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歴史

劉備は義理人情に厚い性格?三国志の主人公の生涯をご紹介

三国志の主人公の劉備は義理人情にあふれていました。劉備は関羽・張飛を義兄弟とする桃園の誓いを立てたり、亡くなった関羽のために弔い合戦をしたり、「自分に付いてきてくれる民を見捨てるわけにはいかない」とも言っています。こうした情の厚い劉備の生涯についてご紹介します。

劉備とは

劉備とは三国志の主人公で、字は玄徳です。父は劉弘(りゅうこう)で、漢王朝の血を引く者であったと言われています。

桃園の誓いで決起し、黄巾の乱で功績をあげた後、流浪を繰り返しながら力をつけていきます。官渡の戦いで曹操軍に大敗したのち、諸葛亮を三顧の礼で仲間に引き入れることに成功します。関羽・張飛・趙雲などの豪傑や軍師諸葛亮の活躍もあり、赤壁の戦いで曹操を一度撃破すると、最終的に蜀漢の初代皇帝となりました。魏(曹操)・呉(孫権)・蜀(劉備)の三国時代を生じさせるきっかけとなった人物です。

劉備の生涯

劉備の生涯は、三国志の主人公だけあり、様々な出来事があります。その中で、わかりやすくまとめた形で、若い頃から順を追って紹介します。

若き頃

劉備は幼い頃に父・劉弘が亡くなってしまいます。その関係で劉備の家の生活は貧しく、母と共に敷物を織って生計を立てていました。

幼い頃、劉備は家の前に生えている大きな桑の木を見て「僕も大きくなったら、天子の乗っている馬車に乗るんだ」と言いました。慌てた叔父は劉備の口を塞ぎ「滅多なことを言うでない、そんなことを口に出すだけで、わが一族は皆殺しの刑に遭うぞ」と叱責したというエピソードがあるほどに、幼少から劉備は大物感がありました。

学生時代は音楽や闘犬、乗馬などを楽しみ、ファッションも嗜むという時代の流行に乗っていました。口数が少なく、よく人にへりくだっていました。感情をあまり表に出さなかったのですが、天下の豪傑と進んで交流したため、若者は劉備に皆先立って近づくくらい人気がありました。豪商の張世平と蘇双は劉備を見て只者ではないと思い大金を与えました。このおかげで劉備は資金を手にして仲間を集めることが出来ました。

決起、桃園の誓い

当時の漢では、黄巾賊という略奪などを行う盗賊軍団が多く存在し、人々を苦しめていました。

ある日、劉備は黄巾賊を討伐するために義勇軍を募っている立て札の前で、「資金があれば軍隊を作り黄巾賊を倒せるのに」と嘆いています。そこへ張飛が声をかけ、劉備の正直さに共感した張飛は一緒に戦おうと誘います。

さらに行きつけの酒場に誘い、劉備と張飛は酒場で世の中のことについて語り合うと、二人は意気投合します。そして、そこに先客でいた関羽も加わって、一緒に酒を飲みます。飲んで話すほど考え方が一致した三人は、世の中の乱れを正すべく立ち上がる決意をします。

その後、劉備・関羽・張飛の三人が張飛の自宅裏にある桃園で次のように言います。

「我ら三人、生まれた日も時も違えどもここに兄弟の契りを結ぶ。心同じくして助け合い、困窮する者たちを救う。上は国家に報い、下は民の安らかな暮らしのため労を惜しまん事を誓う。生まれた日も時も違えども、死する日は同じ事をここに願うなり。」

こうして、三人は劉備を長兄、関羽を次兄、張飛を末弟として、義兄弟として生きる事を誓いました。そして、三人は村の若者たちに呼びかけて兵を集め、義勇軍として参加します。

黄巾賊の討伐と流浪

桃園の誓いを立てた三人は、幽州の太守である劉焉の元を訪れます。

劉焉は三人を手厚くもてなし、近くの山に陣を張った黄巾賊を鄒靖と共に攻撃し、見事勝利を収めます。その勝利もつかの間、「青州の城が黄巾賊に包囲された」との知らせが入ります。そこで劉備は休むことなく青州城に向かい、黄巾賊との戦に臨みここでも勝利します。

このように劉備は、盧植や朱儁の元でも義勇軍として戦い様々な戦果を挙げていきます。

黄巾の乱終結後、恩賞として劉備は中山国安熹県の尉(警察官)に任命されます。

劉備が尉に任命され、治安が良くなった安熹県の人々は劉備を慕うようになりましたが、事件が起こったため劉備は責任を取り尉の任を辞職します。そして、放浪の旅に出ることになりました。

放浪の旅に出ている最中、各地で反乱の討伐などに参加して功績を立てます。

徐州をめぐる攻防

反乱の討伐で功績を立てた劉備は、公孫瓚の元に身をよせました。公孫瓚に認められ、平原国の相(知事)に任命されます。さらに劉備は数千の兵を連れて徐州を守ったことから、徐州の統治者になります。その後、劉備は徐州を狙って攻めこんできた袁術と戦います。しかしその隙に、裏切った呂布によって徐州を奪われてしまいます。

劉備は兵を引き、小沛という都市に避難します。その後、呂布は曹操に攻め込まれ撃破されます。そこで曹操は捕虜にした呂布を臣下に加えるかどうかを迷います。その時に劉備は、呂布が過去に主君の丁原や董卓を殺害していることを指摘し、処刑を勧めました。曹操はこれを認め、呂布は処刑されます。

この後、劉備は曹操の元にいましたが、曹操はいずれ自分を邪魔に思うだろうと考え、徐州に赴き曹操の元を離脱します。その後、この徐州に曹操から攻め込まれ、逃げ延びることになり北の袁紹を頼ります。袁紹は歓迎し、劉備を自軍に加えました。しかし、袁紹が官渡の戦いで曹操軍に大敗したために、劉備はまた兵を引き、荊州の劉表に身をよせることになりました。

三顧の礼

曹操軍に敗北し、荊州の劉表に身を寄せることになった劉備は、司馬徽という人物に会い、あるアドバイスをもらいます。「鳳雛と臥龍のどちらか片方だけでも得れば、天下も夢ではない」と。

この臥龍・諸葛亮の評判を聞いて、ある日劉備は諸葛亮が住んでいる庵を訪ねます。この時と二度目に訪ねた時は、諸葛亮は不在でした。三度目に訪れた際には、諸葛亮は昼寝をしていました。それに対して、劉備はじっと礼を尽くして待っていました。そして、諸葛亮は起き上がると、三度も訪ねてきてくれて、さらに起きるまで待っていてくれた劉備に対して感銘を受けます。この逸話を「三顧の礼」と言います。このようにして、劉備は諸葛亮を仲間に引き入れることに成功したのです。

そこで仲間になった諸葛亮は劉備に「天下三分の計」を披露しました。これは、曹操・孫権に対してすぐに戦をしかけるのではなく、荊州と益州を領有して、体勢を整えてから挑むという策でした。この策は後に見事に実現することになります。

赤壁の戦い

諸葛亮を仲間に引き入れることに成功した劉備は、孫権と共に連合軍を組み曹操に抵抗します。当時曹操は、華北を統一後さらに南下して江南を目指していました。長江中流の赤壁で双方の水軍が対峙する赤壁の戦いが始まります。曹操の大軍は20万に対し、劉備・孫権の連合軍はわずかに5万と、兵の数から見れば明らかに劣勢でした。

そのような状況の中、諸葛亮の見事な知略が生きます。まず、3日で10万本の矢を入手することに成功します。さらに、相手の船を連結させる策(連環の計)を用い、季節風を読んでの火計を起こします。この活躍により、劣勢な状況をひっくり返し曹操軍を撃破することに成功します。撃破された曹操軍は逃げ延びていきますが、その先で曹操を捕らえるために、劉備軍の趙雲、張飛、関羽が待ち構えていました。最後の関羽が以前仕えていた恩義のため曹操を逃し、曹操は生き延びる事になります。

蜀の皇帝即位

荊州を守っていた関羽が、孫権と曹操の同盟軍に挟み撃ちに合い死亡します。この時、劉備はひどく悲しみ、また怒りの感情が満ちていました。

関羽の死後、一大勢力を築いた曹操が病で亡くなります。さらに孫権配下の呂蒙も病死し、劉備に対する侵攻は収まるかに思えました。しかし、曹操の後継者になった曹丕が魏を建国し、初代皇帝となってしまうのです。その影響を受けて、魏を倒し漢王朝を復権するためには、皇帝の血脈を持った劉備の力が必要だと家臣たちが騒ぎ始めます。そこで、諸葛亮が案を練ると、劉備は蜀漢の初代皇帝になることに成功します。

夷陵の戦いと遺言

蜀漢の初代皇帝になった劉備は、義弟・関羽の弔い合戦をすべく、呉を建国していた孫権に攻め入ります。最初は快進撃を続けていましたが、最終的に呉の陸遜に火計で蜀軍を焼き払われ大敗します。そして、江州に残っていた趙雲の力を借りることで劉備は命絶え絶えで白帝城に逃げ込むことに成功します。

しかし、あまりの大敗に劉備は戦意を無くし、命に関わる大病にかかることになります。そこで劉備は、諸葛亮を呼んで次のように言います。

「もし、我が子劉禅が君主の器であると思うなら、どうか補佐してやってほしい。しかし、劉禅に才能がないと思うなら、無理をすることはない。君が劉禅にとって代わって君主となってくれ」これを受け諸葛亮は劉禅を補佐し、漢統一のために尽くすことになります。

その言葉の後、劉備は亡くなります。享年63歳でした。

まとめ

劉備は桃園の誓いから黄巾賊の討伐で功績をあげ、流浪を繰り返しながら力をつけていきます。さらに、赤壁の戦いで曹操を一度は打ち破り、蜀漢を建国するまでに至ります。しかし、義弟・関羽のと弔い合戦の夷陵の戦いで敗戦し、志半ばで亡くなってしまいます。

夷陵の戦いには、諸葛亮・趙雲が共に反対していました。ですが、劉備は関羽のために強行してしまいます。この事から情に厚く、激情的であると言えます。劉備はそのおかげで、関羽・張飛・趙雲・諸葛亮などの沢山の優秀な仲間に恵まれます。

劉備と言う人物は、情に厚いために人から好かれ皇帝にまで上り詰め、しかし情の厚さから致命的な大敗を喫してしまいました。情に厚いというのもバランスが大切なのかもしれません。

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