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歴史

モーゼの生涯とは?奇跡、十戒、そして約束の地へ

ユダヤ教の創始者であるモーゼは神の啓示を受けた預言者として今でも讃えられており、十戒や葦の海の奇跡で有名な人物です。では、実際のモーゼはどのような生涯を送ったのでしょうか?

この記事では、十戒や葦の海の奇跡以外にも十の災い・マナ・約束の地カナンといったモーゼに関するキーワードをふまえつつ、彼の生涯について解説していきます。

ヘブライ人とイスラエル人とユダヤ人の違い

モーゼを紹介する前に、ヘブライ人とイスラエル人とユダヤ人の違いについて説明します。

ヘブライ人とイスラエル人、そしてユダヤ人はいずれも「神の選びの民」という意味があり、ほぼ同じ存在です。ただ、厳密にはカテゴリーが少し違っており、アブラハム(子孫:ヘブライ人)の子がイサク(子孫:ユダヤ人)であり、さらに孫がヤコブ(子孫:イスラエル人)という定義です。

まとめると以下のとおりです。

父:アブラハム=(ヘブライ人)
子:イサク=(ユダヤ人)
孫:ヤコブ=(イスラエル人)
ひ孫:12人(ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、一人娘であるディナ等)

モーゼの生涯

モーゼは神の啓示を受け、3つのしるしを与えられました。そして先導者として約束の地カナンまでユダヤ人60万人を引き連れて行きました。その道中で葦の海の奇跡などの奇跡を起こし、また神から十戎を授かりました。しかしモーゼ自身は志半ば、ヨルダン川手前のヨポ山で亡くなりました。

彼の波乱万丈な生涯について紹介します

誕生および青年期

紀元前13世紀、モーゼはエジプトに住むヘブライ人の家庭に産まれます。当時、ファラオ(エジプトの王)はヘブライ人が多くなるのを懸念して、ヘブライ人の新生児を処刑するようにお触れを出していました。モーゼの親は息子の処刑を防ごうと、幼いモーゼをナイル川に流します。ファラオの王女が川に流されたモーゼを拾い上げ、水から引き上げるという意味のマーシャにちなんで「モーゼ」と名付けました。

ある日、モーゼは同胞であるヘブライ人がエジプト人から虐待されているのを見て止めようとします。その結果、図らずもそのエジプト人を殺してしまいます。その結果モーゼはファラオに命を狙われてエジプトを離れ、ミディアン(アラビア半島:現在のサウジアラビア辺り)に逃げ込みました。そこで、ツィポラという羊飼いの女性と結婚します。

神の啓示

ある日、天使が「燃える柴(雑木)」の中から、当時羊飼いとして暮らしていたモーゼのもとに現れます。モーゼは天使から神の啓示を受け、天使は、
「エジプトに帰り、イスラエルの民を救え。そして約束の地カナン(現在のパレスチナ)へ連れて行くように」
とモーゼに言いました。

さらに、モーゼは神から「杖が蛇になる」「ナイル川の水が血に変わる」「手が癩病(レプラ)で雪のように白くなる」という3つのしるしを授かりました。

そこで、モーゼは妻子を連れてエジプトへ向かいます。ファラオに神の啓示を伝え、ヘブライ人退去の許しを求めますが、ファラオは首を縦に振りませんでした。そこで、モーゼは持っている3つのしるしの1つ「杖が蛇になる」を使い、杖が蛇に変化するという奇跡を起こしました。しかし、その程度はファラオの配下の魔術師たちでもできたため、ファラオはモーゼの奇跡を見ても驚かず、やはりヘブライ人退去を認めませんでした。

十の災い

困ったモーゼは神に相談し、2つ目のしるしである「ナイル川の水が血に変わる」を使い、エジプトに十の災いを起こしてもらいました。その内容は下記の通りです。

1.ナイル川の水を血に変え、魚を殺し水を飲めなくする

2.カエルを異常発生させる

3.ブヨを異常発生させる

4.あぶを異常発生させる

5.疫病で家畜を殺す

6.膿を出す腫物を流行らせる

7.雹で畑の作物を全滅させる

8.イナゴを大発生させる

9.3日間エジプト中を暗闇にする

10.初子は人も家畜も全て殺す

10番目の災いで、ファラオの息子を含めすべてのエジプトの初子が無差別に殺害されてしまいます。一方、この10番目の災害を起こす前に、神はモーゼにあることを告げていました。
「子羊の血を門柱に塗りなさい。私はエジプト中の初子を全て殺す。しかし、血の塗られた家は過ぎ越していくだろう」
これが今日におけるユダヤ教の「過越祭」の始まりと言われています。

ファラオはこの10番目の災いに震えて耐えきれなくなり、モーゼに対しユダヤ人(ヘブライ人)と共にエジプトを出る許可を出しました。

そこで、モーゼと200万人のユダヤ人たちはカナンの地を目指して、エジプトを出発(出エジプト)しました。

葦の海の奇跡

モーゼ達がエジプトを出発した後、ファラオは許可を出したことを後悔し、多くのエジプト軍を使ってモーゼとユダヤ人達の抹殺を命じます。後ろから迫るエジプト軍に追い詰められたモーゼ達一行は、前方に葦の海(紅海)、背後にエジプト軍と、絶体絶命の危機に陥ってしまいます。しかしその時、奇跡が起きます。

モーゼが海に手を差し伸べると、神様が東風を起こして、目の前の葦の海を真っ二つに割って道を作ってくれました。ユダヤ人一行が向こう岸に渡り終えると海が閉じられ、背後を追ってきたエジプト軍は海に沈んでしまいます。こうしてモーゼ達はエジプト軍から生き延びる事が出来ました。

シナイ山で十戒を受ける

葦の海の奇跡で紅海を渡ったモーゼ一行は、シナイ山のふもとにたどり着きます。神はシナイ山の山頂でモーゼに十戒(10の戒め)を授けました。十戎の内容は以下の通りです。

1.他の神を信じてはならない

2.偶像を作ってはいけない

3.神の名をみだりに唱えるな

4.週の7日目を安息日とせよ

5.父母を敬うこと

6.殺してはならない

7.姦淫してはならない

8.盗んではならない

9.偽証してはならない

10.人の物を欲しがるな

下山したモーゼは神から授かった掟をユダヤ人達に伝えて誓わせました。

そして再び山頂に戻り、40日間にわたって神から細かい指示を受け、掟を記した2枚の石板を授かります。

その後、モーゼが再び下山すると、ユダヤ人達はモーゼを裏切り、金の子牛を作って偶像崇拝していました。モーゼは十戎の1つである「偶像崇拝をしない」に触れているこの行為に激怒し、2枚の石板を投げて金の子牛を破壊してしまいます。その時、偶像崇拝に加担した者を3,000人処刑したと言われています。そして三度山頂に戻り、新たな十戎が記された石板を手に入れました。

マナで飢えを凌ぐ

カナンの地への道中で、ユダヤ人達は水や食べ物のことでしばしばモーゼに不平不満を言います。その度にモーゼは神に祈り、甘く白い食料を天から降らせてもらいました。ユダヤ人達は「これは何だろう」と言いながら、口にすることで飢えを凌ぎました。そして、その食料を「これは何だろう」を意味するヘブライ語「マナ」と呼びました。

こうして長期間に渡り人々のお腹を満たし続けたことからも、マナは自然のものではないと考えられています。

約束のカナンの地を目指して

モーゼ一行はマナで道中の飢えをしのぎながらカナンの地を目指しますが、カナンの地には屈強なペリシア人(パレスチナ人)たちが居ました。ユダヤ人たちはこのペリシア人を倒すのに難航します。時には怖気づき、エジプトに戻ろうとすることもありましたが、その度に神の怒りに合ったため、40年間も放浪生活をすることとなります。

40年の間に多くの試練を克服したユダヤ人達は、強靭な精神と強い信仰心を会得しました。そうした中、モーゼはヨルダン川手前のヨポ山で亡くなり、後継者にヨシュアが選ばれます。ヨシュアは見事カナンの地へ侵攻することに成功します。その後、占領したイスラエル全体を12の部族に分け与えました。

まとめ

ユダヤ教を生み出し、今なお語り継がれるモーゼの生涯はいかがでしたか。彼は同胞を守り神の教えに従うため、生涯にわたって尽力しました。

その後のユダヤ人は時代の流れに翻弄され、長きにわたり世界中へと散らばってしまいました。しかし現在では、カナンの地に「イスラエル」という自分たちの国を作っています。

現在でも、ユダヤ人の行動規範はモーゼが神から受けた十戒に基づいています。また、その後のユダヤ教からは、キリスト教やイスラム教といった、今日の世界で広く信じられている宗教たちが生まれます。モーゼの教えは、今でも非常に多くの人々の心の中で息づいていることでしょう。

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