西郷隆盛が愛した犬たちとそのエピソード。なんで犬が好きになった?
2018年大河ドラマ『西郷どん』でもお馴染みの「西郷隆盛」。「西郷隆盛」と名前を聞くと、あの上野にある犬を連れた銅像を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?犬を連れている西郷隆盛の銅像はとてもインパクトがあり、一度見ると忘れられないと思います。犬たちが大好きだった西郷隆盛には犬とのエピソードも多く残っています。今回はそんな西郷隆盛の犬にまつわるエピソードについてご紹介していきたいと思います!
西郷隆盛が犬を飼い始めたきっかけとは?
上野の銅像でもわかるように西郷隆盛は常に犬を連れて行動するような大の犬好きでした。西郷隆盛はそもそもなぜ犬を飼い始めて、こんなにも犬を愛したのでしょうか。まずは西郷隆盛が犬を飼い始めたきっかけを紹介しましょう。
肥満体と言われてダイエット!犬は西郷隆盛のダイエット仲間だった
西郷隆盛は、見かけによらずお酒が一滴も飲めない人でした。そのかわり大好きだったのは甘いものと脂っこいこってりしたものです。大好物はさつまいもやまんじゅうなどの甘味。好きなおかずはスペアリブの煮付け。そんな生活を繰り返していた西郷隆盛は、ドイツ人医師のホフマンから肥満体と診断を受け、このままでは長生きできないとまで言われてしまいます。当時の西郷隆盛は激しく運動していた倒幕の時代とは違い、デスクワークばかりで運動することもなく、歩くだけで息切れして馬に乗ることもできなくなってしまっていました。炭水化物を減らして運動するようにとホフマンから言われた西郷隆盛は、食事の改善とともに犬を連れて狩猟のために山歩きをするようになりました。
犬と一緒に兎狩りへ。西郷隆盛式ダイエット
このままでは長生きできないと言われた西郷隆盛は、一連発起してダイエットを始めます。ダイエットのために西郷隆盛がしたのは食事を改善することと、当時は自然がたくさん残っていた東京の山で犬を連れて兎狩りをすることでした。西郷隆盛の愛犬「ツン」は古くから猟犬として飼われていた薩摩犬で、狩猟犬らしく気性が荒い雌犬でした。山歩きのおかげか、食事制限のおかげか、この後、西郷隆盛はダイエットを成功させました。西郷隆盛の兎狩りの趣味は、征韓論論争で敗れて鹿児島に帰った後も続いていたそうです。
どれだけ好きだったのか? 西郷隆盛と犬とのエピソード
西郷隆盛が残した犬とのエピソードはどれも微笑ましいものでした。一つ一つのエピソードから見える西郷隆盛は本当に犬を愛していたのでしょう。そんな西郷隆盛と犬たちの心温まるエピソードをご紹介しましょう。
一番多いときは数十頭!家は犬屋敷だった
名前がわかるだけで西郷隆盛は13匹の犬を家に飼っていました。名犬がいると聞くと欲しくなってしまう西郷隆盛は、飼い主に犬を譲って欲しいと頼み込み、たくさんの犬を譲ってもらっていたようです。現在でも西郷隆盛が犬を譲ってくれた飼い主に書いた御礼状が残っています。また、西郷隆盛が犬を褒めていたという話を聞いた飼い主側が自主的に連れてくることもあったそうです。
犬のためにうなぎを注文!
西郷隆盛はうなぎが好きで、よくうなぎ屋に行っていました。その際にも犬を連れて行っており、犬のためにうなぎを注文して与えていたそうです。注文したうなぎを犬へ与えることに夢中になりすぎて、品切れで自分が食べられないこともあったそうです。注文したうなぎを犬に与えることを後ろめたく思っていたのか、丼の下に大金を置いていくので、気づかない店長から食い逃げと勘違いされてしまったこともあったといいます。
犬が本当に好きだったから。西南戦争時の西郷隆盛と犬の別れ
1872年8月16日。西郷隆盛は自身が命を落とした西南戦争のときにも一緒に犬を連れていきました。
新政府に追い詰められた西郷隆盛は軍の解散を決意しました。この際、西郷隆盛は陸軍大将の軍服を破り捨て、自分の愛犬の首輪を外して犬たちを放ちました。このときすでに西郷隆盛は敗北を覚悟していたと思われます。放たれた犬のうち一頭は警視隊巡査に捕らえられ、もう一頭は元の飼い主の家に帰った後、西郷隆盛の弟、西郷従道に引き取られたそうです。
現在に残る西郷隆盛と犬たちの絆
西南戦争で自刃して果てた西郷隆盛ですが、今の時代にも犬を愛していた西郷隆盛の証拠とも言える上野の銅像が残っています。西郷隆盛が犬を連れて歩いている光景は、束の間でも穏やかな西郷隆盛の日々を表しているようです。
上野の銅像は西郷隆盛と愛犬の散歩風景?
上野の西郷隆盛像は愛犬との散歩の風景のように見えますが、本当は愛犬ツンとの兎狩りのシーンをなのだそうです。最初のデザインでは直立不動で軍服を着た西郷隆盛の銅像を作る予定でしたが、いわば逆賊である西郷隆盛が軍服を着ているのはおかしいという話が出たため、今の浴衣姿で犬を連れた姿の銅像が作られました。
上野の銅像の薩摩犬は本当は女の子?
西郷隆盛像の横にいる犬は西郷隆盛の愛犬、薩摩犬のツンであると言われています。ツンは雌なのですが、銅像の犬は雄犬です。銅像を作った時点ですでにツンは亡くなっていたため、西郷隆盛像の犬は決まった犬ではなく西郷隆盛の愛犬を数匹混ぜ合わせたイメージで作ったそうです。実際の銅像の形のモデルにした犬が雄の犬だったため、銅像の犬はそのまま雄犬で作られました。
上野の銅像の犬は本当は洋犬だったのかもしれない?
西郷隆盛の銅像を作ったのは高村光雲で、写真嫌いだった上に銅像を作った当時すでに亡くなっていた西郷隆盛の銅像を作るのにキヨソネの描いた肖像画で上半身を、西郷隆盛が愛用していたズボンを土台にして下半身が作られました。犬は高村光雲の弟子で後藤貞行が制作しましたが、実際の西郷隆盛の愛犬は元徳川将軍家にいた「お虎」というオランダ犬だったらしく、洋犬は西郷隆盛のイメージに合わないと言う理由で急遽薩摩犬に代えられたというはなしがあります。
西郷隆盛の愛犬ツンのその後は?
実は西郷隆盛の愛犬のツンは平成2年に鹿児島県薩摩川内市の東郷町に銅像があるのです。NHK大河ドラマの「翔ぶが如く」放映を記念して作られたもので、ツンの最初の飼い主である前田善兵衛が住んでいた場所だからという理由です。ツンは西郷隆盛が明治6年に薩摩に戻る途中に一目惚れした犬で、前田善兵衛の飼い犬でした。西郷隆盛は交渉をしてツンを手に入れようとしますが、前田善兵衛はそれを断ります。どうしてもツンを諦められず、西郷隆盛は地元の権力者を動かしてまでツンを手に入れました。しかし、頭の良かったツン自身が西郷隆盛が鹿児島に戻る途中に2度ほど前田善兵衛のいる家に戻ってしまったようです。ツンは西南戦争のときには戦争が起こる前に西郷隆盛の親しい知人に預けられていたそうで、残りの一生はその家で可愛がられて過ごしました。ツンの墓は今も「西郷どんの犬の墓」として残っています。
まとめ:心から犬を愛した西郷隆盛
最初はダイエットのためだった犬との生活は、西郷隆盛にとっては唯一の癒やしだったのかもしれません。毎日犬たちの毛並みを整えるために庭に降り、西郷隆盛本人が食事の世話も行っていました。自分の最後が近づいていても犬たちのためを思い、生き残ることを願って解き放った西郷隆盛は心から犬を愛した犬好きだったのです。