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歴史

カエサルの生涯!古代ローマの偉人ガイウス=ユリウス=カエサル纏め

ローマの英雄!偉人カエサルの生涯

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古代ローマの偉人としてカエサルの名を知らない人はいないでしょう。彼は政敵から命を狙われるなどのあらゆる苦難をはねのけ、数々の戦争に勝利し、遂に自らに権力を集中させ終身独裁官となります。彼が独裁官として権力を1点に集中させたことは、元首政として引き継がれ、後のローマ帝国の礎となりました。この記事では、このような偉大な業績を残したカエサルの生涯を追っていきます。

 

カエサルの名前について

カエサルの正式な名前は、ガイウス=ユリウス=カエサルといいます。ローマ人の名は、三つの要素からできていました。一番最初のガイウスは個人の名。日本でいう太郎とか次郎にあたります。二番目のユリウスが氏、すなわち氏族の名であり、ローマではこの氏族名が極めて重要な意味をもっていました。第三番目のカエサルは家族の名、日本でいえば姓にあたります。したがってカエサルは日本風に言えば、ユリウス氏族のカエサル家のガイウス、ということになります。

ちなみに、七月の July の由来は、カエサルが腹心のアントニウスに提案し、自分の生まれた月に自分の氏の名をあてはめさせたものです。自分の名前が月の名前になり、それがいまだに使われているのですから、カエサルは本当に偉大な人ですね。

 

カエサルの登場

カエサルは名門ではあるものの、貧乏な貴族(パトリキ)の家に生まれました。生年には前100年と102年の2つの説があります。禿げ上がった大きな頭と張り出たえら、口をへの字に曲げ下唇が突き出ていて、けして美男ではなかったのですが、女性には人気があり、部下は「禿の女たらし」と呼んだといいます。ローマの将軍であるマリウスの甥にあたり、また平民派キンナの娘コルネリアを妻としていたので平民派に属していました。一時は門閥派の大物、スラから離婚を命じられ、それを拒否したため不遇のキャリアを送りました。スラ引退後、属州ヒスパニアの総督として財力を蓄え中央政界に復帰しました。

 

平民派として台頭

スラが亡くなった後、ローマに戻ったカエサルを、元老院および閥族派は警戒し、平民派は彼を期待の星として迎え入れます。カエサルは巧みな弁舌と、莫大な財力による買収によって急速に力をつけ、財務官・按察官・大神官を歴任しました。例えば按察官の職にあった前65年には剣闘士試合を320組も提供し、そのほか見世物・祭列・饗宴などの費用を負担して、莫大な金を湯水のように使い、その結果、多くの民衆が、カエサルを新しい官職につけてあげたいという気持ちを持つようになったのでした。

 

第1回三頭政治

カエサルはその時に生じた巨額な借財を、富豪クラッススに支払ってもらい切り抜けることに成功しました。さらに属州ヒスパニアの総督に任命されて現地で富を貯え、それを元手に執政官に立候補します。当時、クラッススと並んで勢力があったのが将軍としての名声の高いポンペイウスでした。この二人は、ともに元老院に反抗していましたが、互いに対抗心を燃やしていて不仲でした。カエサルは、自分が執政官となって元老院の権力に対抗して新しい政治を実現するには、この二人の対立を止めさせて不安定要素を除くことが必要と考え、二人を説得、前60年に第1回三頭政治を成立させました。この三頭政治は、元老院に対抗するために有力三者が秘密裏に結成した私的な政治同盟と言うことができます。さらに翌年、カエサルは娘ユリアをポンペイウスに嫁がせ、関係を深くしました。

 

執政官カエサル

前59年、カエサルはポンペイウス、クラッススの支持を受けて初めて執政官に当選しました。複数制なのでもう一人の執政官ビブルスがいましたが、彼はカエサルの前には影が薄い存在で、終いには家に引きこもってしまいました。カエサルは土地をもたない兵士に公有地を分配する農地法を、カトーら元老院の反対を押し切って成立させました。これはグラックス兄弟の改革で失敗した農地法をようやく成立させたという画期的意味もありますが、現実にはカエサルと新たに土地を与えられた兵士との親分・子分関係(クリエンテーラ)が強められるという結果ともなりました。その他、カエサルは平民派としての政策だけでなく、元老院との協調も心がけたので、その政治は軌道に乗っていきいます。

 

ガリア遠征

1年の執政官(コンスル)任期を終えた翌年、前58年から、カエサルはプロコンスル(コンスル代理)=属州ガリアの総督に任じられ、また全ガリアの軍事指揮権が与えられて、ガリア遠征を実行しました。プロコンスルとはローマの外地で軍事指揮権をもち、命令権(インペリウム)も行使でき、その延長も認められる役職でした。カエサルにとって残る栄誉は将軍として外征軍を率い、勝利と領土と富をもたらすことでした。ガリアの地(ほぼ現在のフランス)の大半はローマの支配が及んでおらず、ガリア人の部族間の争いが続き、さらにライン川の外からはゲルマン人がたびたび侵攻しており、その地を平定することはカエサルに大きな軍事力の基盤を与えることとなります。カエサルはガリア人部族の敵対的部族を次々と制圧し、その名声は急速に高まりました。

 

三頭政治の崩壊

カエサルの軍事的成功はその名声を高めることとなり、一方、クラッススもそれに対抗して東方遠征に向かったが前53年、パルティアとの戦いで戦死してしまいました。これによって三頭政治のバランスが崩れ、ローマに残ったポンペイウスは元老院と結び、独裁権を得ようと画策するようになりました。前54年にカエサルの娘でポンペイウスと結婚したユリアが出産のために亡くなったことも両者の関係の冷却化を進めました。カエサルは軍を率いたままローマに帰り、再び執政官に立候補しようとしたが、元老院とポンペイウスはそれを認めようとしませんでした。それを知ったカエサルは、前49年1月10日属州とローマ本土の境界線であるルビコン川を超え、軍を率いてイタリアに入りました。

 

ローマの内乱

カエサル軍がローマに進軍を開始したことを知って、ポンペイウスと元老院はローマを放棄しました。カエサルはギリシアに逃れたポンペイウスを追い、前48年8月9日、ギリシアのファルサロスの戦いで勝利します。ポンペイウスはなおもエジプトに逃れ、アレクサンドリアに上陸しようとしたが、プトレマイオス朝の王の部下はカエサルと有利な取り引きをしようと企んで、上陸用の小舟のなかでポンペイウスを殺害しました。また、この遠征の際にカエサルと絶世の美女として知られるクレオパトラとの邂逅がありました。ポンペイウスを追ってアレクサンドリアに上陸した日のことです。当時プトレマイオス朝はプトレマイオス13世とその姉のクレオパトラが対立する内紛の渦中にあり、クレオパトラは絨毯にわが身をひそませてひそかにカエサルとの面会を遂げ、その機転によってカエサルの心をつかんで強く結ぶこととなったのです。

 

カエサルの独裁政治

こうしてほぼすべての敵対勢力を平定したカエサルは、前46年7月、ローマに凱旋しました。その時エジプトの女王クレオパトラとカエサリオンをローマに呼び寄せ、エジプトを支配下に入れたことも印象づけました。一方、それまで捕虜となっていたガリアのヴェルキンゲトリクスはローマを引き回した上で処刑しました。ローマに凱旋すると同時に、圧倒的な軍事力を背景に10年間の独裁官(ディクタトル)に就任しました。その後も元老院を有名無実化して、インペラトル(軍の最高司令官)として事実上の独裁政治を行いました。

 

カエサル暗殺

前44年1月にカエサルは終身独裁官に就任すると、元老院を無視し、次第に絶対者として振る舞うことが多くなっていきます。カエサルはその仕上げとして、今までのローマの将軍が誰もできなかったパルティア遠征、そしてアレクサンドロス大王も成し遂げられなかったインド征服まで構想し、それを実現した上で皇帝としておのれを神格化できると考えていたと思われます。このようなカエサルの野心があからさまになってきたことで、共和政の伝統を守ろうとする元老院の中に、強い危惧が生まれました。カエサル独裁反対派の暗殺団(その一人がブルータス)は周到に準備を重ねた上で、3月15日、ついに元老院会議場でカエサルを襲撃し、暗殺を実行しました。その際にカエサルの叫んだとされる「ブルータスよ、お前もか!」という言葉はあまりにも有名です。

 

多彩な才能!カエサルの評価・人物像

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軍司令官として戦場での指揮を得意としたカエサルですが、軍事だけでなく文筆などでも才能を発揮しています。ここでは、軍人以外の顔をもつカエサルの素顔を見ていきましょう。

 

後世のカエサルの評価

カエサルは、文筆家としての才能も高く評価されており、キケロとともに、ラテン文学の散文における双璧をなしました。特に『ガリア戦記』の雄渾で簡潔な文体は高く評価されています。また、終身独裁官に就任して以降、カエサルは度々王位への野心を露にしました。そのため、カエサルはローマ市民から憎悪され、彼が王になることに反対する共和主義者による暗殺計画が持ち上がることになります。

 

カエサルの人物像

カエサルは、長身で引き締まった体をしていましたが、当時の美男子の条件である「細身、女と見紛うほどの優男」には当てはまりませんでした。また、頭髪が薄いことを政敵から攻撃されたため、はげた部分を隠すのに苦労していました。このため、内戦を終結させた業績を認められたことにより、月桂冠を被る特権を与えられたときは、大変喜んだという面白い話があります。なお、当時のカエサルが前髪の薄さを隠すためにしていた髪型は、シーザーカット(カエサルカット)と呼ばれており、ヨーロッパでは古くから典型的な男性の髪型の一種となっています。

 

まとめ:カエサルの生涯を振り返る

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貧しい家の出身のカエサルが、巨大なローマを統べるにいたるまでの道のりは、危険な橋の連続でした。彼は、有力者からたびたび命を狙われるなど、想像を絶する苦労の末に、ローマに君臨する人物となりました。「ローマは一日にして成らず」ということわざがありますが、まさにカエサルの歩んだ道のりこそ一日では到達できないほど、長いものでした。しかし、栄華を極めたカエサルも虚しく、自分の子供のように可愛がっていたブルータスに暗殺されます。ブルータスとは、血こそつながっていませんでしたが、自らの後継者に、この自分の子供ほど年の離れているブルータスをと考えていたようでした。しかしカエサルは、その溺愛していたブルータスに暗殺されてしまったのです。人の世の無常なことを、カエサルの一生は教えてくれるようですね。

 

 

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