レオナルド・ダ・ヴィンチが得意なのは絵だけではない?偉大な研究者としての生涯

モナ・リザの製作者で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチですが、皆さんは彼をどこまで知っていますか?ここでは、彼について詳しく迫っていく以外にも、彼の代表作の解説や、絵を描く傍ら行っていた研究についても解説していこうと思います。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチってどんな人?

 

レオナルドダヴィンチ/Wikipedia引用

 

近年『ダ・ヴィンチ・コード』で、彼についての多くの謎が解明されてきましたね。しかし、まだ『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいない方々、そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチの名前だけ聞いたことがあるという方々などいられると思います。そんな方々に向けて「そもそも彼はどういう人?」「何をした人?」というところを詳しくご紹介していこうと思います。

 

簡単なプロフィール

まず、レオナルド・ダ・ヴィンチを詳しく知っていくために、彼の全体像を把握しておく必要があります。彼が画家として名のある人物だということは分かっているけれど、本人については詳しく知らないという方は多いのではないでしょうか?そんな方々に向けて、基本情報をご紹介していこうと思います。

 

名前 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
出身地 フィレンツェ共和国ヴィンチ村(現在のイタリア・トスカーナ州)
誕生 1452年4月15日
死没 1519年5月2日
享年 67歳
性格 あきっぽい、器用、天才肌

彼の基本情報は以上になります。これを踏まえて、ここからの記事を見ていくとよりご理解いただけるかと思います。

 

名前の由来

レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチが彼のフルネームで、長ったらしいため通称レオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれていますよね。では、それぞれの由来を考えてみましょう。

まず、前述のプロフィールを見た時に何か気づいたことはありませんか?お分かりの通り、彼が生まれたのはヴィンチ村ですね。後ろにくる「ダ・ヴィンチ」というのは「ヴィンチ村の」という意味です。では「ディ・セル・ピエロ」というのは何を指しているのでしょうか?これは「セル・ピエロの息子の」という意味で、父親が「セル・ピエロ」という名前だったようですね。この解釈でいうと彼は「ヴィンチ村の、セル・ピエロの息子のレオナルド」ということになります。

また、日本では彼を「ダ・ヴィンチ」と呼んでいますが、海外ではほとんど「レオナルド」と名前で呼んでいます。当然ですね、彼の”名前”は「レオナルド」であって、人の名前を”村の名前”で呼ぶことはまずないわけで、彼を「ダ・ヴィンチ」と呼ぶことの方が違和感があるのです。

 

本職は何?

彼の本職は画家です。多くの方が認識している事実は間違っていません。彼が14歳の時、当時の巨匠アンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入りしたことから、彼の画家人生は始まります。彼は、瞬く間に才能を開花していき、技術面だけではなく理論面でもズバ抜けた才能を発揮していたようです。現在イタリアのウフィツィ美術館に保管されている『キリストの洗礼』という絵画が師匠ヴェロッキオとレオナルドの合作なのですが、レオナルドが受け持った天使があまりにも見事なもので、師匠ヴェロッキオは自信喪失してしまい、二度と筆を持たなかったとされています。

しかし、レオナルドはそれだけの才能を持っていたのですが、他の有名な画家ほどは絵を残していないとされています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの得意な技法

 

1. スフマート

Sfmatoという言葉は、イタリア語で「Fumo=煙」という言葉から生まれたもので「くすんだ」や「薄れる」という意味があります。また、この技法はレオナルド・ダ・ヴィンチ自身が発明した技法で「ぼかし技術」のことを言います。これは、「自然界に線など存在しない」という彼の考えから発明されたもので、輪郭線を描くことなく、グラデーションを利用して描いています。この技法を使うと、何度も手を加えなければならないためかなりの時間を要しますが、何度も重ね塗りされることで、微妙な陰影や深みが生まれよりリアルに出来上がるのです。

 

2. 北法ルネサンスの影響

 

・空気遠近法

実際に景色を見た時、近くのものは、はっきり見えて遠くのものは何となくぼやけて見えますよね?これは、空気中の水蒸気が乱反射を起こして、景色がぼやけて見えるのですが、これをそのまま絵にすると奥行きを感じられる絵になります。これが「空気遠近法」と言われるものです。

 

・4分の3構図
正面でもなく、真横でもない3/4斜め前から描く構図のことを言います。イタリアでは、肖像画は正面か真横からかのどちらかを描くのが一般的でした。しかし、そうすると実に平坦な仕上がりになりがちなのですが、この4分の3構図を使うことにより、臨場感ある絵に仕上がるのです。

 

3. アトリビュート

絵に描く人にまつわるマストアイテムのことを「アトリビュート」といいます。例えば、マジシャンを描くならその人にトランプを持たせたり、野球好きの人を描くなら野球チームのユニフォームを着せたりして、その人を特定できるようにする技法です。

 

副業してたってホント?

レオナルド・ダ・ヴィンチ=画家という印象があまりにも強いのですが、彼は今で言う「副業」をしていました。というのも、彼の性格はあきっぽく、ただ絵画を描くことだけに留まらなかったからなのです。彼が絵画を描く以外に行っていたのが研究で、”副業”という言葉を聞くと、趣味程度のイメージがわきますが、その副業に関してもエキスパートでした。彼は数多くの研究結果をメモに残しているのですが、中には理論的には可能だが、当時の技術では再現不可能と言われていたものもあるようです。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作・解説

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レオナルド・ダ・ヴィンチが残した数少ない作品の中で、代表作と言われるものがあります。彼の代表作は一般的にも有名なもので「一つも名前も聞いたことがない」なんて人は少ないのではないでしょうか?名前を聞いたことがあっても、その作品について詳しく知らない、どういうものを描いたのかよくわからないという方々に、わかりやすく解説していこうと思います。

 

モナ・リザ

 

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世界一有名な絵画モナ・リザです。実物は見たことがないけど、名前だけ知ってる方や、テレビや画集などで見たことがある方は多いのではないでしょうか?それにしても、なぜ皆声を揃えてモナ・リザを絶賛するのかわからない方も多いのではないかと思います。

まず第一に、モナ・リザは数日で描かれたものではない点です。彼の得意としたスフマート技法を使い数年かけて描いたと言われています。このスフマート技法を使うことで、女性の滑らかな肌が見事に表現されている点がすごいのです。

次に、このモナ・リザに秘められた謎も人々が魅せられる1つといえます。描かれている全てが謎であり、モデルは誰なのか、背景はどこなのか、下地に何が描いてあるのか、など全てが未確定のままです。モデルが誰なのかわからない点では、誰か特定するためのアイテム・アトリビュートが使われなかったということもあります。

他にも、瞳の中に「右:LV」「左:CE又はB」と描かれているのではないかなど、謎が謎を呼んでいます。また、レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画を描く前に対象の情報を研究しメモやラフ画に残していることから、そのメモを通して残された絵画の謎が解明されてきたのですが、モナ・リザに関してはメモなどが一切残っていないというのです。

そういった技術面で素晴らしいという評価だけでなく、多くの謎がこのモナ・リザが長年、人々の目を引き付ける要因なのかもしれません。

 

最後の晩餐

 

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「最後の晩餐」名前だけ知っている方は、キャンバスに描かれたものと思われる方もいるのではないでしょうか?しかし、これは壁画で、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の、食堂の壁に描かれた絵です。この絵は、イエス・キリストが十字架につけられる前の最後の日に12使徒を集め開かれた晩餐の中で「この中の一人が私を裏切る」とイエスが言った時に周りが驚いた情景が描かれています。これは、およそ3年をかけて、休み休み描かれたそうです。

まず、この絵の状態なのですが、かなりの回数修復が行われています。というのも1つに、通常壁画の場合「フレスコ画」という技法が使われるのが一般的でしたが、最後の晩餐には「油彩テンペラ技法」が使用されたことにより、製作途中から絵具が剥離していたと考えられています。2つに、食堂という場所ならではの問題なのですが、料理の湿気や湯気に晒されていたため、痛みの進みが早かったと思われます。3つに、更に痛みを加速させた要因が17世紀のナポレオン時代に馬小屋と化していたことです。排泄物や、それによるガスなどで更に浸食が進んでいたようです。4つに、ミラノが大洪水に見舞われた際に壁画全体が水浸しになったと言われています。最後に1943年ファシスト政権に対抗したアメリカ軍による空爆で奇跡的に全壊は免れましたが、痛みが出たようです。

 

岩窟の聖母(がんくつのせいぼ)

 

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「岩窟の聖母」は、ルネサンス期の宗教画です。描かれているのは「真ん中:聖母マリア」「右端の女性:大天使ガブリエル又はウリエル」「赤子向かって左:洗礼者ヨハネ」「赤子向かって右:イエス・キリスト」です。

左の画像がルーブル美術館のもので、右の画像がナショナル・ギャラリーのものです。原画だけ見ると、向かって左の赤子がイエス・キリストに見えませんか?聖母マリアが手を添えて下目で見守っているようにも見えます。全体の位置関係から、向かって左側がイエス・キリストで向かって右側がヨハネと思ってしまうのは自然かと思います。しかし、ナショナルギャラリーに保管されている2枚目の「岩窟の聖母」を見ると、向かって左の幼児には皮の服と十字架のアトリビュートが描かれ洗礼者ヨハネだとわかります。よって、向かって右の幼児はイエス・キリストということになりますね。

この絵に関しては様々な憶測が飛び交っており、ルーブル版もナショナル版も同じ人物が同じ位置で描かれているとか、ルーブル版とナショナル版ではヨハネとキリストが逆に描かれているとか言われています。

 

聖アンナと聖母子

 

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聖アンナと聖母子は未完成の宗教画です。この絵の中には、受難の象徴である子羊、幼児のイエス・キリスト、聖母マリア、マリアの母・聖アンナが描かれており、たった一枚の絵に時間の流れを感じさせます。この時間の流れは、神の教えを継承するということを表しているようにも見えますね。また、聖アンナの膝の上に聖母マリア、聖母マリアの腕の中にイエス・キリストという比較的難しい構図を描いていますが、ここで欠点が出ているようです。痩せ老いている聖アンナが、キリストを抱えたふくよかな聖母マリアを膝に乗せることができるでしょうか?かなり無理が生じますよね?しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチも、この無理のある構図は感じてあえて描き上げたのでしょうか。逆を言ってしまえば、基礎から学んだプロがこの崩した構図を描くことができるでしょうか?この不思議な構図は天才的発想ができる彼だから描けたとも言えるのです。

また、彼の描く絵画は1人が2役兼任していることが多く「聖アンナ兼大人のイエス」「聖母マリア兼マグダラのマリア」「幼児イエス兼二人の幼児」という説があります。この説から、聖アンナは聖母マリアより一回り大きく描かれているのではないかと言われているのです。

 

受胎告知(じゅたいこくち)

 

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この「受胎告知」も宗教画で、聖母マリアが天使ガブリエルから神の子を授かっていることを伝えられたシーンです。この絵画は、彼がまだ画家として駆け出しの頃の、画家としてのデビュー作として知られています。全てがレオナルドによって描かれた完成品ではなく、様々な画家により修正が加えられているものと考えられています。

向かって左が天使ガブリエルなのですが、ガブリエルの左手に白百合が描かれていますよね?これは、マリアが処女であることを表すためのアトリビュートとして多くの画家が使用します。しかし、レオナルドが描く白百合と他の画家が描く白百合の違いは雄しべの有無です。処女を表すものなので多くの画家は白百合に雄しべを描きませんでした。しかし、彼は何故か雄しべを描いたのです。その意味合いは現在も不明確なままで、多くの議論と見解を呼んでいます。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ノートの中の研究

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵を描く傍ら、研究者として多くの研究に勤しみ、その研究は現代でも生かされています。彼の研究の多くは自作のノートの中で行われていたのです。また、その研究の一部では、当時では理論的には正しいが、技術面などで再現不可能といわれる様なものまで開発していきました。ここでは、彼が考え出した研究の中の一部をご紹介していきます。

 

人体・解剖図の作成

 

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まず、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ただ解剖学を研究したいことから、こういった解剖図を作成したわけではないのです。全ては、洗練された人物画を描くためで、被写体を内蔵面から知ることで、より美しく真実に近い形で描けるという考え方から、解剖図をノートに記すようになります。

また彼は、この解剖図を想像して描いたわけではありません。初めは動物の解剖から、そして後に人体の解剖に立ち会い、実際に人間がどの様な作りになっているか自分の目で確かめて描き上げたのです。彼の解剖図にはイラストと共に解説が書いてあるのが特徴的ですね。

最高級の絵を追求すると、人体の造りになるというのは分かるような気がします。やはり、人物を描く上で、筋肉や筋の付き方や、子宮の構造を知っていればより実物に近い形で表現できますから、それだけだけ完成度も絵の精度も上がるわけです。

 

光とレンズの研究

レオナルドは、光に関しても研究を行いました。その結果生まれたのがコンタクトレンズです。解剖学で眼球についても研究したことから、光は眼球を通り網膜に到達して物が見えるということがわかっていました。それを踏まえて彼は、ガラスボールに水を入れて、そこに顔をつけ目を開けてみると違った景色に見えることを発見したのです。その原理が元になり、研究のおよそ350年後にコンタクトレンズの元祖が誕生したのです。

 

ヘリコプター・飛行機の設計

 

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彼は、人体の構造以外にも「鳥が何故空を飛べるか」にも興味がわき、研究していました。その研究から導き出されたのがヘリコプターと、飛行機という空を飛ぶ乗り物です。現代では、空を飛ぶ乗り物は一般的で、人が空を移動するのは普通ですが、当時は斬新的な考え方でした。

まずヘリコプターですが、原理としては、らせん状のプロペラを回転させることによって空気を巻き込み上空へ上がるというものです。しかし、当時用意できた材料は「木」と「皮」のみで、動力は「人力」のみで限界があり、宙に浮くことはなかったそうです。

次に、飛行機ですが、鳥の造りに似た翼のある機械を設計し、鳥の様に羽ばたくことができる構造まで考え出します。しかし、これも、設計や考え方には問題がなかったのですが、実験を繰り返しても成功することはなかったようです。

ヘリコプターの実現は、1939年に、アイヴァン・シコルスキーが制作に成功し、飛行機に関しては、1903年にライト兄弟が、ガソリンエンジンで300mの飛行に成功し、後の1977年にポール・マクレディが人力飛行機での飛行を成功させ、2006年にはレオナルド設計により近い、羽ばたき飛行機が実現されました。

 

自動車を設計

 

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レオナルドは、現代の自動車に近いものも設計していました。彼の考え出した自動車はバネ式のもので、通常バネ仕掛けだと一定の速度で走らせることは困難なのですが、彼は精巧な仕掛けをいくつも組み合わせることで一定の速度を保ち走らせることができるよう設計しています。しかし、そのバネ式のゼンマイは一時的に人が巻く力を補えるだけで原動力とはなりませんでした。よって、当時は現実的に使用・開発されることはなかったのです。レオナルドが設計した時期が1495年のことですが、実際に世界初の蒸気自動車が開発されたのが、約250年後で、現在主流となっているガソリン自動車が開発されたのは、なんと約400年後の1886年なのです。

 

水路や水門の設計

 

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彼は、人体や自動車などの設計に留まらず、当時彼が住んでいたミラノの街に水路を作り、その水路の水位調整のための水門まで設計しました。というのも、当時のミラノでは、飲み水・下水などの管理がほとんどされておらず、不衛生な水が要因でペストが流行ったり死者が多く出ていた為、改革が必要だったのです。その改革が、運河を上水道と下水道に分けて整備することでした。また、それを考えるにあたって、使用した水量を正確に測るための流速計も開発します。彼がフィレンツェに戻ったころには、上流で大雨が降ることを想定して水位の調節のための水門を設計・改修します。当時使われていた水門は、水をせき止める板を上に上げて水門を開く方式で、通れる船の高さに限界がありました。しかし、彼が設計した水門は、小さな扉から水を排出した後、水位が下がってから左右に扉を開くものだったので、通れる船の高さに制限がなくなるという画期的なものだったのです。

 

月が光る原理

ここで、彼の研究は宇宙にまで飛躍します。この研究では、彼はいくつかの仮説を立て、ノートを通して自分に問いかけるようになっています。

まず、月が光ってるのは自ら光を放っているわけではなく、太陽の光が反射して月は光って見えると考えました。しかし、彼の考えは「全体が光って見えるためには月の表面はどうあるべきか?」にまで至っています。1つに、当時の一般説であった月の表面はつるつるであるかという仮説。しかし、その場合ごく一部が反射して全体が丸く光るようには見えないはずと考えています。2つに、月の表面が液体で蔽われているという仮説。この場合、表面が波立っているため、各点から反射が生じ全体が光って見えると考えました。しかし、この説には彼自身が「月の表面が液体であった場合、その液体は地球に落ちてくるだろう」と仮説を否定している部分があります。

結果的に、現在の「月の表面はクレーターがあり凸凹している」という考えまでたどり着くには至りませんでした。しかし、彼が立てた月の表面の仮説から数百年後の1609年に、ガリレオ・ガリレイによって、月の表面に凹凸がみられることが発見されます。

 

 

まとめ:新発見の近道!

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチについて、様々な方面から迫っていきましたが、いかがでしたか?彼の画家という一面しか知らなかった方は、彼が研究にも没頭して、その研究が現代に生かされていることに驚いたのではないでしょうか?彼は、絵に対しても、研究に対しても、固定概念や、先入観を持たないよう挑んでいた為、新しい発見に繋がっています。そこから学ぶべき点では、時に固定概念や先入観を捨て、幅広い視野で物事を見ることで新しい発見や柔軟な発想ができるという点でしょう。

 

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