宮本武蔵の生涯を総まとめで解説!巌流島の戦いから五輪書執筆まで!

宮本武蔵といえば、佐々木小次郎との巌流島での決闘や二刀を用いる二天一流兵法の開祖であることなどなど有名なエピソードが多くあると思います。テレビドラマでも度々扱われる題材ですし、人気コミックでも登場しているので、なにかしら宮本武蔵と接点がある方も多いのではないでしょうか。今回は、総ざらいで宮本武蔵の生き様をお伝えすべく記事をまとめてみましたので、順に見ていきましょう。

 

宮本武蔵の生涯について

宮本武蔵と佐々木小次郎
宮本武蔵と佐々木小次郎の像

宮本 武蔵(みやもと むさし)は、江戸時代に活躍した剣術家です。二つ刀を操る二天一流兵法の開祖としても有名です。現代では宮本武蔵が執筆した五輪書の情報を元に、宮本武蔵の生涯を明らかにしています。一方で、はっきりしない伝説、言い伝えの中で誇張されたと考えられる説も多くあります。

 

彼がどの様にして、歴史に名を遺す剣豪になったのか、その生涯をまずは詳しくみていきましょう。

 

0歳(1584年:武蔵誕生

五輪書によれば、播磨国(現在の兵庫県)で生まれたとされています。しかし一方で、江戸時代後期の地誌「東作誌」には美作国宮本村(現在の岡山県)で生まれたという記載もあります。この宮本村で出生したことから「宮本」と名乗るようになったとの説もあります。

宮本武蔵の幼名は辨助(べんのすけ)、実は武蔵(むさし)と言う名は通称なんです。

 

13歳(1596年):初めて決闘にて勝利

武蔵の戦歴は生涯無敗とされています。彼が初めて決闘を行ったのが、13歳の時。 新当流の有馬喜兵衛と決闘し勝利したそうです。さらに16歳の時には但馬国の秋山という強力な兵法者に勝利を納めます。

 

17歳(1600年):関ヶ原の戦いに参加

宮本武蔵の父である新免無二が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していたことを証明する黒田家の文書が存在するそうです。武蔵も父と一緒に当時の豊前国を領していた黒田如水に従って東軍として九州で戦った可能性が高いとされています。ただし、参加をしていたとしても当時の武蔵は無名。雑兵として参加したようです。

 

21歳(1604年):吉岡一門との決闘に勝利

吉岡一門の吉岡清十郎、吉岡伝七郎、吉岡又七郎は宮本武蔵のライバルとして有名です。吉岡一門は足利将軍家に仕えた京のエリート剣術師範です。

「五輪書」によれば21歳の頃に、京都で天下の兵法者と数度決闘を行ったが、全てに勝利したとの記述があります。この天下の兵法者が吉岡一門と考えられています。門下の吉岡清十郎、伝七郎、又七郎に武蔵は勝利を納めたとされています。

 

29歳(1612年):巌流島での決闘に勝利

「五輪書」では、宮本武蔵は29歳までに60回ほどの決闘を行い、そのすべてに勝利したと記載があります。

巌流島での決闘は宮本武蔵の最も有名な決闘です。豊前小倉藩領(現在の山口県)の巌流島(舟島とも呼ばれています)で、佐々木 小次郎(佐々木小次郎ではなく、岩流との呼び名の兵法家であったとの説もあります)と戦いました。宮本武蔵はこの戦いに見事に勝利します。

佐々木小次郎は宮本武蔵の最大のライバルとして有名ですが、実は彼についての資料はあまり残っていなく、不明な部分が多いです。豊前国田川郡副田庄(現福岡県田川郡添田町)の豪族、佐々木氏のもとで出生した剣客とされています。

 

31歳(1614年):大坂の陣に参加

大坂の陣では水野勝成の客将として徳川方に参戦したそうです。この戦場にて多くの活躍したことが数々の資料にも残っています。

 

54歳(1637年):島原の乱に参加

宮本武蔵も中津藩主の小笠原長次の後見として出陣したそうです。

 

58歳(1641年):兵法三十五ヶ条を書く

武士の戦い方のいろはを記載した、「兵法三十五ヶ条」を作成したと言われています。

 

60歳(1643年):五輪書を執筆開始

熊本市近郊の金峰山にある岩戸の霊巌洞にて「五輪書」の作成を開始したと言われています五輪書は宮本武蔵の兵法の極意を書いた書籍です。書名は「地・水・火・風・空」を由来としていて、それぞれの巻(地の巻など)があります。

 

62歳(1645年):五輪書完成、そして死去

見事に「五輪書」の執筆を完了します。しかし病が重くなってしまい、亡くなってしまいます。

 

宮本武蔵の名言3選

宮本武蔵像

続いては宮本武蔵の名言を厳選して3つご紹介したいと思います。宮本武蔵は名言も数多く残しています。彼の名言には心を動かされるものから、さすが武士らしいなと感じられるものまで、様々です。今後を生きるヒントになるのではないでしょうか?

 

1.何れの道にも、別れを悲しまず。

出会いがあれば必ず別れもあるものです。別れがあるのはもはや必然のことであり悲しむことではないと宮本武蔵は説いています。今のようにインターネットもSNSもない時代です。今以上にきっと人と人の出会いや別れには感傷的になってしまいがちかと思いますが、剣豪の宮本武蔵は達観しています。人として生まれた以上、確かに別れは避けて通れないものなので、悲しむよりも前向きに考えたほうがいいのかもしれません。

 

2.空を道とし、道を空とみる。

ここでいう「道」という言葉は、武士としての道を表しています。「空」とは心という意味で用いられているようです。無欲、無心が事を成すといったことをこの名言は説いています。欲求が強すぎると目の前にある成功や進むべき道も分からなくなってしまいます。目の前が見えなくなっている人は一度この言葉を思い出して心の中を整理してみるといいでしょう。

 

3.我事において、後悔せず。

常に全力で自分の人生を生きていなければ、出てこない言葉だと思います。宮本武蔵はいろんなことが起こる人生でも、決して後悔はしないといいます。時には失敗したり、思い通りにいかないことの方が多いのが人生だと思います。ですが、常に覚悟を持って生きていれば、どんな事が起ころうが後悔することはないのかもしれません。今を大切に全力で生きていきましょう。

 

まとめ:宮本武蔵の精神は現代にも受け継がれている

巌流島 (2)
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行ったとされる巌流島

さて、今回は宮本武蔵の生涯を総まとめでご紹介いたしましたが、いかがでしたでしょうか。今なおドラマや漫画など多くの創作作品に影響を与え、宮本武蔵が生きた証は色濃く残っています。彼の武士の精神は、現代社会を生きる我々にとっても参考になることが多くあるのではないでしょうか?

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