ロベスピエールの恐怖政治とは?フランス革命の主導者に迫る

マクシミリアン・ロベスピエールという人物をご存知でしょうか?18世紀末、革命後のフランス議会で大きな権力を握った人物です。

一般的に、ロベスピエールは恐怖政治を推し進めた人物という印象が非常に強いですが、実際にロベスピエールが国政に登場していた期間は1年ほどしかありません。

当記事では、国政に関わるまでにどういった人生を送っていたのか、なぜ行政が失敗したのかなどを見ていきます。

ロベスピエールとはどのような人物か

革命勃発後のロベスピエールは有名ですが、生い立ちや経歴、人物像については細かく知らない人も多いでしょう。ここでは記録や伝承を基に、ロベスピエールがどういった人物だったのかを解説します。

主な経歴

マクシミリアン・ロベスピエールは、1758年にフランスの法服貴族の家に生まれています。法服貴族とは、金銭によって高い地位を購入した元平民のことです。ロベスピエールは11歳で大学に入る奨学金付与を認められており、22歳で大学入学、23歳で法学修士号を取って弁護士になっています。

30歳でルイ16世が成立させた第三議会の議員になり、35歳からは革命後のフランス議会で急速に権力を拡大させます。しかし、1794年に反対派からクーデターを受けて36歳で没しています。

人物像

ロベスピエールは数千人を処断したという説がありますが、その一方で元来の彼は穏健な人物であったのかもしれません。少年時代には真面目な勉強家であり、青年時代に弁護士となってからは死刑制度に反対し、実際に死刑反対の法案を出したこともあるようです。

なぜロベスピエールが恐怖政治に移行していったのかは、後の項目で解説します。

革命派の中心的存在

ロベスピエールは、1790年にルイ16世が主催する「三部会」に平民代表として選出されており、1792年からはフランスの国民公会で議員を務めています。国民公会では革命派であるモンターニュ派に所属しており、フランス革命を実施するうえで中心的な存在になっていました。

晩年には、自ら「ジャコバン派」という革命派の代表に就任してさまざまな政策を提案・成立させ、敵対した議員を次々と処刑する「恐怖政治」を行います。

テルミドールのクーデター

「テルミドール」とは、革命後にフランスで制定された暦である「革命暦」の11月のことで、現在の太陽暦でいうと7月19日から8月18日にあたります。このテルミドールの9日に、ロベスピエールは失脚・処刑されることとなります

階級ごとの格差を縮小するロベスピエールの政策は当初評判を集めましたが、土地代に困らなくなった農民や、商売が行いづらくなった富裕層からは次第に不満が出てきます。また、ロベスピエールが1794年に「最高賃金法」を制定したことをきっかけに、労働者階級であるサン・キュロットからも強い反発を受けることになります。

そして、1794年7月27日、革命暦でのテルミドール9日に、国民公会でロベスピエールを解任・逮捕する法案が提出・可決されたことでクーデターが成立しました。ロベスピエールは逮捕翌日にギロチン台で処刑されており、以降の実質的な行政権は反ロベスピエール派へと移っていきます。

恐怖政治はロベスピエールの独断ではない?

恐怖政治はロベスピエールが独断で進めたと思われています。しかし、実際にはロベスピエールを支持する人々が実行を後押ししていたという説が多く挙げられています。当時のフランスは不安定な状態だったことや、ロベスピエールの掲げた政策が一定の成果を上げていたことなども支持者が増える要因となっています。

当時の時代背景

18世紀後半のフランスは新しく共和制を始めた時期であり、革命派と王政派が対立する不安定な状態でした。諸外国との戦争も多発しており、言葉よりも武力で問題解決を図ることが多かったようです。

国政においても、ロベスピエールを含む革命派の議員および支持者である国民の間で、恐怖政治という手法は幅広く支持されていたようです。したがって、恐怖政治はロベスピエールが独断で考案した手法ではありません。ただ、ルイ16世への対応を巡って対立していたジロンド派を議会から追い出し、さらにエベール派やダントン派などを処刑する独裁政治を展開しているなど、ロベスピエールが武力行使を積極的にしていたことは事実です。

階級に縛られない平等な社会を目指していた

ロベスピエールがジャコバン派を設立してから成立させた政策には「最高価格令」「封建地代の完全廃止」「徴兵制」などがあります。

最高価格令とは、物価に上限を設けることです、低所得者層からの支持を広げる効果があった一方、高価格帯の品を売る商人や農民は損失を受けやすくなっています。

封建地代とは、貴族の土地を農民が利用するときに支払う金銭です。1793年に完全廃止が成立したことによって貴族は固定収入を失いましたが、農民は年間収入が底上げされました。

いずれも富裕層と貧困層の差を縮める政策であり、ロベスピエールが発案した諸政策は、フランスの思想家であるジャン=ジャック=ルソーに影響を受けていたとされます。

まとめ

ロベスピエールが推進した恐怖政治は、フランス革命によって武力行使を国民や議員により後押しされていたという説が有力です。ルソーに影響された平等化政策は低所得者層から一定の支持を集めました。しかし、反論を武力で抑えるばかりの政治手法を長年続けたことで支持者を失い、クーデターへとつながりました。

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