アリストテレスって何をした人?思索の巨塔を築き上げた知の巨人について

哲学者アリストテレス。プラトンやソクラテスと並んでその名を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。西洋哲学の礎を築いただけでなく、後の世にも大きな影響を残したアリストテレスはどんな人だったのか、そして、彼の思索、学問はどんなものだったのかについて見ていきましょう。

 

 

古代ギリシャの哲学者 アリストテレス

アリストテレスの画像

Aristotle/Wikipedia(en)より引用

 

ギリシャ時代の有名哲学者アリストテレスは、非常に広範な思索、研究を行ったことから「万学の祖」と呼ばれています。彼は哲学者として知られていますが、現在の一般の人の感覚で言う哲学のみにとどまらず、自然科学の分野についても幅広く研究を行いました。自然科学分野では非常に大きな業績を残した一方で、彼が学問上あまりにも偉大な人物とされたために、現代から見れば誤った考えも後世に長く固定されてしまう、という副作用もありました。地動説を唱え「それでも地球は動く」の言葉で有名なガリレオ・ガリレイもその副作用に巻き込まれてしまったひとりなのです。

 

アリストテレスの生きた時代

アリストテレスは紀元前384年にマケドニア王の侍医の息子として古代ギリシアの小さな町に生まれました。幼くして両親をなくしましたが、17,8歳のころアテネに上ります。アテネではプラトンの設立した教育機関「アカデメイア」に入学し、以後20年にわたって在学し続けることになります。当時のアテネはギリシア各地から歴史上でも名を知られる学者や芸術家が集い、学問や文化の交流を持つ都市だったのです。

 

アリストテレスの師 プラトンの「アカデメイア」

アリストテレスの学園時代の師であり、西洋哲学の源流をなしたプラトンは学園「アカデメイア」の創設者でした。「アカデメイア」というのは、もともとこの教育機関が設立された場所の地名でしたが、それがそのまま教育機関名とされたのです。「アカデメイア」が教育機関として大変有名になったので、その後のヨーロッパではこれにちなんで教育機関に「アカデミー」と名付けられることが多くなり、現在の「アカデミー」の語源となっています。

「アカデメイア」では自然科学(算術、幾何学、天文学)を教え、一定の知見を得てから哲学(形而上学)が教えられる仕組みになっていました。この「アカデメイア」において、アリストテレスはプラトンから学校の精神を体現していると評されたとも伝えられています。

 

師の教えには批判的だった?

アリストテレスの師プラトンの哲学はイデア論を中心としたものでした。イデア論とは、言ってみればこの世の実在のとらえ方です。この世に真に実在しているのはそれぞれの性質を決定づけている「イデア」であって、人が見ている、感じているものは実在そのものではなく、「イデア」が人の感覚によって世界に映し出された像にすぎないとするものです。アリストテレスは師のイデア論を矛盾のあるものとして、イデアの存在を否定しました。現実世界とは別個にイデアというものが存在するのではなく、物の本質は個々の物の中に内在するという現実的な考え方に近づいています。

 

アレクサンドロス大王の家庭教師

師プラトンの死後、アリストテレスはアカデメイアを去り、生物学の研究を行っていましたが、マケドニアの王、フィリッポス2世により王子アレクサンドロスの家庭教師として招かれました。アリストテレスが王子を教えていた期間はおよそ2年でしたが、王子は非常にアリストテレスを尊敬するようになったのです。

王子が即位しアレクサンドロス大王(アレクサンダー大王、アレキサンダー大王)となったのち、遠征軍を支えた将軍たちはアリストテレスのもとで共に学んだ学友でした。遠征中には、アリストテレスが彼の求めに応じて書物を書き送っています。また、アレクサンドロス大王のほうからも遠征先の動物や植物がアリストテレスに向けて送られ、アリストテレスがそれらの観察を行うなど、ふたりの交流はアレクサンドロス大王の死まで続いています。

アレクサンドロス大王の死後はアレクサンドロス帝国が政情不安に陥り、マケドニア人に対する迫害が起こるようになったため、マケドニア王の家庭教師であったアリストテレスは追放されたのち母方の故郷に身を寄せ、その地で62歳で死去しました。死因には毒をあおったという説もあります。

 

 

アリストテレスの学問 哲学=全ての学問

Aristole/Wikipedia(en)より引用

 

アリストテレスはアレクサンドロス大王が即位した直後に王の支援を受け自身の学園「リュケイオン」を開設しています。アリストテレスとその弟子たちは「リュケイオン」の散歩道を歩きながら学問上の議論を交わしたと言われており、彼らはペリパトス(散歩)学派と呼ばれました。「アカデメイア」がアカデミーの語源になったのと同様、「リュケイオン」はフランスの高等学院の名称リセ(Lycée)の語源になっています。

アリストテレスは哲学を研究していましたが、彼の哲学とは、現在のいわゆる哲学(形而上学、論理学、倫理学)にとどまらず、自然科学をはじめとした幅広い学問を含んでいました。「哲学」(Philosophy)の語源はアリストテレスが人間の本質を知(Sophia)を愛する(Philo)ものととらえたことによるのです。

 

多岐にわたるアリストテレスの思索

アリストテレスの哲学に含まれる学問は現代の分類では大変多くの分野にわたります。形而上学、論理学、倫理学、政治学、天文学、物理学、気象学、生物学、演劇学、心理学までが彼の思索の中にあったのです。

論理学では最も有名な論法、三段論法も彼が整備しました。倫理学では「よりよく生きる」ことが幸福(快楽とは別)と同じ意味であるとする幸福主義を説きました。「よりよく生きる」には中庸が重要であるとしたのです。ここでいう中庸とは両極端の行動(たとえば臆病と無謀)に対してその中間のあいまいな態度を取るということではなく、より適切な行動(この例では勇気)を目指すことです。政治学においては著書をアレクサンドロス大王におくっています。

自然科学分野においては特に生物学での業績が目立ち、多くの生物を観察、記録し、解剖まで行っています。また、鶏の受精卵の発生の様子も詳細に観察しました。天文分野では天動説をはじめ現代科学の常識からはかけ離れた論を展開していますが、この考え方が後世に無批判で受け継がれたことがガリレオ・ガリレイの悲劇の一因にもなっています。

 

形而上学を第一哲学とした

現代の理解で一番哲学らしい分野と言える形而上学(けいじじょうがく)、アリストテレスはこれを第一哲学として分類しました。形而上学において師プラトンのイデア論では物事の本質は、現実から離れた「イデア」であるとしていましたが、より現実的立場を重視するアリストテレスはこれを否定しています。現実世界に存在するものはすべて「質料」と「形相(けいそう)」が不可分に結びいてうちにあるものだとしました。とてもざっくり言えば「質料」はいわば物の材料、「形相」は物の形、性質を決定づけるものと言えます。今あるものは「現実態」として存在し、「現実態」を生み出す可能性のあるものを「可能態」と定義しました。「質料」はなにものでもあり得るので「純粋可能態」で、「形相」は今まさにあるものの表現「純粋現実態」とされました。

 

第二哲学として自然科学の体系化に取り組む

大哲学者であったアリストテレスですが、形而上学だけでなく、当時としては傑出した自然科学分野での業績も残しています。彼は自然科学分野を第二哲学として研究を続けました。自然科学の分野においては現実主義の立場から経験と観察の上に立った学問を確立していきましたが、誤りが入り込む部分もあったのです。誤りの多くは事実より思弁を重視した部分に見られ、その点は近代科学の発展に伴い崩れていきます。これを教訓としてというとやや大げさですが、近代科学は厳密に事実を追い求めることにより進歩することになりました。

 

 

後世へのおおきな影響

ガリレオガリレイの画像

Galileo Galilei/Wikipedia(en)より引用

 

アリストテレスの残した学問は当時としては比類するもののないほど多くの分野をカバーするものでした。彼が後世に残したものについて見ていきます。

 

現代の哲学から見ると誤りも多い

アリストテレスの偉大な業績が中世ヨーロッパでよみがえった際、キリスト教系神学者により支持を受けたこともあり、彼の残したもののうち、学問的に適切でないと考えられるものまでが批判されることなく受け入れられました。アリストテレスの生きた時代当時は彼が科学に大きな進歩をもたらしたのですが、中世においては彼の学問的カリスマ性が逆に科学の停滞を招く残念な結果となっています。

 

膨大な著作

アリストテレスはその研究量を裏付けるように550巻にも及ぶとされる大変多くの著作を残しています。著作は自身の学園用の教科書と専門家向けの研究論文に大別されます。教科書は散逸してしまったため、現代にも伝わる著作はすべて研究論文です。アリストテレス全集には彼の思索の多くの部分がおさめられ、論理学、自然学、形而上学、倫理学、政治学、弁証術などの各分野にわたっています。ただ、全集の中には主に彼の弟子によるとみられる偽書も混ざっているとされます。

 

 

まとめ:アリストテレスの残したもの

Metaphysics (Aristotle)/Wikipedia(en)より引用

 

西洋哲学では礎を築き、組み上げ、論理学での三段論法の確立は西洋の思想に大きな影響を与え、自然科学分野では当時の水準を遥かに凌駕する成果を上げ、政治学、文学、芸術論に至るまで研究を続けたアリストテレス。その網羅的学問体系は非常に巨大なものでした。その中に含まれていた誤りも長くそのまま固定されるという弊害も生みましたが、現代においてもなお学問の基礎となる考え方も少なくありません。

ギリシアの紙幣や硬貨に肖像が採用たということも納得の知の巨人です。

 

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