諸葛孔明の名言12選!劉備に尽くした天才軍師の現代に通じる叡智とは?

諸葛孔明は、漫画やゲーム等に頻繁に登場するキャラクターとして有名で、三国志に登場する蜀の君主・劉備に仕えた天才軍師です。その叡智はとても優れたものであったと言われています。

この記事では、諸葛孔明の名言を振り返ると共に、諸葛孔明の有名な逸話を紹介します。

諸葛孔明とは

諸葛孔明は、三国時代に登場する蜀の国の軍師であり政治家です。数々の計略や優れた叡智で、劉備やその子供の劉禅を補佐しました。

181年に徐州に生まれた孔明は、幼い時に両親を亡くし、叔父と一緒に南部へと移ります。そして、荊州で弟と共に晴耕雨読の生活をしているところに、劉備から三顧の礼があり、遂には劉備の軍師になります。その知略を生かした戦術で、長坂の戦いや赤壁の戦いなど数々のピンチを切り抜けます。劉備軍が入蜀を果たすと、221年に蜀の国の丞相(首相)となります。

その後、孫権との友好関係を築くことに成功し、呉と同盟を結びます。当時の蜀の状況を考えると、この同盟は非常に大きな意味を持ちました。

孔明が42歳のときに、劉備は病気により死去しました。劉備の子劉禅が君主になると、孔明は蜀の国政を任せられます。その後、蜀が魏への侵攻と撤退を繰り返す中で、孔明は234年の第5次北伐中に病に倒れ、54年の生涯に幕を閉じました。

諸葛孔明の主な逸話

三顧の礼

曹操軍に敗れた劉備は司馬徽という人物に会い、あるアドバイスをもらいます。

「鳳雛と臥龍のどちらか片方だけでも得れば、天下も夢ではない」

臥龍とは諸葛孔明のことでした。ある日劉備は孔明を仲間にすべく、孔明の住んでいる場所に出向きます。この時と二度目に訪ねた時は、孔明は不在でした。三度目に訪れた際には、孔明は昼寝をしていました。その昼寝をしている孔明に対して、劉備はじっと礼を尽くして待っていました。そして、孔明は起き上がると、三度も訪ねてきてくれた上に起きるまで待っていてくれた劉備に対して感銘を受け、仲間になることを決意します。

この逸話を「三顧の礼」と言います。この時、孔明は劉備に「天下三分の計」を披露しました。これは曹操・孫権に対してすぐに戦をしかけず、荊州と益州を領有した後に体勢を整えてから挑むという策でした。劉備は、孔明の時代を読む力と、そのダイナミックな戦略に感銘を受けました。

夫れ用兵の道は、人の和に在り

南にある雲南という地域に、人を殺してその首を神として祀るという風習を持つ部族がいました。この部族が反乱を起こしたため、諸葛孔明は蜀軍を率いて征伐に向かいました。その時、孔明はこの部族を配下に加えるために、「夫れ用兵の道は、人の和に在り」と言いました。

まず、孔明はこの部族に自ら進んで交流を持ち始めます。絵を描くことが得意であった孔明は、部族たちに絵や図を使って説明をし、部族長にこの土地を上手く治める方法を伝えました。さらに、この部族の風習を辞めさせるために、代わりに豚肉を穀物の皮で包んだものを供えるという案を伝えました。それが、現在の肉まんのルーツと言われています。自分の配下にするためには、力で城を攻めるのではなく、信頼関係を生むことが肝心であるという孔明のポリシーを表した言葉です。

死に際の劉備と孔明の会話

新国家である蜀を建国してから2年後の223年に、重い病気にかかった劉備は遠征先で亡くなりました。その死の直前、劉備は孔明に次の言葉を伝えました。

「もし、我が子劉禅が君主の器であると思うなら、どうか補佐してやってほしい。しかし、劉禅に才能がないと思うなら、無理をすることはない。君が劉禅にとって代わって君主となってくれ」

この言葉を聞いて、孔明は涙を流してこのように言いました。

「家臣はあくまで主君に忠義を尽くすのが本分。私は、劉禅殿の補佐に徹し、死ぬまで尽くす所存です」

孔明は劉禅と比べて自分の方が実力も年齢も上です。それでも孔明は、劉備に対する忠義を子供の劉禅まで受け継ぐと言いました。伝えられるところでは、劉備と孔明は、「水魚の交わり」という言葉があるくらい仲が良かったそうです。三顧の礼から十数年経っても変わらぬ友情に心を打たれます。

軍師としての名言 3選

内部の守りを固めずに、外部を攻めるのは愚策である。

兵法において、きちんと守りを固めてから攻めるのが基本であるという意味です。「砂上の楼閣」という言葉を聞いたことがあると思います。どんなに立派な建物も、砂の上に立てたのでは簡単に崩れてしまうという意味です。それと同じように、派手に外敵に攻撃することは華やかに見えても、内部の守りがボロボロであれば、その軍隊は簡単に破れてしまうということを説きました。

人の心をつかめる人は、敵を消滅できる。古来、兵は戦を好まない。

本来人は戦を好まない、という所に着眼した孔明は先見の明でした。人は何かしらの害(目的)があるからこそ戦うのであって、本質的に戦いをしたくてしている訳ではないのです。さらに、自分の周りの人の気持ちを理解することが出来れば、周りの人と良い関係を作ることができ、敵を作ることが無くなります。

将帥、勇ならざるは、将なきに同じ。

大将が勇敢でなければ大将が居ないのも同然だ、という厳しい名言です、果たすべき役割を果たさなければ意味が無い、という孔明の組織論が垣間見えます。

生まれてから死ぬまで、人は自分以外の相手から「役割」という物を与えられています。評価される人とは、相手が期待する役割をきちんと果たせる人のことであり、求められる役割を全うする必要性があることを、孔明ははるか昔から気づいていたのです。

政治家としての名言 3選

時の流れがわからなければ、寛大であろうと、厳しくしようと、政治はすべて失敗する。

寛大さよりも、厳しさよりも、時勢や情勢をきちんと理解して行動することが、政治家として大切なことであるという名言です。「それ必勝の術、合変の形は機にあり」という名言にもあるように、チャンスをきちんと掴むことが大事であると、孔明は説いています。

勢力や権力を目的とした交際は、長続きさせることが困難である。

勢力や権力を身に着けるために人と交際しようとしても、長続きはせず、上手く行かないという名言です。この言葉は現代にも当てはまります。例えば異業種交流会などでは、権力を持った人に取り入ろうと沢山の人が集まります。しかし、その多くは上手く行かないケースがほとんどで、たとえ取り入ったとしても、関係は長続きはしません。このように勢力や権力を目的とした交際はしないほうが良い、と考えていました。

治世は大徳を以ってし、小恵を以ってせず。

諸葛孔明が、劉備の後を継いだ劉禅をいさめるために使った言葉です。昔の主君であった劉備との会話を引用して、若き劉禅に伝えました。無闇に小さな恩恵を振りまくではなく、君主が世を治めるには大きな恩徳をもって行うという意味です。現代の政治家もそうですが、選挙の時だけ調子の良い公約をかかげるのではなく、大きな大徳を持って政治を行うべきだ、と孔明は持論を展開しました。

学者としての名言 3選

学ぶことで、才能は開花する。志がなければ、学問の完成はない。

諸葛孔明は、学びを通して人間の可能性、つまり自らの可能性を信じました。また孔明にとって、学問は「豊かになる」ことや「誰かに勝つ」ということが目的ではなく、「沢山の人の幸せ」が目的でした。このように自分の可能性を信じることで、才能は開花し、道が拓けます。そして、その志は利己的なものや、誰かを負かせたいというものではなく、「沢山の人の幸せ」であることで初めて、真の成功を治めることができるでしょう。

優れた人は静かに身を修め、徳を養なう。

優れた人は静かに学問に取り組み、徳を養うことが出来ます。学問は静から生まれ、才能は学から生まれる、と孔明は主張しています。静かに自分と向き合い、深く思考をすることで、喧騒に満ちた日常には思いつかなかったような妙案が浮かぶことがあります。

才に傲りてもって人に驕らず、寵をもって威を作さず。

自分の才能(能力)や偉い人の後ろ盾を誇って、他人を見下してはいけないという意味です。学歴やキャリアが優れている自分が幹部に気に入られているとしても、人を見下すということは良くありません。自分に敵を作ってしまうからです。また、傲りをもった人間になってしまうことも気をつけるべきことです。

生き方の名言 3選

人生とは、困難との戦いの連続である。

人生には困難が訪れますが、成功者はこの困難を乗り越えることで成長し続けています。また人生にはその人にとって必要な困難が待っています。困難に出会ったら成長のチャンスです。

しかし一方で、無理にすべての困難を乗り越える必要は無いのではないでしょうか。時には逃げたり、後回しにしたり、他の人と解決したりしてもよいでしょう。孔明にとっての劉備のように、困難に直面した時にともに乗り越えられる仲間を持つことは、人生においてかけがえのないことです。

立派な人間の友情は、温かいからといって花を増やすこともなければ、寒いからといって葉を落とすこともない。どんな時でも衰えず、順境と逆境を経験して、友情はいよいよ堅固なものになっていく。

友情というものは、自分の都合で積極的に増やしたり、減らしたりするものではありません。どんな時でもお互いを大切に思い、いろいろな経験を通すことで、より深まっていくものであるという意味です。

友情というものは、相手があることなので、自分本位で変えたりすることは出来ません。また、辛い時も楽しい時も、一緒に過ごした時間が長ければ長いほど、より友情は強いものになります。こうやって、一人一人の友達を大切にして、より友情を深めていくことが大切だと孔明は信じていました。

自分の心は秤のようなものである。人の都合で上下したりはしない。

人の心は天秤の様に揺れやすいけれども、他の人に合わせて判断を変えず、自分の意見を大切にするべきだ、という名言です。自分の意見というものをきちんと持っていないと、周りから誤解を生んだり、自分自身が何をしたいのかが見えなくなり、路頭に迷うことがあります。自分の意見を持った上で、勇気を持ってそれを周りの人間に伝えていきましょう。

まとめ

諸葛孔明の名言について、幾つか紹介しました。現代にも通じる名言が多く、また心温まる名言もありましたね。諸葛孔明は天才軍師と呼ばれ、丞相という現代国家でいう首相にあたる地位にいましたが、その暮らしぶりはとても質素であったと言われています。それは孔明が、頑張る理由を自分の幸せのためだけでなく、「沢山の人の幸せ」を目的としていたからでしょう。

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