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歴史

ミケランジェロの作品と、彫刻家としての生涯を徹底解説!

理想の男性のプロポーションと言えば、あの「ダビデ像」が有名ですね。そのダビデ像の制作にあたったのが巨匠ミケランジェロなのですが、皆さんはミケランジェロについてどれほど知っているでしょうか?「名前だけは聞いたことがある」「人物像はよく知らないが、代表作はいくつか知っている」という人も多いはずです。そんな方々のために今回は、彼の生涯から代表作の解説まで詳しくご紹介していきます。

巨匠ミケランジェロについて

ミケランジェロ/Wikipedia引用

ミケランジェロと言えば「ピエタ」や「ダビデ像」など、彫刻が有名ですよね?彼は幼少期から、彫刻の技術を身につけられた境遇がありました。ここでは、彼のプロフィールから天才ぶり、彫刻家としてデビューするまでわかりやすくご紹介していきます。

ミケランジェロのプロフィール

ミケランジェロは後世に多くの芸術作品や建築物を残した巨匠です。ここから彼の生い立ちを見ていく前に、彼の簡単なプロフィールをご紹介します。

名前 ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ 
出身地 フィレンツェ共和国カプレーゼ

(現:イタリア トスカーナ州 カプレーゼ・ミケランジェロ)

生誕 1475年3月6日
死没 1564年2月18日
享年 88歳
職業 芸術家
主な活動場所 フィレンツェ・ローマ
パトロン メディチ家
ライバル レオナルド・ダ・ヴィンチ

以上がミケランジェロの簡単なプロフィールです。彼の生まれは元々「カプレーゼ」という町でしたが、ミケランジェロが有名な芸術家になったことで、「カプレーゼ・ミケランジェロ」と名前が変わったようです。

当時も現在もですが、芸術家として活躍するには財政支援をしてくれる「パトロン」といわれる支援者が重要でした。その中でも、当時大きな力を握っていたメディチ家がミケランジェロのパトロンとして付いたのです。また、ライバルは天才レオナルド・ダ・ヴィンチで、彼にもメディチ家が付いていたという話があります。

幼少期のミケランジェロ

ミケランジェロはフィレンツェ共和国のカプレーゼで生まれたのですが、生後数か月で一家はフィレンツェへ渡り、幼少期はこのフィレンツェで過ごしたとされています。

彼が6歳になる頃に母が他界し、父親と兄弟が残されたのですが、当時ミケランジェロの家族は、石工の一家と共に生活していたようです。ミケランジェロは、そういった環境の中で、幼少期からノミや金槌の使い方や人物彫刻のコツなどをつかめたといいます。

父親は、ミケランジェロに学問を学ばせたいと考えていましたが、ミケランジェロが興味をそそられていたのは、やはり芸術の分野で、教会の装飾画を模写したり、画家たちとの交流の方が好きだったようです。

画家として弟子入り

ミケランジェロは、13歳の時に画家志望としてドメニコ・ギルランダイオに弟子入りをしています。基礎から学ぶにしても、一人前の画家になるためには多くの壁が立ちはだかったり、挫折したりと何年もかかるものですが、ミケランジェロはたった一年で師匠に一人前の画家として認められたのです。

この頃、当時大きな力を持っていたメディチ家が、彼のパトロン(スポンサーの様なもの)として付いたのです。

彫刻家として開花

一人前の画家になれた頃には、彼はベルトルド・ディ・ジョヴァンニの下で彫刻を学ぶようになります。初めは、浮彫細工と呼ばれるレリーフを作成していましたが、1493年から1494年にかけてギリシャ神話の英雄ヘラクレスの大きい立像を制作しています。この立像に関しては、フィレンツェに送ったという記録が残っているだけで実際の像は行方が分かっていません。

その後、彼は枢機卿(すうききょう:教皇の最高顧問)ラファエーレ・リアーリーから依頼を受け「バッカス」を制作しましたが、これは受け取りを拒否されてしまいます。

しかし、フランス大使からの依頼で後の代表作となった「ピエタ」が「彫刻作品の限界を超えた完璧な作品だ」と絶賛されるに至っています。

ミケランジェロの代表作・絵画編

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ミケランジェロは、彫刻作品を多く残していますが、幼少期から学んでいた絵の技術も高く主にシスティーナ礼拝堂に天井画や壁画の超大作が存在します。ここでは、ミケランジェロの残した絵画について詳しく解説していきます。

システィーナ礼拝堂・天井画

ミケランジェロ/Wikipedia引用

バチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂の天井部分に描かれた絵画です。この絵は旧約聖書の天地創造から大洪水までが描かれています。この天井画は、13m×36mと広範囲に描かれた天井画ですが、ミケランジェロは誰かに手伝わせることなく、たった一人で全て描き上げたそうです。というのも、手伝う者の仕事が納得いくものではなかったからといわれています。

最後の審判・壁画

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システィーナ礼拝堂の正祭壇背面に描かれた壁画です。この絵は、マタイによる福音書などに記載されている「最後の審判」をテーマに描かれています。

この絵は、当時では最も大きいフレスコ画となりました。キリストを中心に、およそ300人がひしめき合う迫力のある絵で、天国へ向かう人々、地獄へ落ちる人々を壮大に描いています。

しかし、現在残っている絵は、ミケランジェロの完全なオリジナル作品ではありません。当時描き上げられた絵は全員「全裸」で描かれていたそうで、このことに非難を受け後に、ミケランジェロ以外の手によって「腰布」などが描き足されたそうです。

ミケランジェロの代表作・彫刻編

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ここからは、ミケランジェロが得意とした彫刻の作品のご紹介です。彼は生涯で多くの彫刻作品を残していますが、その中でもミケランジェロを知る上で把握しておきたい作品の一部を解説していきます。

ピエタ

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ミケランジェロの彫刻のうち高く評価された作品がこの「ピエタ」です。この「ピエタ」は、キリストが十字架につけられた後に、十字架から降ろされその遺体をマリアが抱きかかえ悲しみに暮れている光景が表現されています。

服のしわ、筋肉、艶、どれをとってもリアルに表現され、まるで実物を目の当たりにしているように感じる作品です。元々この彫刻は枢機卿ジャン・ピレール・ド・ラグロワの墓所のために作られた作品ですが、現在はサン・ピエトロ大聖堂に保管されています。

因みに、彼は生涯において「ピエタ」を4体も作っていますが、完成に至ったのはサン・ピエトロ大聖堂の一体のみです。

ダビデ像

ダビデ像は、ミケランジェロが26歳の時に制作した彫刻作品で、大きさはダビデ部分が4m超え、台座を合わせると5mを超える巨大な大理石の像です。正面から見ると頭がやや大きめに作られているのですが、下から見上げる時にちょうど良い大きさになることを計算されて作られています。

この「ダビデ像」は、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いで、岩石を投げつけようとしている光景が表現されています。一般的にダビデが芸術作品になる場合、武装したり、ゴリアテの剣や首を持っていたりということが多いのですが、ミケランジェロは、そいった余分なものを一切排除し投石器のみを握らせたのです。

また、ダビデ像の肉体美は現代では「理想の男性のプロポーション」とされています。現在、実物はアカデミア美術館に保管されており、その他の場所に飾られているダビデ像はレプリカです。

バッカス

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ミケランジェロの作品は未完成品が多いのですが、「バッカス」は数少ない完成品の一つです。「バッカス」というのは、ローマ神話のお酒の神様で、昔からよく絵画や彫刻で表現されています。

前述でも記載しましたが、この「バッカス」は枢機卿ラファエーレ・リア―リオの注文により作られたものですが、「ダビデ像」と違って肉体が中世的に表現され艶めかしい印象であることから「退廃的で非道徳的だ」と非難され、受け取りを断られているのです。

しかし、その後、銀行家のヤコポ・ガッロの自宅の庭に飾られ、現在はバルシェロ国立美術館に保管されています。

ミケランジェロの代表作・建築設計編

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ミケランジェロが手掛けた作品は、絵画や彫刻などの芸術作品だけではありません。なんと建築設計という分野にまで才能を発揮していたのです。ここからは、主に彼が携わった建築物について解説していきます。

ラウレンツィアーナ図書館

ラウレンツィアーナ図書館はミケランジェロが、1524年頃から10年にわたり設計、監督に携わって建設されたものです。1523年にクレメンス7世がローマ教皇に選ばれたときに、ミケランジェロに設計を命じたとされています。また、この図書館の蔵書は元々はメディチ家一族が集めたもので、図書館が建設されるまではローマで保管されていたようです。

サン・ピエトロ大聖堂

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サンピエトロ大聖堂/https://pixabay.com/

サン・ピエトロ大聖堂はバチカン市内にあるカトリック教会で、大きなドームがあるのが特徴的な建物です。ミケランジェロが設計依頼を受けたのは、彼が74歳の時でした。依頼を受けた時、既に建設が始まっていたのですが、終わりの見えない建築物に参ってしまったキリスト教会が彼に助けを求めたのが始まりです。

彼はこの建築に14年関わり続け、その間こまめに現場へ行くことは年齢からしても体力的に難しく、デザインや設計図を送って監督していたようです。しかし、完成を見ることなく彼は亡くなってしまいました。

まとめ:一度はこの目で見てみたい

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ミケランジェロについて、生涯から作品に至るまでご紹介していきましたがいかがでしたか?一言で芸術家といっても、様々な面で活躍し、素晴らしい作品を後世に残していましたね。

彼は生涯芸術家として活躍し続け、高齢になって体力が無くなってしまっても、亡くなる数日前までノミを揮っていたといいます。

ミケランジェロが生きた街を旅したり、実際に代表作を生で見たい場合はイタリア・フィレンツェに行くと数ある作品を見ることができますので、旅行がお決まりの方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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