玄奘三蔵の生涯と功績とは?西遊記のモデルとなった人物について

西遊記のモデルとされている玄奘三蔵ですが、西遊記での姿は馬に乗り気品高いイメージがありますが、実際はそうではありません。果たして実際の玄奘三蔵はどういった人物だったのか。ここでは、玄奘三蔵の生涯、功績と三蔵法師の意味についてご紹介します。

玄奘三蔵とは

玄奘三蔵は中国の唐代初期の僧侶です。玄奘は法相宗と呼ばれるインドの思想を継承した中国宗派の開祖と言われています。ここでは、玄奘の生涯・インドに出向くきっかけ・功績・西遊記の三蔵との違いについてご紹介します。

玄奘三蔵の生涯

玄奘三蔵は602年に産まれたとされていますが、出生は諸説あるので不明です。家族は代々学者であったため、幼少期は友人と外に出て遊ぶより書物を読んでいたそうです。玄奘は5歳と10歳の時に母と父を亡くしてしまいます。その後は、11歳から兄の下でお経を学び13歳で僧侶となります。しかし、当時の玄奘は出家前であったため受験資格がありませんでした。ですが、玄奘は受験会場にいる面接官に自身の強い志を熱弁し、感動した面接官に推薦という形で試験を受けることを許されます。

試験に合格し無事僧侶となった玄奘は「長安」や「成都」など各地の寺で仏教を5年間学び、さらに仏教を学びたいと考えた玄奘は、渡航が禁止されているにも関わらずインドへ渡り、仏教の勉強を続けます。

インドで仏教を学んだ玄奘は学んだ事を中国の人にも広め、インドから持ち帰った膨大な書物の翻訳に余生を捧げ、664年に63歳で亡くなります。

インドへ旅に出るきっかけ

僧侶となった玄奘は仏教にのめり込み、中国中のあらゆる仏教の書物を読みますが、書物毎に内容が異なり疑問を持ちました。玄奘は中国で学ぶことに限界を感じ、仏教が生まれた国とされるインドに行き学ぶことを考えます。

しかし、当時国の法律で定められていたこともあり国を離れるには許可が必要でした。玄奘は幾度も申請書を提出しますが全てはね返されてしまいます。

仏教を学びたいという強い意志があった玄奘は、法を破ってインドに向かいます。玄奘は16年間の旅で、最初こそ苦労もありましたが、徐々にインドの王にも玄奘の名前が知られる程学問を深めていったとされます。

玄奘三蔵の功績

玄奘の功績は、インドで仏教を学び帰国するときに、インドから多くの書物を持ち帰った事です。当時は密出国であった唐の時代に、国禁を冒してインドに渡った勇気があったからこそ持ち帰ることができたのです。持ち帰った膨大な書物の翻訳に玄奘は生涯を費やします。玄奘が生前に翻訳した数は、延べ1347巻にもなりますが、持ち帰った書物の3分1程度の翻訳でしかありません。

また、弟子が玄奘のインドでの旅の様子を聞いて書き上げたのが「大唐西域記」です。この作品が後の「西遊記」のモデルとされています。

西遊記の玄奘三蔵との違い

西遊記は、「孫悟空」「沙悟浄」「猪八戒」の3人の仲間を引き連れて玄奘三蔵法師が中国からお経を求め天竺に向かうまでのお話です。ストーリーの展開としては、前半は孫悟空が誕生してから仙人に仙術を学び、天界で暴れた挙句五行山に封じ込められてしまうお話です。後半は三蔵法師が孫悟空・沙悟浄・猪八戒を引き連れ、道中妖と戦うなど困難がありながらも天竺を目指していくお話の2部構成になっています。

西遊記での三蔵は白い馬にまたがり、気品高いイメージがあります。ですが、実際のインドの旅は、玄奘1人で砂漠を進んでいく逞しさを持つ人物です。

三蔵法師とは

西遊記では、三蔵法師ご一行と呼ばれ「三蔵」と呼ばれている僧侶が旅をする物語だと皆さんは思うはずです。しかし、実際は三蔵法師と呼ばれる僧侶は何人も存在します。なぜ「三蔵」と名前が使われるのか、ここでは三蔵を名乗ることのできる僧侶の条件、玄奘三蔵と同じく「二大訳聖」と呼ばれた鳩摩羅什という人物についてご紹介します。

三蔵と名乗れる条件とは

三蔵とは、仏教の「経蔵」「律蔵」「論蔵」の3つを合わせた総称です。「経蔵」に精通した者を「経師」、「律蔵」に精通した者を「律師」、「論蔵」に精通した者を「論師」と呼びます。

まず、「経蔵」とは、お釈迦様が説いたお経のことで、5つにお経が分類されています。長い物語のようなお経「長部経典」、中くらいの長さのお経「中部経典」、短いお経が合わさってできたお経「相応部経典」、数毎にまとめたお経「増支部経典」、上記に属さないお経「小部経典」の5つです。

次に、「律蔵」とは、お釈迦様が決めた戒律を言い、3部に内容が構成されています。男と女で分けられた戒律のルールを定めたお経「経分別」、教団で生活していく中での決まり事の大小で分けるお経「犍度部(けんどぶ)」、全体の戒律の説明である「附随」の3つです。

最後に、「論蔵」とは、お釈迦様の教えを仏教の先生が研究し7部構成にしたものです。内容は、「人施設論」「法集論」「分別論」「界論」「双論」「発趣論」「論事」の7つです。別名では「アビダルマ」とも呼ばれています。

三蔵法師は、三蔵全てに精通する僧侶のことです。玄奘三蔵はその三蔵法師の中でも1番力のある僧侶で有名です。当時は三蔵に精通していた僧侶が三蔵法師と呼ばれていたが、玄奘三蔵の存在が大きく後には三蔵法師といえば玄奘三蔵と言われるようになります。

二大訳聖 鳩摩羅什の存在

三蔵法師の中で1番有名だったのが玄奘三蔵ですが、彼と同じくらい有名なのが「鳩摩羅什(くまらじゅう)」と呼ばれる人物です。

鳩摩羅什は玄奘より前の時代に活躍していた三蔵法師の1人です。鳩摩羅什は仏教の根源であるインドでも中国でもない亀茲国(きじこく)の出身でしたが、語学が堪能で素晴らしい文章の翻訳をしています。当時は、インドの僧侶が暗唱し書きとったものを中国語に翻訳するシステムでした。しかし、鳩摩羅什はインドの言語も中国語も堪能であったため、インドの言語を中国語に変換して暗唱します。弟子がそれを書き、大勢の僧侶と訳す作業をします。

鳩摩羅什の方法で後の中国、そして日本の仏教に多大なる影響を与えるのです。

まとめ

玄奘三蔵は、探求心が強く法を破りインドに渡って仏教の教えを学び広めていきました。インドから帰国した後も、自分の命が尽きるまで書物の翻訳作業に費やします。彼のたゆまぬ努力の結晶が、現代の仏教に多大なる影響を与えたのでしょう。

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