

 

 

沖田総司の二極性をご紹介

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沖田総司は、刀を持った時の印象と、プライベートの印象とでは大きな差がある人間でした。その印象には正に天と地ほどのギャップがあり、その点も、沖田総司という人間に、多くの人が魅力を感じる要因なのかもしれません。そんな彼が、どのような人間性をもち合わせているのかご紹介します。

 

刀を持つと誰もが恐れる存在

これまで、沖田総司の剣の実力をご紹介しましたね。天才とも呼ばれた彼の強さは誰もが恐れるものでした。師匠であり、新選組の仲間である近藤勇とは実戦形式で剣を交えたことはないものの、彼ですら敵わないだろうと言われていました。また、刀を持った時の性格面では、非常に残酷な人間だと批判をされた経緯もあります。その残酷さは、仲間の粛清の時もみられ、兄の様に慕っていた山南敬助がルール違反により切腹した際に、容赦なく介錯(即死させる)したという話もあります。

 

政治的ポリシーは皆無の隊長

新撰組というのは、政治的要因や、治安を守るために立ち上げられたものだが、沖田総司は、一番組組長でありながら政治的ポリシーが皆無であり、指示があれば黙々と任務をこなすというというタイプでした。その姿から、周囲からは「人殺しの道具」とも言われていたそうです。

 

刀を納めると笑顔あふれる人柄だった

刀を持つと「人殺しの道具」と、いかにも恐ろしさが溢れる代名詞を与えられた沖田総司ですが、プライベートはというと、実は子供が大好きだったようです。後世に残る証言として「よくかくれんぼや、鬼ごっこをしてもらった」というものが残っています。このことから、沖田総司が普段は、子供にとって優しいお兄さん的存在だったことがわかりますね。また、陽気で冗談をよく言う明るい性格だったとも言われています。おそらくそれが、彼の本当の姿だったのかもしれませんね。

沖田総司の画像

 

 

沖田総司の愛刀について語る

 

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沖田総司の愛刀はいくつかの説があり、一つ目は「加州清光(かしゅうきよみつ)」次に「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」、現在可能性が箕臼にはなっていますが「菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)」も愛刀だったのではないかと言われています。その愛刀一つ一つに詳しく迫ってみましょう。

 

加州清光(かしゅうきよみつ)

沖田総司がいつ頃手に入れたかは定かではないのですが、1864年頃、初期に所有していたとされる刀が加州清光です。加州清光は六代目の藤原清光になり、沖田総司の加州清光は六代目の作品とされています。しかし、愛用できたのは池田屋事件までです。池田屋事件といえばかなり派手に戦った記録があるので、その際に加州清光はボロボロになり、鍛冶屋で修復をお願いしたが突き返されてしまいます。その際に破棄された可能性が高く、現在残っていないという状況になるわけです。

 

大和守安定(やまとのかみやすさだ)

江戸時代に作られた最先端の刀で武蔵国の刀工の作品で切れ味のよさが評判高かったとされています。罪人の死体を試し斬りしたところ、五つ胴を斬ったという伝説さえ残る刀です。大和守安定は現在残されてはいないのですが、なぜ沖田総司が使っていたと考えられるかというと、師匠の近藤勇が長曾祢虎徹(ながそねこてつ)という刀を愛用しており、その特徴と大和守安定の特徴が似通っていて、沖田総司は近藤勇の影響もあり、長曾祢虎徹に似ている大和守安定を愛用していたのではないかと思われています。

 

菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)

この菊一文字則宗は大変貴重な古刀で現在の価格でいうと、一本1000万ともいわれかなりの高額であり、大名クラスですら入手困難な代物のため、この菊一文字則宗を持っていたという話は今やフィクションではないかというのが通説になっています。余談ではありますが名刀ともあり、切味は他の刀と比べ物にならないらしく、たった一人斬り殺しただけでは刃こぼれ一つしなかったとか。

 

 

短すぎる人生の幕引き

 

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幼少期から刀の技術に恵まれ、とんとん拍子に新撰組に入り、一番組組長として華麗に活躍していた沖田総司ですが、皮肉にも若くして結核を患い、27歳の若さでその人生を終えました。その病床の中最後に願ったこととは何でしょうか。

 

死に際に願ったこととは

沖田総司が病床につく中、師匠近藤勇は見舞いに行ったそうです。現役のころとは全く違う骨と皮になった沖田総司をみた近藤勇は、涙が止まらなかったそうです。そんな中で普段は明るくふるまっていた沖田総司は、この時だけは「一緒に戦いたい」と声を上げて泣いたそうです。またそれが、近藤と沖田の最後の別れとなりました。

 

 

まとめ:華麗で儚い人生を歩んだ沖田総司

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いかがでしたか?沖田総司のプロフィールや、必殺技などを紹介しましたが、まるで新選組に入るべく生まれてきたような人物でしたね。また、彼の仕事とプライベートのスイッチの切り替えの良さも見事なものでした。そして、最後まで近藤勇のために、新選組の刀として生きていきたかったと望んだ彼のもどかしさや苦しみが伝わってきます。彼を詳しく理解したうえで、よりアニメやドラマを違う視点から見ることができるのではないでしょうか。

 

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