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坂本龍馬の子孫って現在はどうなってるの?子孫の方々を紹介!

歴史に名を残す偉人がいると、その子孫についても気になる方は多いのではないでしょうか。現在どうしているのか、何人ぐらい子孫はいるのか、どういった人生を送っているのかなど、疑問も尽きないことかと思います。そこで今回は、幕末から明治の動乱の時代を生きた、坂本龍馬の子孫について色々と調べてみたので、ご紹介したいと思います。

 

坂本龍馬の生まれについて

坂本龍馬ですが、生まれたのは天保6年11月15日になります。現在の高知県にあたる土佐藩に坂本家の次男として生まれました。

 

龍馬の父親は坂本直足、母親は幸という方になります。父の直足は武芸に大変優れていたことで有名で、特に槍の腕前は相当のものであったようです。

 

龍馬は五人兄弟で末っ子として生まれました。兄は権平、三人の姉はそれぞれ千鶴、栄、乙女になります。

 

家庭環境ですが、かなり裕福だったようで、それは曾祖父の時に本家から多額の財産を分与されて独立していたためのようです。

 

そもそも坂本龍馬に子供っていたの?

坂本龍馬の恋人や想い人と言われる方は何人もいるようです。そんな中で彼のハートを射止めたのは、楢崎龍、通称お龍と呼ばれる女性です。二人の出会いは1864年のことでした。お龍も龍馬と同様に比較的裕福な家庭環境で育ったようです。生花や茶道も嗜んだとか。

 

きっと二人は話も合い意気投合したのでしょう。同年にすぐに結婚することとなります。新婚旅行で鹿児島に訪れたエピソードなどは有名ですね。しかしながら龍馬がいつも忙しく飛び回っていたためなのか理由は分かりませんが、残念ながら二人の間には子供は出来ませんでした。

 

それでは坂本家はどのように受け継がれていくのか、続いては坂本龍馬家の家督について見ていきましょう。

 

坂本龍馬家の家督について

坂本龍馬家の跡継ぎの経緯ですが、どの様になっているのでしょうか。龍馬の妻のお龍の間には子供は生まれなかったので、どのように跡目が繋がれていくのか大変気になります。順を追ってみていきましょう。

 

坂本龍馬家2代目は直

龍馬とお龍の間には子供がいなかったので、このままでは龍馬家が途絶えてしまいます。そこで二人は養子にて子供を迎えることを検討します。そこで候補に上がったのが、龍馬の長女である千鶴の長男である直でした。彼は龍馬の甥にあたります。龍馬からも直は大変可愛がられ、無事に龍馬家の養子に迎え入れられることとなりました。その後、二人には通じ合うものもあったのでしょう、直は龍馬からの誘いもあって海援隊に入る事になります。

 

その後、直は東京府典事や宮内省雑掌などの大役を任せられてきましたが、キリスト教を信仰している事を理由に、宮内省を辞めさせられてしまします。明治31年に直は病のために永眠してしまいます。

 

坂本龍馬家3代目は直衛

坂本龍馬家3代目を誰が継ぐことになったかと言うと、2代目の直の次男である直衛が後を継ぐ事となりました。その直衛なのですが、大変残念な事ですが大正6年に太平洋上にて不運な事故に遭ってしまい、無念にも命を落としてしまったようです。享年34歳と大変若く、彼の死を惜しむ声もやまなかったようです。また、結婚をしていたという記録も残っていないため、生涯独身だったのではないかとされています。

 

坂本龍馬家4代目は直道

上記のように、3代目の直衛には子供に恵まれませんでした。そのため、どのように誰が家を相続するのか検討する必要がありました。実際には、2代目の直の弟に当たる直寛の息子の直道が坂本龍馬家の4代目を引き継ぐ事となりました。

 

直道は父の直寛らと共に、北海道へ1897年頃に移住しました。しかし、1911年に父の直寛が亡くなってしまいます。そのために直道は一時的ではありますが、郷士坂本家を相続しする事となりました。その後、直道が隠居するという形をとることで、1913年に義兄である彌太郎が郷士坂本家を相続しました。そして直道は、1941年に坂本龍馬家を再興することとなります。

 

坂本龍馬家直系の血筋だが・・・

坂本直道ですが、大変めでたく二人の子宝に恵まれていました。直臣と寿美子と男の子と女の子が一人ずつです。しかしながら、直臣は大変残念ですが若くして亡くなってしまったために子供には恵まれていません。寿美子についても子供に恵まれるとこはありませんでした。

 

そのため、坂本龍馬家の直系の子孫という事になると、現在は途絶えてしまっているというのが現状です。

 

坂本家の血筋は続く

その一方で、龍馬の兄である直方の家系は幸いなことにも現代まで血筋が続いています。それは、龍馬と同じく長姉の千鶴の次男である坂本直寛を養子として迎え入れたからです。さらに現代の当主はなんと10代目!脈々と血が受け継がれております。

 

坂本龍馬の子孫たちをご紹介!

ここでは龍馬と血縁関係にある子孫の方々を詳しく紹介していきます。龍馬の時代から現代まで100年以上に渡り、現代まで繋がれてきた血筋です。残念ながら龍馬直系の血筋は途絶えていますが、お兄様の血筋は続いており、坂本家としては続いています。どんな方々がいるのか、一部ですがご紹介します。

 

坂本直(坂本龍馬の甥)

すでに少し登場していますが、改めて詳しくご紹介します。坂本直は龍馬の姉の子として生まれました。天保13年の事になります。

 

直は当初、土佐勤王党に加わって精力的に活動していましたが、文久3年に龍馬に勧誘されて海舟の一門に加わりました。龍馬と多くの行動を共にし、海兵隊や亀山社中の中心人物の1人として活動していました。

 

龍馬の死後、直はまず建白書を作成しました。蝦夷地経営に関する事をまとめ、慶応4年に新政府へ提出しました。また箱館裁判所の権判事も務めました。函館戦争の際には、新政府軍の一員としてこの戦争にも加わり、成果をあげました。

 

その後、新政府は蝦夷地を北海道と改めて、本格的な開拓に乗り出しました。直も再び、箱館府に勤務する事になるのですが、なぜかすぐに免職となってしまいます。

 

以後、宮内省雑掌などを任せられますが、キリスト教信仰の疑いで免職となってしまいます。その後、弟である直寛の家に同居しようと考え、直は高知に戻る事になります。晩年になると直は教会の熱心な信者となりました。そして明治31年に病気のために57歳で亡くなってしまいます。

 

坂本直寛(坂本龍馬の甥)

坂本直寛は嘉永6年生まれです。坂本直の実弟なので龍馬の甥にあたります。龍馬の兄の権平の養子へと直寛は入る事となるので、坂本家の5代目当主となりました。

 

直寛は自由民権派の政治家として大いに活躍しました。その後、高知教会で洗礼を受けた事でキリスト教徒になります。

 

藩閥政治に対しても直寛は強く抵抗してきました。そのためか、明治20年には保安条例に違反したとして2年間投獄されてしまいます。投獄されると気分も滅入りますが、彼はそんな投獄中に新たな事業を思い立ちます。それは拓殖事業です。彼は仲間と共に北光社を設立するために奔走し、初代社長に就任します。北の大地、北海道は北見の開拓に着手します。

 

北光社は北海道を開拓するための移民を募集します。そしてこれに応募してきた移民達を直寛は暖かく出向かえます。その直寛は四国の高知へと一度戻りますが、家族と一緒に北海道の浦臼へ移り住みました。

 

その後、直寛は農業開拓を率先して行いました。浦臼にて、聖園農場を経営しました。農業開拓だけではなく、キリスト教徒としても理想の実現を目指しました。牧師としても人々に敬われたのです。そんな直寛ですが、明治44年に胃がんのために札幌で生涯を終えることとなります。享年は59歳でした。

 

坂本直行(8代目当主)

坂本直行は坂本家8代目(坂本龍馬の生家である郷士坂本家)当主に当たります。直行は素朴で大胆な筆使いで知られる山岳画家として有名でした。「チョッコウ」さんという名前を音読みで読んだ呼ばれ方で、みんなから親しまれていました。

 

直行は、明治39年に北海道は釧路の地に生を授かります。直寛の長女と彌太郎の次男として生まれます。その後、直行は大学農学部に入学し、北大山岳部に入部しました。そして北海道内の数多くの山々を歩き続けました。

 

大学を卒業後、東京の園芸会社に就職しますが2年後に退社して札幌に戻る事となります。その後、広尾村字下野塚に移り住みます。農業や酪農に従事する一方で山へも赴き、スケッチする事を続けました。そして彫刻家である峰孝の勧めもあって、初めての個展を開催する事になります。

 

以後、札幌や東京などでコンスタントに個展を開催し、精力的に画家としての活動を続けます。画業に注力する一方、執筆活動も行いました。

そんな直行ですが、昭和57年にすい臓がんのために亡くなられてしまいます。享年は75歳でした。死後には、坂本直行記念館が故人を名残惜しむように河西郡中札内村に建てられました。 また彼の作品はたいへん親しまれており、北海道銘菓である六花亭の紙袋の絵などにも使われており、実際に見たことがある方も多いのではないでしょうか。

 

坂本登(9代目当主)

坂本家の9代目当主は坂本登さんになります。現在もご健在で、坂本龍馬財団評議員や記念館の名誉顧問も務めておられます。

 

坂本匡弘(10代目当主)

10代目当主は坂本匡弘さんになります。1965年の東京都生まれです。全国龍馬社中常任相談役、銀座龍馬会、大和龍馬会、遠州龍馬会、北海道道援隊などの顧問を努めておられます。息子さんも既に2人もおられるようで、将来の坂本家も一安心と言えそうです。

 

まとめ:坂本龍馬の子孫はまだ存続

さて、坂本龍馬の子孫について見ていきましたが、いかがでしたでしょうか?坂本龍馬家直属の子孫は途絶えてしまっていて残念ではありましたが、坂本家としては現在も存続しているのは大変嬉しいですよね。

子孫の方々は色々な形でご活躍されているようで、こちらも負けてはいられないとなんだが活力が湧いてきます。若くして亡くなられてしまった方も何名かいましたが、どの方も龍馬の考えや思いを受け継いで立派に生を全うされたように思います。

龍馬の考えや思いはたとえ時代が変わってしまったとしても、どこでも通用する揺るがない物のように思います。いつまでも絶やさぬように後世まで龍馬の事を伝えていきたいものですね。

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