太公望は釣りで何を待つ!?長年待ち続けたものとは?

「太公望」と「釣り」がなぜイコールになったのでしょうか、その所以に迫ります。さらに太公望は釣りでなにを待ち続けたのか、釣りの結果何を釣り上げたのか、現代の「太公望」とは。それを見ていきたいと思います。

 

 

太公望=釣り人の所以

 

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太公望と言ったら釣り人というイメージの所以には、紀元前11世紀頃の「太公望」と、西周の領主であった西拍侯「姫昌」(きしょう)の二人の出会いまで時代を遡ります。その謂れは、渭水(いすい)という川で太公望が釣り糸を垂らしている時に、姫昌に声をかけられ語らううちにその人物を認められ、大公の求めた人物に相違ないと思われ大臣に任命されるに至ったこの出会いにちなんでいます。太公望は元の名前は呂尚といい、「大公の望んだ人物」と呼ばれたことが太公望の呼び名の由来になります。この出来事から、太公望は釣り人とのイメージが先行するようになり、太公望=釣り人が成り立つようになるのです。

 

80年待ち続けた

太公望のその生涯は100年を超えたそうです。姫昌に見出されるまでは長い貧乏な暮らしをしていたそうです。その見出されたときの年齢は80歳頃と言われ、そのチャンスが来るまでずっとずっと待ち続けたと言われています。その間、妻には愛想をつかれ離縁、去っていきました。渭水での釣りの時に、姫昌に「なにが釣れますかな?」と問われ、「わしはそこらへんの雑魚を相手にしておらん。天下を釣っておるのだ。」と答えるところ、太公望が常に何を考えていたのかを垣間見ることができます。

 

釣りと放浪

太公望の祖先は、飲食業で生計を立てていたとも、屠殺人(食肉用の牛や馬を殺す人)だったとも言われています。しかし太公望は天下を考えながら各地を放浪し、チャンスを待ちながら釣りをしたと言われています。姫昌に話しかけられた時も、それは偶然ではなかったそうです。大志を抱く人だったのでしょう。そのチャンスを龍の如く辛抱強く待ち、見事その一点を射止めたのです。釣りも放浪もしていなく、その時に姫昌に見出されなかったら、太公望は太公望と呼ばれることもなく、説話の中にも登場することなく人生を終えていたかもしれません。

 

 

太公望のその釣果

 

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太公望は姫昌との出会いから、太公望のイメージは釣り人と呼ばれていますが、太公望は何を釣っていたのでしょうか?姫昌との会話の中に答えがあります。太公望は魚を釣りたかったわけではなく、もっと大きなものを釣りたかったのでしょう。釣りをしているときは心を静めて、焦る気持ちも抑え、天下の趨勢を見つつ考えをまとめていたのではないでしょうか。その時が来るのを辛抱強くじっと待ち、結果大臣に命ぜられ、後に一国の王となったのです。その成り上がりは他に例を見ないでしょう。

 

釣りのスタイル

姫昌との出会いの時、太公望は釣り糸を垂らしていましたが、その釣り針は真っすぐでとても魚が引っかかるようなものではありませんでした。さらに、その先端は水に浸かっておらず、水面より上にあったとされています。このことからも、魚を釣ることが目的ではなかったと推測されます。魚を雑魚と捉え、相手にするつもりはないという意思表示から針を真っすぐなものにしていたのかもしれません。先端が水より上なのも、精神集中するためにしていたことなのかもしれません。微動だにせず、考えを一点にまとめ、魚ではない大きなものを釣るために準備していたのではないでしょうか。

 

 

現代の太公望

 

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太公望=釣り人、と言われるのは説話の中だけではありません。現代でも、釣りをする人のことを「太公望」と呼びます。太公望が釣りをして待ったのは、大きなものを釣りたかっただけではなく、釣りが好きだったこともあるのでしょう。そのイメージから、釣り好きな人=太公望、と呼ばれるようになったのです。現代の太公望は、釣り針を真っすぐな針にすることはなく本当に魚を釣っていますが、広い世界なので、今でも天下を釣ろうと糸を水面に垂らしている人ももしかしたらいるかもしれませんね。

 

太公望が釣りをしたという釣魚台

太公望の元の名は「姜子牙」ですが、その「姜子牙釣魚台」は、陝西省宝鶏の磻溪峡谷にあります。太公望がこの地で釣り糸を垂れていたと言い伝えがあり、「中国一の釣台」と呼ばれています。姫昌が釣りをしていた太公望に話しかけ、軍師に迎え入れた説話のその場所がここになります。この場所は今では観光地になっています。「大公に釣られるものは、自ら進んでかかったものだ」や「危険に遭遇しても動揺しない」といった意味の中国のことわざはこの地から生まれました。

 

熱海唯一の海上釣り堀「太公望」

日本にも「太公望」という名前のついた場所があります。静岡の熱海市網代に、海上で釣りが出来る釣り堀があります。その名も「海上釣り堀 太公望」です。コアな釣り師が満足できるマニアコースと、釣りをしたことがなく手ぶらでも釣りができるファミリーコースがあります。釣りあげた魚を捕獲するタモと入れておく網も貸してくれます。生け簀は釣り堀のプロが周辺を見守っており初心者に親切に指導してくださいます。この施設には併設された食堂があり、釣った魚をその場で食べることが可能です。持ち帰るかどうかは決めておきましょう。食堂利用には事前予約が必要になりますので、忘れずに予約しておきましょう。

 

 

「太公望」と「大物」

 

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太公望=釣りというイメージには、中国の説話に大きな関係があります。何を釣るのかその目的には現代の太公望とは大きな隔たりがあるようですが、その根本の釣りが好きだという意識は変わらないのではないでしょうか。釣るものは違えど、「大物」を釣りたいと願うのは同じでしょう。その大物を見事釣り上げたときの快感は、釣りをしていない人には絶対に味わえないものでしょう。あなたも現代の太公望になって、見事大物を釣り上げてみては如何でしょうか?

 

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