金栗四三はグリコの看板のモデル?グリコマークの誕生秘話をまとめ

大阪府でうまれた有名大手食品メーカー「グリコ」。「大阪といえば?」と聞かれればあの「グリコの看板」を思い浮かべる方も多いハズ。よくニュースで取り上げられる、スポーツ観戦で熱狂したサポーターが川に飛び込む戎(えびす)橋沿いに設置されています。そんな走る人「グリコマーク」は時代と共にデザインが変わっていき、今では7代目。初代グリコマークが初めて世に出たのはなんと大正11年。100年近くも前の事になります。あの印象的なデザインの「走る人」は特定の人物がモデルになっているのでしょうか?諸説あるものの、一つの説としてはある日本人がモデルの一人だと言われています。その人物は2019年大河ドラマの主役になることが決定。グリコマークのモデルとなったとされる、ある人物の正体とは一体?

 

“いだてん”金栗四三

「いだてん~東京オリムピック噺~」は2019年1月より放送予定のNHK大河ドラマ58作目。日本人が初めてオリンピックに参加した1912年ストックホルムオリンピックから、日本初開催となった1964年東京オリンピックまでの52年のなかで起こった、様々な出来事が2人の主役「金栗四三」(かなくり しそう)、「田畑政治」(たばた まさじ)を中心に描かれます。主役2人のうち、歌舞伎役者「中村勘九郎」演じる日本人初のオリンピック・マラソンランナー「金栗四三」が、あのグリコマークのモデルとなった人物のひとりではないかとされているのです。この「金栗四三」、ある世界記録をもっていることで非常に有名です。これからも決して破られる事はないであろうというある記録なのですが、そんな金栗四三の生い立ちに触れながらその偉大な記録についてもご紹介します。

 

日本初のオリンピックマラソンランナーのへの道のり

金栗四三は1891年(明治24年)、熊本県玉名郡春富村(現在は和水町)に産まれ、熊本の雄大な自然のなかでのびのびと育ちました。小学校までの通学路の往復が12kmもあったのですが、それを草鞋(わらじ)で走って通っていたそうで、このことが後に長距離ランナーとして大成する礎となりました。

本格的にオリンピック・マラソンランナーとして成長するのは東京高等師範学校(後の筑波大学)に進学してからの事。当時この学校では春と秋に長距離走の大会があったのですが、この長距離走大会で入学直後の金栗が3位に入賞します。この好成績に東京高等師範学校の校長「嘉納治五郎」が絶賛。嘉納は「日本体育の父」「柔道の父」と呼ばれるほど、スポーツ、教育の発展、そしてなによりも日本のオリンピック初参加に向け大いに尽力した人物だったのです。この出会いが金栗を本格的な長距離ランナーへと導く事になりました。その後学内で長距離ランナーとしてさらに頭角を表した金栗は、ストックホルムオリンピックの国内予選に参加。悪天候という条件ながらも当時の世界記録を27分も更新するタイムで優勝し、オリンピックへの切符を手にします。

 

世界”最長”記録保持者

ストックホルムがあるスウェーデンは日本から見ると、ほとんど地球の裏側にあたります。今では成田からスカンジナビア航空、フィンランド航空などの直行便がありますが、金栗の時代は明治。陸路、海路を組み合わせ、計17日間にも及ぶ大移動となりました。この移動時のストレスが、後の記録に大きな影響を及ぼしただろうことは想像に難くありません。そして北欧には太陽が一日中沈まない白夜が存在します。

この白夜のせいもあり、金栗はほとんど眠ることができないままレースを迎えることとなってしまいます。さらに悪い条件が重なります。レース当日は雲ひとつない晴天、スタートは炎天下真夏の13時半。そんな条件のなかで日本人初のマラソンランナーとしてスタートした金栗ですが、レース後半25km付近で体調に異常が発生。熱中症にかかってしまい、コースにほど近い農家ペトレ家の庭先のベンチに倒れこんでしまいます。ペトレ家の住人は意識朦朧とする金栗を介抱しますが、意識を失ってしまい目覚めたのはレースはとっくに終わった翌日の朝。日本人初のオリンピックマラソンは残念な結果となってしまいました。

その後日本に戻った金栗は教師兼指導者兼選手として活躍。オリンピックにもさらに2度出場し、あの有名な「箱根駅伝」を発案し、女性のスポーツ振興にも積極的に取り組み、スポーツマンとしては初の紫綬褒章を授与されました。。

そんな金栗の晩年の事です。あのストックホルムから一通の便りが届きました。ストックホルムオリンピック55周年記念式典を開催するにあたり、当時の記録を調べたところ、金栗は棄権の扱いなっておらず「レース中に行方不明」となっていたのです。そこでストックホルムオリンピック委員会は金栗をストックホルムに招き、式典会場にゴールテープを用意、「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」という世界最長記録で金栗をゴールさせたのでした。

 

特定のモデルはいない?「グリコマーク」に隠された思い


江崎利一/wikipediaより引用

グリコマークのモデルの一人とされる日本人「金栗四三」がどんな人物かわかっていただけたでしょうか?その他のモデルとされてる人物はいくつか説があり、さらに言うと特定のモデルはいないとも言われています。1921年第5回極東選手権競技大会で優勝したフィリピンのカタロン選手、1924年パリオリンピックに出場した谷三三五(たにささご)選手、そして金栗四三、その他、当時の多くの陸上選手らの笑顔でゴールインした姿をモデルにしたとされています。

 

グリコマーク誕生!

そもそもグリコマークどうやってうまれたのでしょうか?グリコマークの発案はグリコ創業者の江崎利一によるものです。江崎がグリコのロゴマークを考えるとき、神社の境内でかけっこをしていた子供達から着想を得ました。子どもたちが大きく両手をひろげゴールする、まさにその瞬間を切り取りロゴマークとし、その後仕上げて行く過程で先に紹介した陸上選手達をモデルとし現在のグリコマークは誕生しました。

 

顔が怖いと書き直しに!

このようにした大正11年に生まれたグリコマーク。少しづつデザインに改良が加えられながらも、大きく両手を広げにこやかにゴールインするあの姿は変わっていません。これも噂ですが、大正12年ロゴマークが出来あがってすぐの頃、とある女学生の「顔が怖い!」という指摘から、その表情をにこやかなものに書き直したというエピソードがあります。もしその女学生の一言がなければ、ここまで日本中の人たちの記憶に残るマーク、そして大阪道頓堀の顔にはなっていなかったかもしれませんね。

 

まとめ

グリコマークのモデルとなった人物とされる金栗四三の生い立ちから、今後決して覆されないであろうオリンピックマラソン最長記録「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」にちなんだ話をまとめてみましたが、いかがでしたか?2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の中でも、どこかでグリコマークにまつわるエピソードが出てくるのではないかと考えてしまいますね。そのときはユニークな演出で知られる宮藤官九郎さんが脚本なので、中村勘九郎さんをモデルにしたグリコマークなど出てくるかもしれない…などと想像がふくらんでしまいます!大河ドラマ「いだてん」は、中村官九郎さん演じる「金栗四三」と、阿部サダヲさん演じる「田畑政治」の、二人の主人公の半生をリレーしながら進んでいきます。東京オリンピック前年に放送される「いだてん~東京オリムピック噺~」、これはもう見逃せませんね!

 

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