楚王の昌平君とは?秦の始皇帝、最後の宿敵に迫る

皆さん、中国の春秋戦国時代はご存知でしょうか。春秋戦国時代は、周による統一時代が終わり、領土を治める戦国七雄という7つの国が登場します。最終的には、戦国七雄のうちの「秦」が他の6つの国を治め、秦の王が「始皇帝」と名乗り中国を統一します。

秦が最期に戦ったのが「楚」の国ですが、この時の楚王に「昌平君」という人物がいました。この昌平君という人は、最初は秦の国の武将として高い地位に君臨しています。にも関わらず、最期は敵国である「楚王」となり、その人生を終えています。

一体、彼に何が起きたのでしょうか。本稿では昌平君についてご紹介します。

昌平君が生きてた時代!良くわかる、中国の春秋戦国時代

昌平君を知る為には、彼が生き抜いた時代を知ることから始めると、魅力が増すことでしょう。ここでは、昌平君が生きていた「春秋戦国時代」をご紹介します。

昌平君の時代に登場する主な国を紹介!戦国七雄とは?

春秋戦国時代には小国も存在していましたが、主に「戦国七雄」という7つの国が登場します。

・秦(しん)

中国の西側に位置し、歴史も古い国とされています。戦国時代の初期のころは魏に西河を奪われており、周囲の国にいつ攻められるか怯えていました。しかし、孝公(こうこう)の時代に商鞅(しょうおう)という人が「商鞅の変法」(秦を法治国家に変える)を行うと、他国を圧倒し始めます。

・楚(そ)

中国の南に位置する大国です。春秋戦国時代より前の周が領土を治めてた時代から王を名乗っていました。西周王朝の時代に昭王が南方の領土を占領した、とされていますが、それが楚の国だという説もあります。楚の荘王の代には、邲(ひつ)の戦いで晋を破って覇者となっていた歴史があります。

・斉(せい=田斉(でんせい)とも言う)

春秋戦国時代に存在した国です。一時は宋を滅ぼしている歴史があり、「秦・斉の2国が強い」とされる時代もありました。この時代の斉の王は湣王(びんおう)、宰相は孟嘗君(もうしょうくん)という人です。湣王は宋を手に入れられたことで、より傲慢になり、自分の成功に良く思わない孟嘗君を殺そうとしますが、孟嘗君はそれを察知すると魏へ逃げます。過去、燕を壊滅的な状態にまで追い込みますが、燕の楽毅(がくき)率いる五国連合軍(韓・燕・魏・趙・秦)に攻められ、大敗を期した歴史があります。

・燕(えん)

燕は歴史上の不明点が多く残る国です。しかし、伝説によれば燕の始祖にあたる人は周王朝の功臣(こうしん=国や君主に対して功績を挙げた臣下のこと)の召公奭(しょうこうせき)という名前です。山戎(さんじゅう=春秋時代に居た遊牧民のこと)に攻め込まれて、斉に援軍を求めてこれを撃退した歴史があります。一時期は朝鮮半島のほうに勢力を伸ばしていました。燕の楽毅(がくき)率いる五国連合軍(韓・燕・魏・趙・秦)を使い、斉を壊滅的な状態にした記録があります。

・趙(ちょう)

晋から分離した国(=三晋(さんしん)と呼ばれる)の1つ。当時、趙・魏・韓より強力な「智伯」という国がありました。智伯は韓と魏に声をかけ、3国合同軍を結成し、趙を攻めて壊滅的な状態に追いやります。しかし、趙の当主は、韓と魏に連絡を取り、智伯を攻めることを提案します。結局韓と魏は裏切り、智伯は滅びます。智伯を破った趙は、手に入れた土地を韓と魏と共に3分割しました。

・魏(ぎ)

晋から分離した国(=三晋(さんしん)と呼ばれる)の1つ。魏は、戦国時代の初期は強力な賢臣が多く強国でした。領土を拡大したり一時期は中華の中で最も権力を持った国です。しかし、斉に負け、さらに秦にも敗北して権力がなくなってしまいました。この魏が権力を落としたことで「秦と斉の2国が強い時代」になりました。

・韓(かん)

晋から分離した国(=三晋(さんしん)と呼ばれる)の1つ。韓は戦国七雄の中で最弱と呼ばれています。西方に秦がいることで、長年、侵攻に悩まされていました。記録によると、戦争に負けてばかりの国であったとされています。韓非子(かんぴし)という吃音に悩まされている公子が書いた書物が秦に伝わり、秦王政(のちの始皇帝)が感動し「この人物と会うことができるならば、死んでも悔いはない」といったエピソードがあります。

春秋戦国時代に何が起きたか?歴史の流れを紹介!

春秋戦国時代は、統治していた「周」が諸侯たちの力を借りなくてはならないほど衰退し、王朝を補佐する「覇者」というポストを争い、戦乱が起きるようになりました。

この戦乱は約200年続きますが、宋国の仲介で、北の大国の「晋」と南の大国である「楚」が休戦協定を結びます。国外とは戦うことはなくなりましたが、今度は国内で権力争いや下剋上がさかんに行われるようになります。諸侯国の大臣が君主を殺害したり、追い出したりしてしまいます。下剋上の結果、斉の君主が田氏になり、晋では主君が、韓・魏・趙の3氏に独立を許します。

そのうち、各地で自分のことを「王」と呼ぶ人が多くなりました。それまでは、周王が唯一の王であり、そのほかは公・侯などと名乗っていました。周王朝は、権力を失い、「戦国七雄」と呼ばれる7カ国の時代になります。各国、国力を充実させ周りの小国を次々と飲み込んでいきます。

特に西の「秦」、南の「楚」、東の「斉」という国々には権力がありました。しかし、次第に楚と斉は衰退していき、秦が強い時代になりました。秦の王が次々に他の戦国七雄の国を打ち破ります。最期は秦王である政が自らを「始皇帝」と名乗り、ここに秦による中国統一がなされました。以上が、春秋戦国時代の歴史の流れです。

育ちは「秦」だが「楚」の血を引く昌平君の人物像

ここまで、昌平君が生きた時代背景を見てきました。ここからは、いよいよ昌平君がどのような人であったかをご紹介します。

人質として秦に居た父を持つ!昌平君の生い立ち

昌平君は、父は人質として秦に居た楚の太子完、母は秦の王である昭襄王(しょうじょうおう)の娘です。秦と楚の血を受け継いでいる、特殊な生まれです。昌平君が生まれた2年後に父である太子完の世話人として秦に居た楚の春申君(しゅんしんくん)が、太子完を楚に逃がします。それを期に、昌平君は楚の皇族出身である華陽夫人という人に教養を学びます。成長すると秦の王である荘襄王(そうじょうおう)の元に出仕します。

秦の「右丞相」まで上り詰めた、昌平君のエピソード紹介

時代が進み、昌平君は秦王政の時代に呂不韋(りょふい)の補佐を努めます。昌平君は危機察知能力が高く、上司である呂不韋や呂不韋が宮廷に招き入れた嫪毐(ろうあい)という男を信頼してはいませんでした。この読みは当たっていて、後に起こる「嫪毐の乱」を鎮圧する、という功績を残しています。

詳しくご紹介すると、昌平君が補佐を務めた呂不韋という人は、秦王政の母である趙姫と長年不倫関係にありました。老年により関係を続けることが難しいと悟った呂不韋は自分の代わりに嫪毐という人を趙姫の不倫相手にあてがいます。その思惑通り、嫪毐と趙姫との間には2人の子を授かったのでした。

次第に嫪毐の権力は呂不韋に次ぐものになってきましたが、彼自身それでは満足しませんでした。国を作ったばかりか、さらに秦王政を殺し、秦をも完全に手に入れようと企んでいました。これを成功させるには反乱を起こすしかありません(=嫪毐の乱)。

しかし、これを察知していた秦王政に命じられ、昌平君が昌文君と共に鎮圧していました。これにより、嫪毐と2人の子供は処刑されます。趙姫は処刑を免れ、幽閉されます。呂不韋も処刑されるところでしたが、秦王政が今までの功績を認めて、丞相職の罷免と蟄居(ちっきょ=閉門の上、自宅に謹慎)に留めました。

昌平君はこの功績をたたえられ右丞相という高い地位に立ちます。始めは秦王政に、より位の高い「丞相」に任命するとも話がありました。しかし、楚の血を受け継いでいることもあり周囲に反対され、右丞相に落ち着いたようです。

その後、楚の侵略に必要な兵数の議論を巡って秦王政と対立してしまい、将軍であった王翦(おうせん)と共に、右丞相を罷免されています。

楚の将軍、項燕により楚王に擁立される!昌平君の最期

役職を外され、徐々に権力が衰えていく昌平君が42歳の時、後ろ盾であった華陽夫人が身ごもると、ついには中央からも追い出されてしまいます。郢(えい)という田舎の土地に住み、荒れた生活を送るようになります。

しかし、ここで終わる昌平君ではありませんでした。昌平君が48歳の時に歴史は動きます。楚は秦の王翦に(おうせん)との戦に負け、楚王を秦に捕らえられてしまいました。ここでなんと、楚の将軍である項燕(こうえん)は昌平君を楚王に据え、楚を立て直そうとします。昌平君はずっと尽くしてきた秦に背き、楚王として秦を討とうとしますが、秦の将軍として呼び戻されていた王翦と蒙武(もうぶ)の軍に破れてしまい、戦死しました。

こうして、彼の激動の人生は幕を閉じました。ちなみに、昌平君を楚王として擁立した項燕の孫はあの四面楚歌で有名な項羽(こうう)です。

昌平君も登場!漫画「キングダム」の魅力とは?

最期に、昌平君も描かれている中国の戦国時代を描いた、漫画「キングダム」についてご紹介します。

キングダムってどんな漫画?あらすじ紹介

漫画「キングダム」は、日本の漫画です。物語は紀元前3世紀あたりの中国の春秋戦国時代を舞台にして繰り広げられます。秦の武人の「信(しん)」を主人公にして、後に始皇帝となる「嬴政(えいせい)」や「呂不韋(りょふい)」などが登場しています。信は後の秦の大将軍になる「李信(りしん)」のことです。

物語は中国の秦にある田舎に戦争孤児である信と漂(ひょう)という2人の話から始まります。最新刊である54巻時点では、これから秦が本格的に中国統一を始めるところで、史実をどう描くか注目されています。

昌平君はどんな風に描かれているか

キングダムでは秦の呂不韋四柱(四天王的存在)の一人とされています。呂不韋が祖国(しょうこく)という廷臣の最高役職に昇格すると、昌平君も右丞相となりました。秦軍の司令官であり、一方で軍師育成機関を運営しています。事実上、秦の軍事責任者とされています。史実では楚王となった昌平君と戦うことになっている「蒙武」は幼馴染で親友という設定です。

まとめ

楚の血を引きながら秦のために尽くしましたが、最期には敵国である楚の王になる、という激動の人生を送った昌平君についてご紹介してきましたがいかがでしたか。日本の歴史を見ると、外国人が高位の役職になることはあまりないですが、中国の歴史では成り上がる人も少なくありません。昌平君もその一人で、彼が与えられた「右丞相」という役職は、日本でいう総理大臣クラスに当たります。

しかし、晩年には秦の宿敵である楚の王になり、秦による中国統一で最期に背いた国の王として名を残しています。彼の生き様から、人生は最後まで何が起きるか分からないことを教えてくれます。

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