岡本太郎の生涯 ~「芸術は爆発だ!」の言葉を残した天才芸術家~

岡本太郎という芸術家をご存知でしょうか。1970年の大阪万国博覧会で展示された、「太陽の塔」という巨大な建造物の芸術作品の作者であることは有名ですが、あまり詳しくは知らないという方も多いのではないでしょうか。今回は、岡本太郎とはどんな人か、そしてどのような芸術作品の世界観を持っていたのかをテーマに、彼の偉大な足跡を振り返ってみようと思います。

 

岡本太郎とはどんな人か

岡本太郎
岡本太郎/wikipediaより引用

まずは岡本太郎の生涯を振り返ってみたいと思います!

 

岡本太郎のアーティスティックな両親について

現代日本を代表する芸術家である岡本太郎でしたが、両親もとても芸術的な人でした。

父親の岡本一平は、漫画に内容を解説する文章を合わせて載せるというスタイルの漫画で人気を博した漫画家でした。「宰相(現在の総理大臣)の名は知らぬが、一平なら知っている」といわれたほどの漫画家でした。

母親の岡本かの子は歌人で、「鶴は病みき」、「生々流転」などの小説でも有名な小説家でもありました。

こうした芸術家を両親にもって生まれた岡本太郎は、幼い時から絵を描くのが好きな少年でした。

 

幼年時代~青年時代の岡本太郎

1911年2月26日に、現在の神奈川県川崎市に漫画家岡本一平と歌人かの子との間の長男として生まれました。

小学校時代は学校になじめず、入校と転校を繰り返していたそうです。

幼少のころから絵を描くことが好きだった太郎は、「何のために絵を描くのか」と思い悩みながらも、慶應義塾普通部を卒業した後に東京美術学校(現在の東京美術大学)に進学します。

その後、父の一平がロンドン海軍軍縮会議の取材の仕事のためにヨーロッパに渡ることになり、太郎は東京美術学校を休学して、親子三人と母かの子の二人の愛人を含めた五人で日本を出発、1930年の1月にフランス・パリに到着しました。10年間にわたる岡本太郎のフランス生活の始まりです。

 

岡本太郎のフランス時代

フランス語を習得する必要があった岡本太郎は、パリ郊外のリセの寄宿舎で生活するようになります。リセとは、高等学校に相当するフランスの教育機関のことです。語学の勉強をしながらソルボンヌ大学で美術を学びました。しかし「何のために描くのだろう」という疑問を持っていた太郎は、その答えを得るために民族学や哲学、心理学などの絵とは関係のない勉強にも力を入れていました。

ある時、岡本太郎は画廊でピカソの作品である「水差しと果物鉢」を見て衝撃を受けた岡本太郎は、ピカソを超えることを目標とすることで芸術に関する迷いを断ち切ることに成功します。

また、哲学者のバタイユとも親交を持ち、「素手で魂をひっかかれたよう」な感動を得ました。最終的には決別してしまいますが、バタイユとの出会いによって人生が変わったと自ら述懐するほど、岡本の人生にとって重要な出会いが、フランス時代にはありました。

1932年に両親が日本に帰国した後もフランスに残りました。やがて1939年9月に第二次世界大戦がはじまり、1940年にドイツ軍がパリに侵攻したことを受けて、岡本は日本に帰国します。

 

戦後~メキシコへの滞在と「太陽の塔」

岡本は戦時中は兵役を受けて中国に出征しました。戦争が終結した後に日本に戻り、アトリエを構えて創作活動に励むようになります。

1960年代の終わりにはメキシコを訪れて、同地の画家シケイロスから影響を受けて、現地のホテルの経営者から壁画制作の依頼を受けました。この時の壁画がのちに、代表作の一つである「明日の神話」となります。

1970年に大阪万国博覧会が開催されることに決まると、岡本は自らを象徴するほどの傑作「太陽の塔」の制作を始めます(1970年2月に竣工)。

 

「太陽の塔」以後の岡本太郎

その後はテレビCMやバラエティー番組などに出演し、お茶の間の人気者になります。

テレビCMで発した「何だこれは」「芸術は爆発だ」というフレーズは流行語になりました。

晩年も創作意欲が衰えることはありませんでしたが、パーキンソン病を患ったこともあって、作品のほとんどを川崎市に寄贈しました。寄贈された作品は、1999年に開館する川崎市岡本太郎美術館に所蔵されています。

1996年1月7日にパーキンソン病が原因の呼吸不全に陥り、84歳で亡くなりました。葬式が嫌いであった岡本の意向に沿う形で、葬儀は行われず、85回目の誕生日になるはずであった日にお別れの会が執り行われました。

 

岡本太郎の芸術作品の世界観に迫る

岡本太郎の芸術観とはどんなものだったのでしょうか。岡本太郎は何から影響を得て、制作活動に励んだのでしょうか。

 

岡本太郎の芸術観とは

岡本太郎の芸術観は、非常に反抗心にあふれたものでした。芸術家の両親のもとに生まれ、既存の概念にとらわれることなく育った岡本は、権力を振りかざすもの、人間の自由と権利を踏みにじるものなどに対する強烈な反抗心を持ち、それは彼の芸術にも表れています。

例えば代表作の一つである「明日の神話」は、第五福竜丸が被ばくした際の水爆が炸裂する瞬間を描いていますが、これは核兵器という人間の平和に生きる権利を奪うものに対する強烈な反発であると言えるでしょう。

 

岡本太郎に影響を与えた芸術家たち

岡本太郎は、フランスに滞在していた時にピカソの作品「水差しと果物鉢」を見て大きな影響を受けました。

ピカソはキュビズムの創始者として知られる画家で、岡本がフランスに滞在していた頃はシュルレアリスムに傾倒し、前衛的な作品を多く作っていました。岡本の前衛的な作品のルーツは、ピカソにあるのかもしれません。事実、ピカソの作品を見て衝撃を受けた岡本は「ピカソを超える」ということを目標に掲げるようになりました。

岡本太郎は、シケイロスやディエゴ・リベラなどのメキシコ壁画運動にも影響を受け、代表作である「明日の神話」は、その影響下に制作された作品です。革命の意義やメキシコ人としての誇りやアイデンティティーといったものを、誰もがいつでも見られるように壁画を媒体にして表現する運動は、反骨精神に富んだ岡本の心をとらえたものと推測することができます。

 

岡本太郎の作品はどこで見られる?作品が見られるスポットをご紹介!

川崎市岡本太郎美術館

川崎市岡本太郎美術館/Wikipediaより引用

 

岡本太郎の作品を実際に見ることができる場所をいくつかご紹介したいと思います。実際に行って、ご自分の目で現代日本を代表する芸術家の世界観に触れてみてください。

 

川崎市岡本太郎美術館

川崎出身の岡本太郎の作品、及び太郎の父・岡本一平、母・岡本かの子の芸術作品を顕彰している美術館です。

岡本太郎が亡くなった3年後の1999年にオープンしました。岡本太郎が生前川崎市に寄贈した作品1779点が展示されています。屋外には、岡本太郎の「母の塔」という作品がシンボルタワーとして置かれています。

企画展示室では、岡本太郎の作品だけでなく、新人作家の紹介とその作品の展示も行われています。

 

川崎市岡本太郎美術館
場所:神奈川県川崎市多摩区 枡形7丁目1−5
開館時間 : 9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 : 月曜日(月曜が祝日の場合は除く)、祝日の翌日(祝日の翌日が土日にあたる場合を除く)、年末年始、他に臨時休館日あり

 

大阪府吹田市 万博記念公園の「太陽の塔」

岡本太郎作・「太陽の塔」
岡本太郎作・「太陽の塔」/wikipediaより引用

1970年の大阪万国博覧会の際に、岡本太郎が制作した作品です。万博では「テーマ館」の一部として建造され、万博が終わった後も万博記念公園の中に残されています。

高さは70mあり、塔の上の黄金の顔は未来を、正面の胴体部分にある顔が現在を、背面に描かれた黒い太陽が過去を、それぞれ表しています。

内部には「生命の樹」というモニュメントが存在し、万博開催中は内部に入って見学することができました。万博の終了後は中に入ることができなくなりましたが、2003年に誘導、避難といった災害対策をすることを条件として一般公開がなされました。

 

「太陽の塔」公式サイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)

 

東京都渋谷区 壁画「明日の神話」

明日の神話

明日の神話/岡本太郎 – 明日の神話オフィシャルページより引用

 

太陽の塔と同時期に岡本太郎が制作した壁画です。メキシコの壁画運動に影響を受けた作風を感じることができます。第五福竜丸が被ばくした際の、水爆が炸裂する様子をモチーフにしています。

この作品はメキシコで制作されましたが、長らく行方不明になっていました。しかし2003年に発見され、修復がなされた後に、京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅とを結ぶ連絡通路に設置されました。

岡本太郎 – 明日の神話オフィシャルページ

 

岡本太郎の名言

岡本太郎作・「午後の日」
岡本太郎作・「午後の日」/Wikipediaより引用

 

才能に満ち溢れた芸術家であった岡本太郎は、たくさんの名言を残しています。なかでも著者が印象深いと思った名言を四つ紹介いたします。

 

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。

岡本太郎は芸術家でした。自分の芸術上のポリシーなどを貫かなければ、これほどまでに歴史に名を残す芸術家にはなれなかったことでしょう。

 

ぼくは口が裂けても、アキラメロなどとは言わない。

有名な名言の一つですね。誰よりも努力家であった岡本太郎の人柄が分かるような、そんな名言です。

 

壁は自分自身だ。

よりよい芸術作品を作るために、あるいは一人の人間として。自分という壁を乗り越えなければ良い成果は望めないということを教えてくれるような、短くともパワフルな言葉です。

 

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりいているよ。

岡本太郎は、派手な女性遍歴でも知られていました。そして人一倍女性思いであって、ロマンチスト。女性を見下す人を許せず、どんな人であっても叱りつけていたといわれています。そんな岡本太郎の人柄がよくわかる名言ですね。

 

まとめ:岡本太郎の生涯

okamototarou (2).jpg

いかがでしたか。岡本太郎という一人の芸術家について、知ることができたでしょうか?「芸術は爆発だ」という言葉の通り、爆発的なエネルギーを持って「太陽の塔」などの様々な芸術作品を残してきた岡本太郎。その足跡に触れることで、彼の作品に興味を持っていただけたのなら幸いです。

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