太公望とは?名軍師姜呂尚の数々の逸話を総まとめ

皆さんは太公望という人のことを知っていますか?ゲームやアニメなどでもその名前を聞くことが多くなってきた太公望という人ですが、実際に存在していた人物なのでしょうか。今回は歴史上の人物であり、謎多き人、太公望について学びたいと思います。

太公望ってどんな人?

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あなたが太公望と聞いて思い浮かべるのはどんな人物でしょうか。釣り好きの人のことでしょうか。それともゲームやアニメのキャラクターでしょうか。太公望はとても謎の多い人物で、たくさんの逸話を持っています。まず、太公望はどんな人だったのかを見ていきましょう。

太公望の本名は姜呂尚

太公望の本名は姜呂尚(きょう りょしょう)といいます。字は子牙というので、姜子牙(きょうしが)という名前の方を聞いたことがある人もいるかもしれません。軍師という職についていたので、師尚父とも呼ばれました。

太公望は謎の多い人物

太公望は、紀元前11世紀頃に活躍したと言われている人物です。生まれや若い頃のことは史実には残っておらず、様々な逸話を持つ謎の多い人物です。

太公望の名前の由来

呂尚が太公望と呼ばれた由来は、とある逸話にあります。呂尚が渭水というところで釣りをしていたところ、狩りの帰りだった殷の西伯候姫昌(後の文王)が通りかかります。姫昌は呂尚をひと目見て、只者ではないと悟ります。呂尚と実際に話しをした姫昌は、その頭脳明晰さに「祖父(太公)の代から望んだ人物だ」と喜び、呂尚を館へと連れ帰り、太公望と呼んだという話です。この逸話が元で釣り好きの人を日本では太公望と呼ぶのです。

実は日本人も使っていた!太公望が残した言葉

覆水盆に返らずということわざを知っていますか?実はこの言葉は太公望が残した言葉なのです。出世をした太公望のもとに元妻が復縁を申し込んだ際、太公望が盆の中の水を床にこぼして「水を盆の中に戻してみろ」と言ったことが元になっています。一度こぼれた水はもとに戻らない。つまり、「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」という意味ですね。

歴史に残る太公望の軌跡

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太公望が頭角を現したのは80歳を超えてからだと言われています。遅咲きの天才、太公望は一体どんな活躍をしたのでしょうか。次は歴史上の人物、太公望を見てみたいと思います。

周の軍師として歴史に登場した太公望

太公望が歴史に登場したのは紀元前11世紀のことです。姫昌と出会った当時、太公望はすでに80歳近い年で白髪だったと言われています。殷王朝最後の王、紂王は暴君として有名で、周の武王(姫昌の息子・姫発)は太公望を軍師として殷の討伐に乗り出しました。太公望は牧野の戦いで紂王を討ち取り、その功績を讃えられて斉国を与えられ、初代斉国王となりました。

子孫によって神格化される

太公望は亡くなったときすでに100歳を超えていたと言います。春秋時代の初期の頃には斉国は強国となっており、太公望の子孫が国を治めていました。太公望の子孫は自分の国の権威を高めるため、始祖である太公望を神格化しました。731年には玄宗によって軍師張良と太公望を祀る太公廟が各地に作られ、760年には肅宗から武成王の名を贈られたため、太公廟は武成王廟とよばれることになりました。しかし明の時代に洪武帝により、周の臣下であった太公望を王として祀ることは不適当とされ、武成王廟の催事は中止されてしまいました。

兵法書「六韜」「三略」の著者として後世に名を残す

六韜(りくとう)は中国の兵法書で、太公望が周の武王に兵法を教えるという設定で書かれています。60編から成っていて、三略とも呼ばれます。この中の虎の巻と呼ばれるものは兵法の極意として有名で、慣用句の「虎の巻」の語源と言われています。

小説の主人公にもなった太公望

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様々な逸話を持つ太公望ですが、太公望の名前が有名になったのはやはり小説などの影響が多いのではないでしょうか。次は太公望が主人公の小説をご紹介したいと思います。

有名な小説「封神演義」

封神演義は明時代にできた神怪小説で、「商周演義」や「封神伝」、「封神榜演義」とも呼ばれます。仙人や道士、妖怪などが出てくる小説で、著者は許仲琳と言われていますが、本当の作者が誰なのかはわかっていません。日本では安納務が翻訳し、この封神演義を元としてマンガやゲームが生まれました。

逸話の中に生きる太公望

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紀元前11世紀に生きた太公望ですが、その一生は謎に包まれたものでした。そのミステリアスさが人々の想像力に火をつけ、仙人や道士、妖怪などが出てくる小説や、たくさんの逸話を生み出したのでしょう。逸話の中に生きた太公望。その姿を小説などで追ってみるのもいいかもしれませんね。

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